28日は、おとんの七回忌。・・・
嫁さんが、「もう、そんなになるのねぇ~」と、つぶやく。・・・
確かに、丸まる6年経つ。・・・
おとんの人生は、あの時から大きく変わった・・・
・・・あの時・・・
漬物店の職人をしていた父は、少ない給料で一家を支える為、朝は母親と一緒に牛乳配達の仕事をし、続いて漬物店で重労働の毎日。・・・
漬物店の職人と言うと、ほとんどの人が、野菜を樽に付け込んで出荷するぐらいしか浮かばないと思うが、実はスケールが違うのだ。・・・
10メートル四方のコンクリートで出来ている囲いがあって、それの深さが5メートルあり、そこに大量の大根とぬか、塩、その他(企業秘密)を、でっかい機械で入れて行き、数か月漬け込んでいく。・・・酒造の樽や醤油製造の樽なら、想像できると思う。同じ感じ・・・
このでっかい漬け樽を、「バック」と、呼んでいる。・・・
父は、何度もその「バック」に落ちたことがある。・・・ほとんど、一人で365日、その「バック」の面倒を看る。・・・漬物も醗酵食品なので、生きているから。・・・落ちるのは、毎度の事。・・・
落ちたことが、気付かれずに、夜中までそのまま気を失っていた事もあった。・・・
それでも、病院へ行かずに、次の日も元気に休まず仕事に行った。・・・
畑の仕事もある。・・・大根を種から育てて、漬物にしていたから・・・
真冬。大根を収穫し、天日に干す作業。・・・15mの高さのやぐらを組んで、大根を一本一本干していく。・・・そこでも、やぐらの上から、転落。・・・やはり、病院へ行かずにそのまま作業し続けた。・・・
子供の頃、父は、不死身だと、真剣に思っていた。・・・
泣き言を言わない、人の悪口を言わない、嫌だと言う言葉を言わない、・・・みんなに、やさしい・・・
おとんの手は、仁王さまの手と同じで、とても大きく分厚く、岩石で出来ているようだった。・・・でも、とても、あたたかい。・・・
私が、社会に出て10年ほどしてから、ひとり暮らしをしていた頃。・・・
事故は、起こった。・・・
仕事で出た廃材を処分するため、ごみ処理場へ行ったとき・・・
大きなパレットと呼ばれる廃材を、処理施設の深さ3mの処へ投げ込んでいるとき、一緒に落ちてしまった。・・・首の頸椎の神経が潰れて・・・
集中治療室で治療しているとき、面会に来た私に、声にならない息で「も・う・あかん・悔い・は・ない」と、言った。・・・私は、必死に「おとん、死ねヘンって言うたやんか!不死身やろ!」と、訴えた。・・・
おとんは、小さく「が・ん・ば・る」と言った。・・・
しばらくして、退院したが、全身麻痺は、治らなかった。・・・自宅療養となった。・・・
おとんは、自分では何も出来なくなり、寝返りさえもできず、母親が介護した。・・・
それでも、首から上は今まで通り、決して泣き言を言わない。・・・
一人で、天井を見つめて、唄をうたって、一日を過ごしていた。・・・
毎日、毎日、昨日も、今日も、明日も・・・たぶん何年続くか分からないが、生きている間ずっと・・・ただ、それだけしか出来ない。・・・
それでも、おとんは唄いつづける。・・・いつかは、きっと動くからと・・・
10年が過ぎた頃・・・「お父ちゃんはなぁ~もう、思い残すことない~」・・・そう言った。・・・
それから2年ほどして、・・・他界した。・・・
その時、私がおとんに対して言った、集中治療室での「不死身やろ~」という言葉を思い出していた。・・・あの時、自分のわがままを言ったんだ。・・・あのまま死なせてあげれば、10年も苦しませんでもよかった。・・・後悔した。私が、わがままを言って、無理やり、苦しみの地獄へ向かわせてしまった。・・・ごめん。おとうちゃん。・・・
あれから、この28日で七回忌。・・・
おとんが消えてしまってから、なんだか、いつも近くでいるような感覚がある。・・・なんだか、悲しくない。・・・たくさんの思い出や私のために残したもの、全てが、おとんなのだ。・・・
いつかは、おとんを超えようと思っていた。・・・
けど、無理・・・
とても、越えられない・・・
おとんの精神力には・・・
絶対、叶わない・・・
やっぱり、おとんは・・・
不死身なんだ・・・
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