あるとき弟子の質問に対して、OSHOがこう言った。
「ーーーその問題が 誰の問題なのか…よく見定めなさい…自分の問題か 他人の問題なのか…?」
もうひとつ「その問題は、あなたが解決できるものなのか、どうしようもないものなのか?」
「その問題が 他人の問題であり、どうしようもないものならば、あまり気にしないようにーーー」
Osho,
もう一つは、の私の体験談……
【理解には、浅い理解と深い理解がある】
浅い理解とは、【頭】の理解。深い理解は【腹】の理解でーーー理解会得すること、【理会】という文字で表現する。
【浅い理解から 理会へーーー】
人は皆『もし? 〝それ〟を知って(理解して)受け入れていたらば、文句は 謂わないーーー』
…〝それ〟を 知らず。またもし 知っていることなのに、文句を言うのなら、それを 受け入れられないのである。
人が『文句を謂う』とき、それに対する 理解が浅いか…誤解しているか…受け入れられないか、もう一つ…
※【相手の悪口(陰口)を謂うとき、相対的に 自分が良い人間だ!と アピールすることができるーーー】
※↑これは、私たちが 無意識なときに やってしまう愚かなる行為の一つである。くりかえす…無意識だからやってしまう! 意識していては、愚かな行為はできなくなる。
【愚かな行為をしている 殆どの人間は 無意識である!】
…こんなこともあったーーー三年ほど前の出来事だったーーー
ここ長崎には、路面電車が存在する。
私と彼女が、いつもの電停から駅方面に向かう電車に乗ったとき、座席はほぼ満席だった…。
二つ三つ停留所を過ぎていくと、車内は数人の人達が 吊り革を握っている状況になり、
次の停留所から…七十歳くらいのお婆さんが片手に杖を持ち、中央口から乗り込んできた……。
私が座っている席の左側前方に 電車の降り口があるので、そのお婆さんは、私の前を歩きながら降り口へ向かって行く…
…そのとき、私の すぐ左側に座っている若者が、お婆さんに 席を譲るべくお婆さんを見ながら立とうとした (よくある光景である…) が、そのお婆さんは、チラリ!と その若者を目で制する感じで、睨みつけ(←私にはそう見えた)て、何も言わずに 一番前の 吊り革にぶら下がった。…のである。
それを見た、私(関西人)は、無意識に【文句を謂ってしまったあ!】それも、関西人の特徴である【大きな声で】右横に座って一部始終を見ていた彼女にーーー
ーーー『今の (お婆さんの睨みつける) 態度は、ないよな~!』ってねーーー。
・・・そして、なんと! 数日後に、あのデジャヴュのように 同じことが 繰り返されたのである…
…が、ひとつだけ違っていた。
そのお婆さんは、その日 (機嫌が良かったのか?) は、立とうとした若者に、こう表現した!のである。
『私はね、若い頃、腰の手術をしてね…よく揺れる電車には座れないんだよーーーありがとうね』
ーーーそのとき私は、
【 頭レベルの 浅い理解が、深い理解(理会)へ 降りてゆくのを感じていた 】
あのお婆さんが、最初の場面で 若者に「表現しなかった」 とは言えーーー人(私)が 無意識で【文句を謂う】とき、その 文句を謂ってる人が、その事柄/事情を 把握していない。
本当に【知らない…わからない…理解していない…受け入れられない】ことから起きているのだーーー
という それまでは、 頭の浅い理解だったのが、二回目の場面で、心底、腹の理会に到った。
(ナマステ)
存在に感謝!……合掌ーーーーーー
「ーーーその問題が 誰の問題なのか…よく見定めなさい…自分の問題か 他人の問題なのか…?」
もうひとつ「その問題は、あなたが解決できるものなのか、どうしようもないものなのか?」
「その問題が 他人の問題であり、どうしようもないものならば、あまり気にしないようにーーー」
Osho,
もう一つは、の私の体験談……
【理解には、浅い理解と深い理解がある】
浅い理解とは、【頭】の理解。深い理解は【腹】の理解でーーー理解会得すること、【理会】という文字で表現する。
【浅い理解から 理会へーーー】
人は皆『もし? 〝それ〟を知って(理解して)受け入れていたらば、文句は 謂わないーーー』
…〝それ〟を 知らず。またもし 知っていることなのに、文句を言うのなら、それを 受け入れられないのである。
人が『文句を謂う』とき、それに対する 理解が浅いか…誤解しているか…受け入れられないか、もう一つ…
※【相手の悪口(陰口)を謂うとき、相対的に 自分が良い人間だ!と アピールすることができるーーー】
※↑これは、私たちが 無意識なときに やってしまう愚かなる行為の一つである。くりかえす…無意識だからやってしまう! 意識していては、愚かな行為はできなくなる。
【愚かな行為をしている 殆どの人間は 無意識である!】
…こんなこともあったーーー三年ほど前の出来事だったーーー
ここ長崎には、路面電車が存在する。
私と彼女が、いつもの電停から駅方面に向かう電車に乗ったとき、座席はほぼ満席だった…。
二つ三つ停留所を過ぎていくと、車内は数人の人達が 吊り革を握っている状況になり、
次の停留所から…七十歳くらいのお婆さんが片手に杖を持ち、中央口から乗り込んできた……。
私が座っている席の左側前方に 電車の降り口があるので、そのお婆さんは、私の前を歩きながら降り口へ向かって行く…
…そのとき、私の すぐ左側に座っている若者が、お婆さんに 席を譲るべくお婆さんを見ながら立とうとした (よくある光景である…) が、そのお婆さんは、チラリ!と その若者を目で制する感じで、睨みつけ(←私にはそう見えた)て、何も言わずに 一番前の 吊り革にぶら下がった。…のである。
それを見た、私(関西人)は、無意識に【文句を謂ってしまったあ!】それも、関西人の特徴である【大きな声で】右横に座って一部始終を見ていた彼女にーーー
ーーー『今の (お婆さんの睨みつける) 態度は、ないよな~!』ってねーーー。
・・・そして、なんと! 数日後に、あのデジャヴュのように 同じことが 繰り返されたのである…
…が、ひとつだけ違っていた。
そのお婆さんは、その日 (機嫌が良かったのか?) は、立とうとした若者に、こう表現した!のである。
『私はね、若い頃、腰の手術をしてね…よく揺れる電車には座れないんだよーーーありがとうね』
ーーーそのとき私は、
【 頭レベルの 浅い理解が、深い理解(理会)へ 降りてゆくのを感じていた 】
あのお婆さんが、最初の場面で 若者に「表現しなかった」 とは言えーーー人(私)が 無意識で【文句を謂う】とき、その 文句を謂ってる人が、その事柄/事情を 把握していない。
本当に【知らない…わからない…理解していない…受け入れられない】ことから起きているのだーーー
という それまでは、 頭の浅い理解だったのが、二回目の場面で、心底、腹の理会に到った。
(ナマステ)
存在に感謝!……合掌ーーーーーー