「人間って、死ぬもんなんだよね……」

私が明日、死ぬとわかったら「自分にも相手にも優しくなる」
人間は、いつ死ぬかわからないんだ…みんなに優しくしよう。

自分が、いわゆる『文句を謂う』ときーーー

2012-12-23 07:44:47 | 気づき
あるとき弟子の質問に対して、OSHOがこう言った。

「ーーーその問題が 誰の問題なのか…よく見定めなさい…自分の問題か 他人の問題なのか…?」

もうひとつ「その問題は、あなたが解決できるものなのか、どうしようもないものなのか?」

「その問題が 他人の問題であり、どうしようもないものならば、あまり気にしないようにーーー」

Osho,



もう一つは、の私の体験談……
【理解には、浅い理解と深い理解がある】
浅い理解とは、【頭】の理解。深い理解は【腹】の理解でーーー理解会得すること、【理会】という文字で表現する。


【浅い理解から 理会へーーー】
人は皆『もし? 〝それ〟を知って(理解して)受け入れていたらば、文句は 謂わないーーー』

…〝それ〟を 知らず。またもし 知っていることなのに、文句を言うのなら、それを 受け入れられないのである。


人が『文句を謂う』とき、それに対する 理解が浅いか…誤解しているか…受け入れられないか、もう一つ…
※【相手の悪口(陰口)を謂うとき、相対的に 自分が良い人間だ!と アピールすることができるーーー】
※↑これは、私たちが 無意識なときに やってしまう愚かなる行為の一つである。くりかえす…無意識だからやってしまう! 意識していては、愚かな行為はできなくなる。

【愚かな行為をしている 殆どの人間は 無意識である!】


…こんなこともあったーーー三年ほど前の出来事だったーーー

ここ長崎には、路面電車が存在する。
私と彼女が、いつもの電停から駅方面に向かう電車に乗ったとき、座席はほぼ満席だった…。

二つ三つ停留所を過ぎていくと、車内は数人の人達が 吊り革を握っている状況になり、
次の停留所から…七十歳くらいのお婆さんが片手に杖を持ち、中央口から乗り込んできた……。

私が座っている席の左側前方に 電車の降り口があるので、そのお婆さんは、私の前を歩きながら降り口へ向かって行く…
…そのとき、私の すぐ左側に座っている若者が、お婆さんに 席を譲るべくお婆さんを見ながら立とうとした (よくある光景である…) が、そのお婆さんは、チラリ!と その若者を目で制する感じで、睨みつけ(←私にはそう見えた)て、何も言わずに 一番前の 吊り革にぶら下がった。…のである。

それを見た、私(関西人)は、無意識に【文句を謂ってしまったあ!】それも、関西人の特徴である【大きな声で】右横に座って一部始終を見ていた彼女にーーー
ーーー『今の (お婆さんの睨みつける) 態度は、ないよな~!』ってねーーー。


・・・そして、なんと! 数日後に、あのデジャヴュのように 同じことが 繰り返されたのである…
…が、ひとつだけ違っていた。

そのお婆さんは、その日 (機嫌が良かったのか?) は、立とうとした若者に、こう表現した!のである。

『私はね、若い頃、腰の手術をしてね…よく揺れる電車には座れないんだよーーーありがとうね』



ーーーそのとき私は、
【 頭レベルの 浅い理解が、深い理解(理会)へ 降りてゆくのを感じていた 】

あのお婆さんが、最初の場面で 若者に「表現しなかった」 とは言えーーー人(私)が 無意識で【文句を謂う】とき、その 文句を謂ってる人が、その事柄/事情を 把握していない。

本当に【知らない…わからない…理解していない…受け入れられない】ことから起きているのだーーー
という それまでは、 頭の浅い理解だったのが、二回目の場面で、心底、腹の理会に到った。

(ナマステ)


存在に感謝!……合掌ーーーーーー



ーーー目には見えないが、一本の糸がある。 パート1

2012-12-22 23:02:21 | OSHOの講話
(死のアート より抜粋)
The Art of Dying Talks on Hasidism P.21~22『生のあり方』
(略) …すべてが変わった。…何もかも。だがそれでも、どこか奥深く、ずっと変わらずに続いているものがあるーーー目撃していること だ。

目には見えないが、一本の糸がある。あらゆるものが変わり続けていても、この見えない糸は変わらない。
それは 生死を超えている。生と死は、生死を超えたものの両翼だ。
その超えたものは、生と死を荷車の両輪とし、互いに補い合わせて使い続ける。
それは 生を介し、死を介して生きる。
生と死は その過程、呼気と吸気のようなものだ。

あなたの中にある 何ものかが生死を超えている。
それすなわち 汝なりーーー超えたるもの。

だが、私たちは形に同化しすぎている。それが自我を生む。それが【私】と呼んでいるものだ。
もちろん【私】は何度も死ななくてはならない。
だから自我は つねに恐れ、わななき、震える。つねに心配し、守ろう、安全を確保しようとする。


スーフィーの神秘家が大金持ちの家の戸を叩いた。彼は乞食で、ただ 食べ物がほしいだけだった。
金持ちの男は乞食に向かってこう言った「ぜんぜん知らない顔だな!」
神秘家は言った「ですが…私は自分を知っています。もし その反対だったらどんなに悲しいでしょう。」
「皆が私を知っているいるのに、私が自分を何者か 知らないとしたら。そう、あなたの言うとおり、ここでは誰も私を知りません。でも 私は自分を知っています」


二つのうちどちらかしかないのだが、あなたは悲しい状況の中にいる。
皆があなたを、あなたが誰なのかを知っているかもしれない。
だが あなた自身は、自分の 超越性、本性、実在を完全に忘れている。
これこそ、生において 唯一悲しいことだ。いくらでも言い逃れはできる。だが本当に悲しいのは、あなたが 自分を知らないということだ。

自分が 誰なのか、どこから来たのか、どこへ行くのか、それを知らずして 幸せになれるはずがあろうか。
この、自分を知らない という根源的な無知のため、千と一つの問題が持ちあがる。

OSHO,
(パート2に続く)

星の王子さまが友達の狐に教えられた秘密【大切なものは、目に見えない】

2012-12-22 02:51:31 | 気づき
【大切なものは、目に見えない】

ーーー目には見えない 大切なものーーー【自由…愛…友情…平和…幸福…信頼…etc, 主観、感受力】

ーーー目に見えている 大切なものーーー【肉体(主体)、地球(太陽…星々)…肉体を(快適に)維持するのに必要なもの…】

……目には見えない 世界……【あの世(四次元)、ひとりひとりの 主観(感受性)により無限に存在するーーー】

……目に見えている 世界……【この世(三次元)、全体から見たある部分の世界ーーー】
(※こまかく言うと、肉体の目の眼底は平曲面なので、この目で見た世界像は奥行きのないベッタリとした写真(二次元)のように見える)


ほんとに【大切なもの】って、実際に存在するが、この肉体の目では見えない。
唯一!たったひとつだけ【大切(肝心)なもの】を認識できるのは、【第六感】だけ……。

その第六感を、育み、磨き上げ、成長させてゆく方法は、現在のところ、瞑想(内観法)しか 私は知らない。

…私にとって【大切なもの】は 瞑想(気づいていること)だーーー。

(…and you?)
たにぐち まさお

『世界に一つだけの花』~♪ナンバーワンにならなくてもいい♪♪♪

2012-12-20 18:12:59 | がんばらなくてもいいんだよ
♪2012年11月5日、JASRAC 日本音楽著作権協会が、過去最高30年間で、著作物の使用頻度の高い作品、1~30件を発表した。

…第一位『世界に一つだけの花』

ーーー「ナンバーワンに ならなくもいい~♪」 と 言いながら一番になったんですねーーー。

( Wiki の情報です)『世界に一つだけの花』の作詞家曰くーーー「とてもきれいな雨の降る朝だった。頭に浮かんでくる景色を文章化していくだけで自分が書いた感覚はなかった。
この曲を書けたこと自体 自分の才能だとは思っていない。
神様のプレゼントである(神託)。そうでなければこんな曲は書けない。

『ナンバーワンではなくオンリーワン』という主題は、『天上天下唯我独尊』という仏教の教えが念頭にあった。」(略)

「また、いくら他に沢山の薔薇があろうとも自分が美しいと思い精一杯の世話をした薔薇はやはり愛おしく、自分にとって1番の薔薇なのだと悟るという『星の王子さま』の話も基になっている。」Wikipedia より抜粋ーーーでした。


ーーー『王子が、狐から教えられた もうひとつの秘密【大切なものは、目に見えない】。』


さて、この『世界に一つだけの花(オンリーワン)』と同じ意味合いで、これとは違う言葉で表現をしてみよう。

『…ひとつだけの花』だから、だれの真似もしていないーーー『他人の真似はしない』

『…ひとつだけの花』だから、だれとも比べられないーーー『他のものと比べない』

『…ひとつだけの花』だから、不二の 香りを放つ……『真、善、美 の香り』


たにぐち まさお



愛は、目では みえないーーーが『感覚という目』で「かんじること」ができる。

2012-12-18 07:07:59 | 温故知新

五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)は、私たちの外側世界を感知するための 感覚器官であるーーーと、小学校で教わった。

【愛】とは、何かが「きっかけ(原因)となって」愛というものが、自分の【内側の世界】に湧き出てきたときに 胸の中心【HEART】で感覚的に 感知されるものですね。
※【愛】は、目に見えないーーー【異次元から 三次元に浸透してきた】もの。

その感覚された【愛】に 溺れて、自分自身が、愛そのものになりきってしまった状態を「【愛】している」と表現しているーーーあなたの すべてが【愛という存在】になってしまった状態ーーー【愛を している】

その 愛をしている【愛】を誰かと 分かち合うことを、「愛している」と表現している……。
※『あなただけ を愛しています』『私だけを愛してね』というのは「【愛】を誤解して、夢見ている人の表現」ですーーーまたは、脚本家が 恋愛ドラマの内容をおもしろくするために利用した方便です。

愛は【相手を選ばない】愛は、その人の【すべてを愛する】

愛が、相手を選んだとき、その愛は【恋に落ちるーーー】


【恋になってしまった 愛 】は【愛の香り】を残してーーー ゆっくりと消えてゆくーーー【Honeymoon】。


じゃあーーーどうすれば、避けられる?のかーーー。
まず、自分を【愛】にするーーー【汝の敵を愛するーーー】【汝(自分)の敵(きらいなところ&きらいな性格)を愛する】
違う言い方するね。

自分で、自分のからだの一部分を「敵のように嫌う」ことと
自分だけが知っている他人に見られたくない「嫌な性格」(ブラックカード)とを受け入れて 愛するーーー『自分という【人間を愛せなくて】なぜ?他人という人間を愛せる?』

『自分の「キラキラ部分」しか好きになれないのなら、相手の「キラキラ」しか好きになれない』
『…相手の「暗い部分」が見えたとき、ハネムーンが…終わるとき……』


ーーーいつまで、同じパターンで 苦しむの…か?
ーーー「カードを全部、テーブルの上に、広げなさい!」


『自分のすべてを【愛】する!』 ≫ 『相手のすべてを【愛】せる~~~』


たにぐち まさお