「人間って、死ぬもんなんだよね……」

私が明日、死ぬとわかったら「自分にも相手にも優しくなる」
人間は、いつ死ぬかわからないんだ…みんなに優しくしよう。

【第八話 心地の法】06

2013-06-11 14:12:07 | OSHOの講話



臨済は言う。
「道(タオ)を 奉ずる者たちは、つかんで、働かせる」ーーー彼らは 心地(シンヂ)を 把握する。

彼らは 自らの 実存そのものを把握し、働かせるーーーが「けっして名をつけないーーーこれが〝玄旨〟と呼ばれる」彼らは、それ を把握し、生涯にわたって それを働かせる。

彼らは それと ひとつになる。

だが、それについては、それ が何であるかについては 一言も語らない。


あなたは それを得ている師(マスター)と ともに生きなければならないーーーおそらく 深い沈黙のなかで、師とともに坐りながら。

すると、あなたのハートと 師のハートが シンクロナイズ(同調)して、同じリズムで 踊り、調和のとれた音を 奏ではじめる。

何も 語られず、何も 聞かれない。 にもかかわらず、すべてが 理解される。

このことゆえに、それは〝玄旨〟ーーー神秘的な原理 と呼ばれる。

それを 語った者はなく、それを聞いた者もない。

だが、数限りない人々が それを生きてきた。



宗教は 解釈ではなく、体験だ。

それは 学ばれるものではなく、生きられるべきものだ。

すべての宗教が 道を外れたのは そこだ。

諸宗教は 聖典になり、寺院、教会、シナゴーグになった。

大衆に合わせて 祈りや、儀式を つくり出した。

諸宗教は、大衆が必要とするものなら 何でも進んで提供しようとするーーーただ 信者の群れを 確保するために。

なぜなら、追従者たちの存在は 政治的な力になるからだ。



あなたがたの いわゆる宗教はーーー私はこれを自白のもとに曝したいーーー隠された政治以外の 何ものでもない。

宗教的な 顔をしてはいるが、その顔は本物ではなく、仮面だ。

内側深くに あるのは、純粋な政治以外の何ものでもない。

当然、諸宗教は 大衆を慰めなければならない。

宗教が、ただ 群れを確保するために 何も知らない大衆を慰撫(イブ) しなければならないとは、実に滑稽で 馬鹿げたことだ。


(つづく)


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