伊方原発の廃炉のために

2006年から「伊方原発のプルサーマル問題」として続けてきましたが、伊方原発の廃炉のために、に15年に改名しました。

◆伊方原発の危険性 by 広瀬隆

2013-10-30 13:16:31 | 原発についての紹介

 ◆伊方原発の危険性

            広瀬隆

 今年7月8日に、原子力規制委員会の「原発の新規制基準」なるものが施行され、四国電力はただちに伊方原発3号機の再稼働を申請した。その後の報道を見ると、どの新聞も、伊方原発には活断層がないので、最も早く再稼働のゴーサインが出されそうだ、といった調子で報じている。「伊方原発に活断層がない」などと、一体何を根拠に報道界がデタラメを記事にするのだろうか。まったく信じがたい報道界の知識水準である。

 

 201294日に愛媛県伊方原発環境安全管理委員会・技術専門部会で、四国電力が公表した「伊方発電所の安全対策の実施状況などについて」には、伊方原発の敷地内には、原子炉直下に断層があると明記されているのだ。四国電力は、これを勝手に「活断層ではない」と断定している。原子力規制委員会も、これをまったく調査していないのである。なぜ大飯原発のように掘って調査しないのか。

 

 事実は、以下の通りである。

 「瀬戸内海に津波は来ない」として、これまで四国電力は一切、津波対策をとってこなかった。

 ところが過去には、山のように瀬戸内海での津波記録がある。

 第一20111225日に、NHKEテレでようやく、高知大学の地質学者・岡村眞教授がおこなった重大な調査結果が放映された。それによれば、東海・東南海・南海の三連動超巨大地震が目前に迫っている。岡村教授が2004年に大分県佐伯市(さいきし)米水津(よのうづ)の龍神池の調査に入った。津波の周期的な襲来の痕跡を示す砂層が8つ発見され、周期は最短で300 年だった。1707年の宝永南海地震から300年後は2007年、すなわち現在になる。岡村教授の音波探査による調査では、6200年前、4000年前、2000年前に地震が起こって、ほぼ2000年周期で地震が起きていたことが明らかになり、前回の地震からすでに2000年経っているため、最大1000ガルの揺れが予測される巨大地震が目の前に迫っている。「伊予灘の活断層は、過去1万年間に活動しておらず、大地震発生の危険度は低い」としてきた四国電力の調査は、一体何だったのか!

 第二に、887年の仁和南海地震では、大阪湾(瀬戸内海)に大津波の記録がある。

 第三に、1596年9月4日(文禄5年)、大分県別府湾でマグニチュード7級の海底地震が発生し、津波が押し寄せ、瓜生島が一夜で水没した。同日、伊予地震のため伊予郡保免村(愛媛県松山市保免)の薬師寺の本堂や仁王門が崩壊し、周布郡北条村(愛媛県西条市北条)の鶴岡八幡宮が転倒し、翌9月5日に伏見でマグニチュード8近い大地震が起こり、豊臣秀吉の伏見城天守閣が崩落し、城内で数百人が死亡した。マグニチュード8は、日本国内の内陸地震の記録として最大の濃尾地震と同じだ。これは阪神大震災と同じ断層系の有馬・高槻断層系の活動によると推定される。西条市の幸の木遺跡では、これを裏付けるように、12世紀以降の液状化跡が発見されている。これらの事実を付き合わせると、1596年9月には、慶長別府湾地震(豊後地震)で動いた別府湾と、慶長伊予地震で動いた四国の中央構造線と、慶長伏見地震で有馬高槻構造線が動いた伏見の断層が、400 キロメートルという長大な範囲にわたってほぼ同時に動いた巨大地震だった可能性が高い。

 第四に、江戸時代の1707年の宝永南海地震では、大阪湾と、瀬戸内海沿岸、大分県佐伯市(さいきし)の米水津(よのうづ)、間越(はざこ)龍神池に大津波の記録がある。瀬戸内海を襲った大津波は、九州~四国沿岸~大阪湾まで達し、東日本大震災と同規模の死者2万人を超えていたことが明らかになった。現在の人口は、当時の5倍なので、10万人規模の大災害であった。これは、東日本大震災後に報道された記録である……

 この時、大坂市中35万人のうち、圧死5351人、津波の溺死1万6371人、合計2万1722人だったというから、瀬戸内海を中心とする西日本全体では東日本大震災の10倍規模のトテツモナイ被害だったはずだ!!

 瀬戸内海は潮の干満の差が大きいので、江戸時代には満潮時に海水を塩田に導く入浜式製塩をおこなって急速に発展したが、この瀬戸内海で、津波と満潮が重なればどうなるか……南海トラフの激動によって動く太平洋の巨大な海水が逃げ道のない瀬戸内海に侵入して、沿岸の全域にあふれるだろう。

 第五に、伊方原発の目の前に日本最大の活断層・中央構造線がある。中央構造線は、マグニチュード8を超える巨大地震を起こす世界最大級の活断層である。岡村教授によれば、四国が乗っている岩板はフィリピン海プレートの沈み込みによって、四国を乗せたまま、絶えず九州側に動いている。東海地震に連動して起こる南海地震が10回起きると1回ぐらい中央構造線が西へ8メートルぐらい、ずどーんと動く。一瞬で原発を直撃するので、制御棒を挿入する暇もなく、これが原発にとっては致命的な地震となる。

 岡村教授が心配しているのは、この伊方原発の目の前にあって、何度も動いた跡がある中央構造線である。「こんな巨大な活断層は見たことがない」と岡村教授は言う。

 第六に、岡村教授の地質調査によれば、宝永巨大地震津波は波高13.5m だったが、2000年前の津波はハルマゲドンと呼ばれるトテツモナイ巨大な津波で、間違いなく東海・東南海・南海の三連動超巨大地震であった。宝永巨大地震と比較にならないほど大きかったことが地質測量によって実証されたのである。

 

 さらに理学博士である都司嘉宣(つじよしのぶ)元東大地震研究所准教授の講演会が、2012年7月29日に松山市で開かれた。都司氏は、昨年来、日本全土各地の津波記録の発掘で最も注目されてきた一人である。都司嘉宣氏によると 日本で一番危ないのが浜岡で、二番目が伊方、その次が若狭湾だという。1596年9月1日の慶長地震で、少なくとも大分県の湯布院から愛媛県の西条市までおよそ170km にわたって中央構造線が巨大地震を起こし、大きな被害をもたらした。そのあいだに伊方原発がある。当時、伊方原発周辺を1015メートルの巨大津波が襲い、震度も6強~7の最大震度に達していた可能性が濃厚である。「四国電力が伊方原発周辺の津波を4.25メートルと想定していることは、まったく根拠がない」と都司氏は批判した。従来、慶長地震は、5日間に4つの地震が各地で起こったとされてきたが、実はマグニチュード7.6 8.0 の一つの巨大地震であった。また、その際には、大分市佐賀関で10.6m 、大分で5.5m、大分県杵築で8.4m、山口県上関で6mの津波が発生している。これは、最近10年くらいで分った新しい知見である。基本的に1000年に1 回程度の活動だが、決して1000年経たないと活動しないというわけではない。中央構造線の地震は数百年単位で再発するおそれが高く、現在の伊方原発の立地はきわめて危険であるという。

 今度、同様の地震が起きた場合には、マグニチュードは日本最大記録の8となる。中央構造線に近い伊方原発では、震度が最強の7の揺れ、1015m の津波が予想される。伊方原発を建設した時には、中央構造線のことはまったく考えずに建設したので、原発を建設するべきでないところに建設した点において、浜岡の危険性と同じである。

 1973年に伊方原発1号機、1978年に2号機が建設着工された当時は、「中央構造線の活断層」も認めないまま建設され、想定される最大の揺れがたった200 ガルであった。1995年の阪神大震災後には、それが473 ガルに引き上げられ、さらに2006年の耐震指針改訂を受けた四国電力が20083 月には基準地震動を570 ガルに引き上げた。この570 ガルも、活断層評価にまったく根拠のないことが、2009年に明らかになった。

 ほとんど狂気のごとき四国電力の耐震性計算であった! デタラメの机上計算で耐震性の数字をどんどん引き上げてきたのは、なぜなのか。愛媛県の中村時広知事の原発ブレーンが、原子力安全・保安院からの出向だったからである。福島原発事故で極悪集団であることが明らかになった保安院のメンバーが、そのまま原子力規制庁に横滑りして、現在も伊方原発の評価を担っているのだ。

 こんな場所に原発があることは、正気ではない!!

 伊方原発で大事故が起これば、風下地帯になるのは、台風の進路と同じ、日本全土である。とりわけ愛知県・三重県・滋賀県・京都府・大阪府・兵庫県・奈良県・和歌山県・鳥取県・島根県・岡山県・広島県・山口県・徳島県・香川県・愛媛県・高知県・福岡県・佐賀県・長崎県・熊本県・大分県・宮崎県・鹿児島県・沖縄県を含めた西日本、瀬戸内海全域が全滅する。

 ただちに伊方原発を廃炉にしなければならない!!


 12月1日に愛媛県松山市の松山城下、堀之内公園で伊方原発再稼働阻止の「NO NUKESえひめ」大集会がある。

以下、前記事に続く・・・
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