映画「ガリバー旅行記」を見てきました。
「ガリバー」というと悪しき思い出があります。
ロンドン行った時に、現地の担当旅行会社の名前が「ガリバー」
ホテルまでの送迎が来るはずだったのに、どこにもいないし。
ヒースロー空港で1時間探したよ…くそ会社
でもあの時のインフォメーションのおっちゃんは本当に優しかったなあ。
で、今日の映画。
うん、これは40代向け? だね。
アラフォーあたりは懐かしい洋楽が聴けます。
あと、私はアニパロの出身だからね…
「パクリじゃないか!」
「いいえこれは脱構築だもんね、へへーんだ」
みたいな。
「パクリはダメだろ、コピーはやめろ」と言いながら
パクリパーツの寄せ集め、そしてよくよく考えたらこの映画全部
スウィフトの「ガリバー旅行記」の「パロディ」
原作に忠実に、というのではなくて、パロディです。
出来るシビアな新人と、出来ないベテランの対比が哀しい。
そういや、日本だけに限らず、80年代という時代は世界的に
全共闘だ表現主義だラブ&ピースだ、そういうものに何だかナナメ姿勢で
「新人類」と呼ばれたり、オタク第一世代だったり
「ナンセンス」「なんとなく」「イミ無し」という、軽くてデタラメで、
立ち向かわずに不真面目でいいじゃんという時代でもありました。
主人公がどうみてもオタクっぽい…というか映画オタ。
パロディを描いていると、たまに壁が見えてきます。
それは、「型」を借りて、着ぐるみの中で表現をするようなものですが
そこで認められたとして、それは本当に自分だから認められているのか?
例えば本が一冊二冊、売れたからといって、それは本当に自分の作品だから認められたのか
それとも、借りている元ネタジャンルが人気だから
ただそれにあやかっているだけなのか?
この問題を克服する手は、1つです。
本物の脱構築をするには、勇気を持って何かにチャレンジしたりしながら
自分の良さを見つけてあげる事。
何かのために。できれば人のために、自分が何かできないか。
できたらやってみる事。
ヒーローになる幻想を抱いたままでなく、たとえ小人のように小さい自分であっても
着実に現実の力にしていく事。
小人に対しては無敵のガリバーくんも、巨人の前では非力。
それは、もしかしたら
自分より弱い立場の人には強くても
スゴイ上司や才能のある人の前では非力、って事かもしれない。
だけど、そういうスケールを超越できる力はあって
実はそれを勇気と呼ぶのだと。
臆病だから嘘をつく。良く見せようと見栄をはる。
そう考えると、「どうせ自分達には無理だし」と思ってナイーブさの中に逃れてきた世代像も見えてきます。
そろそろ、青春を終えて、人生は午後にさしかかった中年諸氏、
待て、お前は、お前自身が思っているほどにダメな小人ではなく
お前が見せているほどに巨人でもないのだ、
そのリアルサイズを確認した上で、ちゃんと見てみろ
オマエはそんなにダメな奴なんかじゃないだろう?
そんなメッセージが読めます。
そんなテーマが読めるからこそ、この作品はきちんとした「パロディ」であり
「パクリ」にはならないわけです。
この映画は子供向けでなく、そんな大人向けなのだと思いました。
「ガリバー」というと悪しき思い出があります。
ロンドン行った時に、現地の担当旅行会社の名前が「ガリバー」
ホテルまでの送迎が来るはずだったのに、どこにもいないし。
ヒースロー空港で1時間探したよ…くそ会社
でもあの時のインフォメーションのおっちゃんは本当に優しかったなあ。
で、今日の映画。
うん、これは40代向け? だね。
アラフォーあたりは懐かしい洋楽が聴けます。
あと、私はアニパロの出身だからね…
「パクリじゃないか!」
「いいえこれは脱構築だもんね、へへーんだ」
みたいな。
「パクリはダメだろ、コピーはやめろ」と言いながら
パクリパーツの寄せ集め、そしてよくよく考えたらこの映画全部
スウィフトの「ガリバー旅行記」の「パロディ」
原作に忠実に、というのではなくて、パロディです。
出来るシビアな新人と、出来ないベテランの対比が哀しい。
そういや、日本だけに限らず、80年代という時代は世界的に
全共闘だ表現主義だラブ&ピースだ、そういうものに何だかナナメ姿勢で
「新人類」と呼ばれたり、オタク第一世代だったり
「ナンセンス」「なんとなく」「イミ無し」という、軽くてデタラメで、
立ち向かわずに不真面目でいいじゃんという時代でもありました。
主人公がどうみてもオタクっぽい…というか映画オタ。
パロディを描いていると、たまに壁が見えてきます。
それは、「型」を借りて、着ぐるみの中で表現をするようなものですが
そこで認められたとして、それは本当に自分だから認められているのか?
例えば本が一冊二冊、売れたからといって、それは本当に自分の作品だから認められたのか
それとも、借りている元ネタジャンルが人気だから
ただそれにあやかっているだけなのか?
この問題を克服する手は、1つです。
本物の脱構築をするには、勇気を持って何かにチャレンジしたりしながら
自分の良さを見つけてあげる事。
何かのために。できれば人のために、自分が何かできないか。
できたらやってみる事。
ヒーローになる幻想を抱いたままでなく、たとえ小人のように小さい自分であっても
着実に現実の力にしていく事。
小人に対しては無敵のガリバーくんも、巨人の前では非力。
それは、もしかしたら
自分より弱い立場の人には強くても
スゴイ上司や才能のある人の前では非力、って事かもしれない。
だけど、そういうスケールを超越できる力はあって
実はそれを勇気と呼ぶのだと。
臆病だから嘘をつく。良く見せようと見栄をはる。
そう考えると、「どうせ自分達には無理だし」と思ってナイーブさの中に逃れてきた世代像も見えてきます。
そろそろ、青春を終えて、人生は午後にさしかかった中年諸氏、
待て、お前は、お前自身が思っているほどにダメな小人ではなく
お前が見せているほどに巨人でもないのだ、
そのリアルサイズを確認した上で、ちゃんと見てみろ
オマエはそんなにダメな奴なんかじゃないだろう?
そんなメッセージが読めます。
そんなテーマが読めるからこそ、この作品はきちんとした「パロディ」であり
「パクリ」にはならないわけです。
この映画は子供向けでなく、そんな大人向けなのだと思いました。