goo blog サービス終了のお知らせ 

「人間って、死ぬもんなんだよね……」

私が明日、死ぬとわかったら「自分にも相手にも優しくなる」
人間は、いつ死ぬかわからないんだ…みんなに優しくしよう。

ーーー『美は世界を救う』とロロ-メイが答えた…第八章、創造的精神… 05

2013-04-07 18:27:36 | 「美は世界を救うか」『美は世界を救う』
(…私は ヘンリー-ミラーのこの言葉が大好きです。
「芸術家は現存の価値観を投げ捨てて……不和ともめごとを撒き散らそうとします。
その結果、情動の解放によって、死んだものも生き返ることができます」と。
またこう述べております。
「私は、偉大で不完全なるものに喜んで駆け寄ります。
その混沌状態が私に栄養を与え、そのつまずきが私の耳には神の音楽のように聴こえるのです」と。)


ニューヨーク市で 行われた ある美術展覧会の一部として、こわれた自動車が公園の片隅の、私の事務所のある建物の前に 引き出されてきました。

この「静物」は、建物のなかで行われていた展覧会の ひとつの出品物だったのですが、たしかに大きすぎて なかには 入れることが できなかったのです。

美術家たちは、くるまのハンドルに 牛の腸をまとわせ、座席には、赤い血を 塗りたくっておりました。

近所に住む 保守的な人びとは 激怒して警察に連絡しましたので、二、三時間後には くるまの残骸は 運び去られてしまいました。
しかし、
芸術家たちは できる限りの 力強い言葉で 叫ぶばかりでした。
「これが近代技術の しわざなのだーーーわれわれの メッセージを 受け取ってくれ!」と。


現代芸術の多くは、次のようなタイトルをつけることができるでしょう。
「人間性に 目覚めよ!」
「生き生きと 生きよう!」
「目の前の世界を よく見よう!」など。
こうしたことが、感情の 死んでしまった人びとを 蘇らせ、感情のない ロボット、つまりは高度技術文明に適応することを 私たちに強制した機械的条件を 蘇生させ始めております。


そこには、もっと深いレベルでは、美と 倫理的価値との 強力な相互関係があります。

美 というものは、すべてのものが 調和している その形式なのです。

そして そのことはまた、そのまま 倫理の定義ではないでしょうか。


最後に 考察したいことは、そして おそらくは最も重要なことだと思いますが、芸術には 優雅さが つきまとっている ということなのです。

「芸術は、優雅さを求める人間の探求」の 一部なのだ、と グレゴリー-ベートソン (GregoryBateson,1904-1980) も言っております。

その優雅さが 映し返している芸術と美に よって、私たちは 自分自身を統合することが できるのです。
私たちは、フロイトが「第一次」、「第二次」過程と 呼んだものを それによって統一することができるのです。


芸術の機能はまた、啓示 (revelotion)という言葉で 述べることもできます。

芸術は たえず美を 啓示することですが、それと同時にまた、科学に匹敵するような意味で、しかし まったく違った形式で 真理をも 啓示しているのです。


(つづく)

ーーー『美は世界を救う』とロロ-メイが答えた…第八章、創造的精神… 04

2013-04-05 10:52:55 | 「美は世界を救うか」『美は世界を救う』
(…P.143~
…もっともはっきりした例がベートーベンの生涯なのです。)

彼は、恐ろしい幼少期を経験するのですが、彼の伝記作家たちの語るところによれば、彼の 創造的な才能は、彼が受けた こうした試練と密接な関係をもっているのです。

ベートーベンの父親は、大酒飲みであり、母は 彼がまだ若いときに亡くなり、そのために 十八歳のときから、彼が 家族の全員を養わなければならなかったのです。
彼は 結婚することを熱心に望んでいたのですが、とうとう一度も 結婚しませんでした。
しかし彼は、あのような 素晴らしい音楽を 創作することができたのです。

彼の伝記作家は書いておりますーーー「ベートーベンの生涯において、音楽形式に 顕著な発展や変革が 起こったときには、必ずそれに相当する精神的な発展が起こっており、それには 例外はまったくありません」と。
つまり、精神的な発達と 音楽形式の発展とは、必ず並行していたのです。
他のものを 変革する ということは、同時に 自己自身の変革なのです。


ときには こうした変革は、現代の 芸術家の目には、かならずしも良いものには映らないかもしません。
オランダの画家 レンブラント(Rembrandt van Rijn, 1606-69) の場合がそうでした。
彼が まだ若いときには、彼の絵は どこでも売られていました。
当時 彼は、私たちが今、大変な成功と呼ぶような状態にあったのです。
しかし 彼が年をとって、もっと深いものを もつようになると、彼の人生の 悲劇的な体験ーーー子供たちの死、妻の死ーーーのために、彼の絵は もっと陰気で 深い性質を帯びてきて、当時の オランダ人には あまり売れるものではなくなってきたのです。
そのことは、彼の自画像に はっきりと映っています。
どの絵を見ても、以前の絵よりも もっと悲劇的になっているのです。
彼の 画家としての人気は だんだんと下り坂になっていきました。
というのは、当時の 若い人びとには、もっと華々しい、もっと売れやすい作品が 流行しており、レンブラントは それに 媚び へつらおうとは しなかったからです。

彼は、迷うことなく、自分自身の才能の導く道を 歩んだのです。

こうした 後半生の 創造的な貢献のために、今では彼は、当時の最大の画家として認められております。
彼は 悲しみと貧困のうちに亡くなりました。
その当時の人びとは、彼レンブラントを 失敗者と 見なしたのです。
今私たちは 彼を、あらゆる時代を つうじて最大の画家として承認しているのですが、それはまさに、

自己自身の変革と 美術の変革が、手に手をとって すすむことが できた からなのです。


そこには もうひとつの問題があります。
それは、創造性と 価値観との関係です。
価値観は たしかに、サイコセラピィと大きな関係を もっているのですが、芸術または美とは あまり関係がないように思われるかもしれません。

創造的人間の研究によれば、創造的な人びとは、価値観に関する限り、不道徳(immoral) ではないけれども、無道徳(amoral) だといわれます。
創造的な人びとは、一般的な 同調主義者の道徳律ーーー多くの人びとが そのなかで育てられておりますがーーーには あまり関心を もっていないのです。
同時にーーーそしておそらく、この伝統的な道徳から 自由であることの故にーーー創造的な人びとは、別の種類の倫理をもっているのです。

それは 機械的に教えられた規則ではなくて、むしろ 統合性それ自体(integrity itself) なのです。

それは 紙に書いた結婚証明書なのではなくて、その結婚関係の真実さ なのです。

それは 健康のルール-方法なのではなくて、自然に対する 敬意であり、人間の身体に対する 敬意なのです。

私は ヘンリー-ミラーの この言葉が大好きです。
「芸術家は 現存の価値観を 投げ捨てて……不和と もめごとを 撒き散らそうとします。
その結果、情動の解放によって、死んだものも 生き返ることができます」と。

またこう述べております。
「私は、偉大で不完全なるものに喜んで 駆け寄ります。
その混沌状態が 私に栄養を与え、そのつまずきが 私の耳には 神の音楽のように聴こえるのです」と。


(つづく)

ーーー『美は世界を救う』とロロ-メイが答えた…第八章、創造的精神… 03

2013-04-04 21:47:21 | 「美は世界を救うか」『美は世界を救う』
(P.142~)

【人間の自己変革】

形式を論ずるときに起こってくる ひとつの原理は、美を創造するときに それに伴って起こる人間の自己変革ということです。
どのような創造活動においても、私たちは 世界を破壊し、それを また作りなおすのですが、それと同時に 必然的に、自己自身をも 作り変えるのです。
自分を変える といっても、『華麗なるギャツビー』(The Great Gatsby) ( アメリカの作家、スコット-フウィッツジェラルドの1925年の作品 ) の悲劇のような意味で そうするのではありません。
グレート-ギャツビーは、その服装だとか、アクセントだとか、銀行の通帳など、いわゆる外面的なものだけを 変えたのです。

私たちは むしろ、宇宙における形式の もっと深いレベルを理解した上で それを変えるのですが、それはまた 自己自身でもあるのです。
私たちは 自分の眼前の光景を 想像のなかで見るのですが、そのことは ある程度 自分の自己を見ていることでもあるのです。
そう言えば いささか奇妙なパラドックスのように 聞こえるかも知れませんが、そうしたことは、どんな創造的な人にも あることなのです。
「創造的な人は、自分の仕事をしているときに、自分の生涯の努力について 見通しを もっていることが多いのです。
つまり、自分で自分自身 小宇宙(コスモス) を創造しているのです」と、創造性研究の心理学者 フランク-バロンは 述べております。
いわば どんな精神でも、人生を 生きすすんで行くうちに だんだんと自分を ひらいていくのです。
創造的な人間というのは、自分の音楽とか 美術のなかから ある秩序を生み出そうとするばかりでなく、自分自身の人生のなかにも ある秩序を作ろうとするのです。
芸術のなかでは 自分の形式を たえず探求していくのですが、そのことは 自動的に自分自身の統合を求めることになり得るのです。


そのことの もっともはっきりした例が ベートーベンの生涯なのです。

(つづく)

ーーー『美は世界を救う』とロロ-メイが答えた…第八章、創造的精神… 02

2013-04-03 19:19:28 | 「美は世界を救うか」『美は世界を救う』
(P.135~)

創造的な活動に たずさわっている人間の精神について探求してみたいと思います。

この創造する力ーーーすべての人間が もっているのですが、その もっている度合が違っていますーーーというものは、本質的にいえば、混沌のなかに フォーム (形式-かたち) を 見つける ちからであり、まったく かたちのないところに形式 (フォーム) を創りだす能力なのです。
そこから 美が導き出されます。
というのは、美とは そのフォーム(形式) なのですから。

美は 宇宙のなかに ひとつの形式(フォーム) を 作り出しますーーーケプラーの言葉を 借りるならば、軌道の調和 ですが。
それは、遊星の旋回のなかに存在する 形式(フォーム) なのです。
それは、私たち自身の からだの曲線と バランスのなかに存在する形式(フォーム) なのです。
そして とくにそれは、私たちの 世界を見る 見方のなかに存在しているものなのです。
というのは、私たちは、世界を知覚するという まさにその行為のなかで、世界に 形式(フォーム) を与え、その形式(フォーム) を 作り変えていくからです。
そのために必要な 想像力は、人間を 人間らしくする ひとつの要素なのです。

さて「形式(フォーム)」という言葉は、難しい言葉です。
難しい ひとつの理由は、人間が 現代社会において その言葉を、安っぽく使っているからなのです。
私たちは、形式(フォーム) が 私たちの生きることのなかで 最も重要な局面であることを忘れて、あるものを「単なる形式性」と呼んだりします。
また、興味深いものを「生命力」などと呼ぶ反面、」形式的にすぎないものといった、バカにした 言い方をします。
あるいは、「空虚な形式」よりも「実質」などとも言います。
こうしたことが すべて、とんでもない誤解を 生み出しているのです。

こうしたこととは反対に 私たちは、形式を「本質」(essence) として、私たちが 取り扱っているものの 自然の性質として 見なければならないのです。
ウェブスターの 辞書のなかの説明を見ると わかりやすくなるかもしれません。
「形式は 事物の 本質的な 性質で あり、それが 具体化 されている 物質とは 区別されます」と。

私たちは、プラトンが、本質についての観念を 天国に おいていたことを思い出します。
彼は それをまさに形式と呼んだのです。
形式は、さもなければ ただの混沌であるものに与えられた パターンであり、イメージであり、秩序なのです。
形式は、人間の生活の 非物質的な 構造であり、私たちは それを基盤にして 生きているのであり、私たち自身の 特定の性格も それを基盤にしているのです。

フランク-バロン (Frank Barron) は、とくに創造的な 人々について研究を すすめた人です。
バロン博士は、創造的な人びとと、その対照群としての、とくに創造的でない人びとに、自分の作ったカードーーーたくさんの さまざまな絵が 描かれているカードーーーを 見せて、そのなかから自分の 一番好きなカードを 選び出すように させました。
創造的でない人びとのグループは、規則正しい絵が描かれたカードを選びました。
彼らは、明確で、理解しやすく、混乱していない絵を 選んだのです。
しかし創造的な 人びとは、混沌としたカードを選びました。
創造的な人びとの 最も顕著な特徴は、この 混沌を好むということでした。

彼らは、まったく形式の見られないような 走り書きのようなものを 好むのです。
混乱のなかに チャレンジを見るのです。
そのなかから 形式を作り上げようとするのです。
ヘンリー-ミラー(Henry Miller, 1891-1980) の言葉を借りれば、「自分のまわりの混沌に、自分自身の秩序を作る」のです。
それが 彼らの生きる目的なのです。
とくに 才能に 恵まれていようといまいと、これが、あらゆる人間の 基本的な創造性の 局面なのです。

人間の想像力は、物事を 形式のなかに おさめようという、こうした努力のなかに あらわれてきますーーーそれは、ときには情熱であり、ときには ただの好奇心にすぎないかもしれませんが。
アインシュタイン(Albert Einstein,1879-1955) が、物質とエネルギーとの間の関係は、E=mc2 という公式で 示されると 主張したときに、彼は まさにこのことを やっていたのです。
人間の精神は、明らかに より少ない度合ですが、いつでも このことをやっているのです。


(つづく)

ーーー『美は世界を救う』とロロ-メイが答えた…第八章、創造的精神… 01

2013-04-03 12:43:50 | 「美は世界を救うか」『美は世界を救う』
(P.133~)
第八章「創造的精神」

(エネアデス)

だが、それでも 君自身の美しさを見ることができなければ、

彫像制作者のように ふるまうがよい。 彼の つとめは 美しい彫像を創りあげることで、

(そのために) 彼は、いろいろな部分を取り去ったり みがいたり、

なめらかにしたり きれいにしたり、

これを ねばり強く つづけることによって彫像に 美しい容姿を 与えるのだが、

同じように君も、君の 余分なところを取り去り

曲がったところを まっすぐにし、

暗くかすんでいるところを きれいにして 輝きを与え、

この作業を ねばり強くつづけながら

徳のもつ 神のような栄光が

君の上に 輝きわたるまでは、

つまり 滑らかな台座に 鎮座まします節制を見るまでは、

君の彫像作りを やめてはならぬ



ーーープロティノス. 紀元二百七十年 ( Plotinus, 270 A. D. )


(第八章、本文につづく)