アマチュア哲学者で

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非理法権天

2023年02月03日 23時00分30秒 | 日本歴史
 楠木正成軍の旗印とされている。筆者は数年前、河内長野の観心寺に参って
その宝物館に入って(無料で入館できた)その旗の現物を拝見して、初めて知った。
 漢文の素人では読めない。筆者は後に何らかのメディアによって、理に非ず法でも権でも非ず天なりと読むと知った。
 さてその意味なのだが、筆者としては次のようにとらえた。
 理性や理論ではありません。法令や法則でもありません。権力でもありません。天が第一です。ここで天とは何か考える。道教でいう天か、それとも後醍醐天皇の天下の天か、筆者は後者だと思っている。夏目漱石は則天去私をとなえた。天に則って私を去る。同じような事をいっている。
 楠木正成は若い頃、四天王寺にて聖徳太子著の未来記を読んだという伝説があり、その時の肖像画も残っている。その同時代の記事で西鳥が東鳥を食らうというのを見て鎌倉幕府の打倒が成ると思ったそうだ。
 実は最近の研究では楠氏は北条氏得宗の被官だったみたいで、楠という地名が現在の静岡市内にある。そこの土豪が命によって観心寺荘園の管理を託され派遣されたのが、正成の先祖だったらしい。というのは地ばえでない証拠に金剛山付近に楠という地名が元々ないのだ。
 楠氏はざっくり言って四代で滅んだ。正成、正行、正儀、正勝で。筆者は三代目正儀に注目している。大楠公小楠公に比して圧倒的に知名度は低い。しかし60数歳まで生きて足利義満と同時代に活動している。評判は悪い。北朝に寝返ったからだ。その後、南朝に戻っているし最期は元の鞘に収まった。
 正儀は正成の三男で、正行正時が若くして四条畷の戦いで戦死したので楠氏の棟梁を継いだ。太平記にもこの人は父にも兄にも似ず、おっとりした人物だと評されている。しかしながらエピソードとして佐々木道誉との名人的やりとりや正行の人道的敗戦武者の救済と同じような事をしているのが記載されていて、捨てた者ではない。
 筆者はずいぶん以前に鷲尾雨工著の吉野朝太平記(全五巻)という長編小説を通読して正儀のファンになった。この作品では正儀は超人のようにえがかれていて痛快だ。大筋で歴史的事実を踏まえている。南北朝動乱の南朝方主役は北畠親房のように世間はみているが、この小説では楠正儀が南朝の実質的リーダーを担っている。言葉を変えていえば、あの当時、楠正儀の活動がなければ南北朝時代もありえなかった。当時の史料で南朝の将軍と記されている。北朝の将軍はいうまでもなく足利氏である。