
薩摩私学校生の蜂起に同調して、
記者を辞めて戦争に行ったのは
評論新聞の宮崎八郎ですが
同じ評論新聞の記者で、川路利良からの話を聞いて、薩摩私学校生を止めようとしていた人がいて
実に興味深い民権運動家なのです。
名を、田中直哉といって
薩摩の郷士。西郷の御親兵に入った後に
警視庁、巡査を経て、慶應義塾に入り
福沢諭吉の教えを受け、評論新聞のジャーナリストになった様子。
鹿児島の出版社から資料本を買いました。
同郷の私学校生に、暴力より言論をと説得しに行ったけれど、西郷を暗殺しようと企てる密偵だとして捕まる…。
密偵については、先日のドラマの「明治開花 新十郎探偵帖」の最終回にも出てきましたが、有名な中原尚雄以外にもかなりの人数、密偵が来ていたようです。
(どうりで辺見とかが、記者や探偵の類にイライラするわけだなあ)
田中は大久保の指令ではなくて、同郷薩摩の川路利良/警視総監から自宅に招かれ、
「私学校生に蜂起はやめた方がいいと説得してくれないか」と言われます。
しかし、スパイ容疑で私学校生らに捕まる。
田中直哉は元巡査。
福沢諭吉から学んでいるわけです。
何よりも血を見るのを嫌いな福沢諭吉の、剣よりペンで戦えという教えを受けたなら
西郷を暗殺なんて考えてもいなかったんではと思います。
田中直哉、薩摩では禁止されていた
浄土真宗の解禁に奔走したり。
西南戦争後には政治家になったのですが
政治家の汚職、政党の派閥争いで敗れ
自分が立ち上げた政党が解散すると、
絶望からか、精神を病んでしまいます。
そして僅か半年後の、内閣誕生を見ることなく、地元の川に入水して自殺してしまいました。
田中直哉とは同郷で親友だったらしい
柏田盛文。
この方、後に日本の貴重な哲学者となる
西田幾太郎の先生なんですが。
柏田も一緒に西郷暗殺疑惑で捕まってる。
この二人でシナリオできたんで
次、描きます。
あと、幕末〜明治の地方って
宇和島やら中津やら…あと、土佐も宮崎も
思っていたよりずっと先進的な考えの人らがいたのに驚かされます。
長崎に出島があったり、参勤交代で江戸に行ってたりはしたわけだし。
むしろ東京一極集中の今の方が地方は地方然としているのではとすら…。
いきなり自由民権運動がブームになったわけではなく、明治6年あたりから次第にジワジワというかんじかもしれない。
この国のこの先どうしたらよいかについて、
上に任せておけばいいとか、行動してもムダなんて誰も考えてなかったんだなと思います。
サムライの美学は残したままだから
さぞや田中にも柏田にも、ジレンマあったと思いますが。
あまり知られてない人なんですが
今知られてほしい…
てわけで
次回A5本で。
(それより、イベントあるんかのう)