(最後の質問)P.82~
愛する Osho,
私は、山中の岩の欠片です。私には、それすら認める勇気がありません。
認めるどころか、夢を見ています。Osho、なぜ私に、川や 海や 空のことを話してくださったのですか。
どうして 私などに、サニヤスをくださったのですか。
私は 山中の岩の欠片なのです。
誰もが皆、岩の欠片だ。
究極の栄光を手にしない限り、岩の欠片でいるしかない。
だが、岩の欠片であることは、悪いことではない。
岩の欠片は、ぐっすり眠って、いびきを かいている神以外の何ものでもない。
それは 眠れる神だ。
岩の欠片に、悪いところはない。が、目覚めなければならない。
だから、あなたに サニヤスを与えた。
あなたは、「どうして 私などに、サニヤスをくださったのですか」と尋ねている。
サニヤスとは、あくまでも あなたを目覚めさせようとする、あなたを揺り動かそうとする、あなたを はっと気づかせようとする努力だ。
サニヤスとは、まさしく 目覚まし時計だ。
「それすら」ーーーあなたが 山中の岩の欠片であるということーーー「認める勇気がありません。認めるどころか夢を見ています」
そうやって、夢を見て、岩は 自分の成長を避ける、自分の未来を避ける。
夢見は、障害だ。
夢を見て 私たちは、現実を避ける、真実を避ける。
それが 私たちの逃げ方、他にはない。
夢見、これが唯一の 逃げ道だ。
私の 話を聞いているときでも、あなたは 夢を見ている。
ここに 座っているときでも、あなたの マインドの中で、千と一つの思いが 駆けずり回っている。
過去と未来に 思いを馳せたり、私の言うことに 賛成したり、反対したり、自分の中で議論したり。
だが、あなたは 私から離れている。
私は 事実としてここにいる。
ここで 夢を見る必要はない、あなたは ここで、私とともにいられる。
その成果は、計り知れないものとなるだろう。
だが、私たちは 夢を見続ける。人々は 夢想家であり、夢想するのが その生き方だ。
女性と 愛を交わすとき、人々は 夢を見ている。
食べているときも、夢を見ている。
道を 歩いているときもーーー散歩に出かける、陽が昇った、すばらしい天気だ、皆が 起きだす、生が再び戻って来るーーー人々は夢を見ている。何も 見ていない。
私たちは 夢を見続ける。夢見は 目隠しとなる。私たちは 現実を見ずにいる。
「Osho、なぜ私に、川や海や空のことを話してくださったのですか」
なぜなら、それが あなたの 可能性だからだ。
岩は 飛ぶことができる、羽を 生やすことができる。
私自身、かつては岩だった。
それから羽が生えだした。だから、私は 知っている。
あなたは 知らないかもしれないが、私は あなたの可能性を知っている。
だから、川や海や空のことを話したのだ。
岩は 花になり得る、川になり得る、海になり得る、空になり得る。
あなたの 可能性は無限だ!
それは 神の可能性に等しい。
あなたには 多種多様の 可能性がある。
だから、私は 川や 海や 空のことを語り続ける。
(…つづく)
愛する Osho,
私は、山中の岩の欠片です。私には、それすら認める勇気がありません。
認めるどころか、夢を見ています。Osho、なぜ私に、川や 海や 空のことを話してくださったのですか。
どうして 私などに、サニヤスをくださったのですか。
私は 山中の岩の欠片なのです。
誰もが皆、岩の欠片だ。
究極の栄光を手にしない限り、岩の欠片でいるしかない。
だが、岩の欠片であることは、悪いことではない。
岩の欠片は、ぐっすり眠って、いびきを かいている神以外の何ものでもない。
それは 眠れる神だ。
岩の欠片に、悪いところはない。が、目覚めなければならない。
だから、あなたに サニヤスを与えた。
あなたは、「どうして 私などに、サニヤスをくださったのですか」と尋ねている。
サニヤスとは、あくまでも あなたを目覚めさせようとする、あなたを揺り動かそうとする、あなたを はっと気づかせようとする努力だ。
サニヤスとは、まさしく 目覚まし時計だ。
「それすら」ーーーあなたが 山中の岩の欠片であるということーーー「認める勇気がありません。認めるどころか夢を見ています」
そうやって、夢を見て、岩は 自分の成長を避ける、自分の未来を避ける。
夢見は、障害だ。
夢を見て 私たちは、現実を避ける、真実を避ける。
それが 私たちの逃げ方、他にはない。
夢見、これが唯一の 逃げ道だ。
私の 話を聞いているときでも、あなたは 夢を見ている。
ここに 座っているときでも、あなたの マインドの中で、千と一つの思いが 駆けずり回っている。
過去と未来に 思いを馳せたり、私の言うことに 賛成したり、反対したり、自分の中で議論したり。
だが、あなたは 私から離れている。
私は 事実としてここにいる。
ここで 夢を見る必要はない、あなたは ここで、私とともにいられる。
その成果は、計り知れないものとなるだろう。
だが、私たちは 夢を見続ける。人々は 夢想家であり、夢想するのが その生き方だ。
女性と 愛を交わすとき、人々は 夢を見ている。
食べているときも、夢を見ている。
道を 歩いているときもーーー散歩に出かける、陽が昇った、すばらしい天気だ、皆が 起きだす、生が再び戻って来るーーー人々は夢を見ている。何も 見ていない。
私たちは 夢を見続ける。夢見は 目隠しとなる。私たちは 現実を見ずにいる。
「Osho、なぜ私に、川や海や空のことを話してくださったのですか」
なぜなら、それが あなたの 可能性だからだ。
岩は 飛ぶことができる、羽を 生やすことができる。
私自身、かつては岩だった。
それから羽が生えだした。だから、私は 知っている。
あなたは 知らないかもしれないが、私は あなたの可能性を知っている。
だから、川や海や空のことを話したのだ。
岩は 花になり得る、川になり得る、海になり得る、空になり得る。
あなたの 可能性は無限だ!
それは 神の可能性に等しい。
あなたには 多種多様の 可能性がある。
だから、私は 川や 海や 空のことを語り続ける。
(…つづく)