ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の話他、幕末〜明治維新の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮などの話も。

西南戦争とその報道についての「雲よ、伝へて!最終話/其の九」

2024年06月23日 | お知らせ
さて表紙もできたとこで
ちょっぴり其の九、最終話の話です。

官軍というのはテロリストを徹底始末しなければならない「お役」を負っていたので
長らく西南戦争は「西南の役(えき)」と呼ばれていました。
(昭和の時はそうでした)
「西南事変」というのもありますが(微妙かも?)


こちらは英国人の新聞イラストレーター、ワーグマンの漫画です
「ネズミ狩」


よってたかって薩摩軍を狩る官軍。
日本人には「お役」でも、英国人にはそう見えた。

薩摩軍に加わった人には知識人、新聞記者も多く
投降して生き残った人らはやがて後の明治自由民権運動に加わっていきます。


「其の九」では、主人公の飛高は横浜に戻ります。
その世相ですが

戦と無縁な人々はどうなったかというと

政府側の情報規制、情報統制によって
論調はすっかり「西郷叩き」になっていきました。

そりゃまあ、薩摩擁護の話をすれば「お前も賊軍か」と言われ
逮捕が待っている…
ならば官軍側の方が安全で得だから。


ここで日本はジャーナリズムにおいて、決定的な間違いを犯してしまいます。
報道とはそもそも、知らされた事から、社会の問題について
「なぜなのか」「どうすればいいか」考えることが大事だった。
多角的に冷静に。
しかし、この明治十年の新聞の黎明期に、政府は全力で
「政府広報であれ」と強いたのです。

そうしないとできたばかりの明治政府を再度消される危険性があったわけです。
ですから、最初から民衆側の立場で民衆を動かしたフランスとはちょっと様相が違います。


急激に「賊軍叩き」になって行った中
一人逆走したのが、福沢諭吉でした。
「丁丑公論」の中で福沢は西郷を讃え
政府側ばかりの論調に「今の記者はなんだ、政府の犬か」
と叱り飛ばしましたが
その福沢の論ですら、当時は発表されませんでした。

福沢は経済学の方で有名なのですが、明治初頭の福沢諭吉で
注目してほしいのはむしろ文筆家としてのあり方です。
福地源一郎も政治家として選挙に出たり作家になったりしてますが
新聞記者時代の精神はその後の活動にも溢れてると思います。

まず日本に本当に民主主義の基盤があるのか
なぜできてないのか…

などと、難しいことは各自考えていただくとして

とりあえず、新人記者の成長っぷりを。
またいろんな歴史人物が登場いたします、ってことで。

8/18に向けて頑張ります。







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