いちのかやのブログ

情報共有を目的とした素っ気ないブログです 笑
ソースは自分で探したみたいにURLをお持ち帰りになり、拡散希望です

お出掛けして、他人の気配を感じよう

2023-09-28 16:38:47 | 日記

長いパンデミックで、皆さんはどんな風に生活が変わったんだろう。
自分について言えば、実はほとんど以前と変わっていない。
相変わらず旅行し、ライブへ行き、外食をし。
でも、友人と会うことは極端に減ったね。
友達と一緒に楽しんでいた習い事、ライブは一人か家族としか行っていない。
スポーツジムにも人は戻ってきたけれども、まあ、色々いるよね。
マスクしてエアロビクスとか私にはありえないんだけれども!
私はエアロビクスにはトラウマがあって、初めてやった若い時にすっかり息が上がってしまって頭痛になったの。
だからやらないと決めているんだけれども、マスクしてでもやりたい人っているんだね。

そうは言っても、マスクはしてでも外に出かけて人と関わったり、何か運動したりすることは引きこもっているよりはずっといいと思う。

だって、一人暮らしだし、友達なんていないしって人もいるかもね。
その場合は、絵を見に行くとか、おすすめはライブなんだけれどね。

東京の六本木にあるビルボードライブ東京って、カウンター席もあるからお一人様も多いんだよ。
ライブって、出演者と観衆が一体になって作る世界じゃない。

ま、会話がなくても、他の人の気配があって、一緒にその世界にいるのはどうかなってちょっと書いてみたかった。

 

紹介するサブスタックは私が気に入っていて購読しているライターさんのもので、移動の制限とうつ病の相関関係について書かれている。


大体、こんな内容。


(1)新型コロナウイルス感染症のパンデミック中の移動制限に関して、JAMA ネットワークに掲載された最近の研究(https://jamanetwork.com/journals/jamanetworkopen/fullarticle/2809947)では
アメリカ成人における地域社会の移動とうつ病症状との相関関係が詳述されている。

 

(2)特に社会的交流や移動を制限することによる意図せぬ心理的影響についての深い疑問、つまり地域社会の移動性の低下がうつ病の症状の増加と相関している。


大いに同意したのは、次の文章。

「人間の精神は孤立するようにはできていない、と仮定することもできます。社会的関与は、人間の生活の単なる付随的な側面ではなく、不可欠なものです。」

 

https://covidreason.substack.com/p/the-unseen-toll-of-staying-home-untangling
家にいることの目に見えない代償:新型コロナウイルス感染症流行下におけるうつ病と地域社会の流動性の糸を解きほぐす
ジャスティン・ハートJUSTIN HART  2023/09/28


人間は文句の多い動物

2023-09-13 16:48:21 | 日記

 

人間て、文句の多い動物だよね。

いつもいつもグチグチ言って、ああでもないこうでもない、ああ言えばジョーユー

でも、何が正解かなんてこと、ほとんどのものにはないんだし、多数決っていうのも正しいとは限らない。

住んでいる国や地域、文化も違えば、常識も違う。

宗教の違い、信仰を持っている人いない人、無神論者、

経済的に富んでいるか、いないか

これらすべてを同じ物差しで測ることはできない。

でも、たったひとつの正解があるとすれば、それは、

「文句を言う自由」があるのが人間、ってことだと思うの。

「文句を言う」=「ルールに従わない」(まっとうなルールに限る)ではないからね。

というか、「自由にものを考える」「意見が口について出てくる」これを止めようがないのが人間だと思うんだ。

そうじゃない人がいたら、私ならその人は人間であることを放棄した人って考えてしまうかな。

その上で、意見を交わしあって、どこかで妥協点を見出して、なんとか折り合ってやっていくのが社会だと思ってる。

↓に引用したのは、お気に入りのサブスクライバーさんのレターにあった偉人の言葉なので、貼っておくね。

 

 

 

George Washington wrote:
 
“If men are to be precluded from offering their sentiments on a matter, which may involve the most serious and alarming consequences that can invite the consideration of mankind, reason is of no use to us; the freedom of speech may be taken away, and dumb and silent we may be led, like sheep, to the slaughter.”
 
「人類の考慮を招く可能性のある最も深刻で憂慮すべき結果を伴う可能性のある問題について、人々が自分の感情を表明することを妨げられるのであれば、私たちには理性は役に立ちません。言論の自由は奪われ、口もきけない私たちは羊のように屠殺場に導かれるかもしれない。」
 
 
 
 
 
Benjamin Franklin wrote:
 
“Freedom of speech is a principal pillar of a free government: When this support is taken away, the constitution of a free society is dissolved, and tyranny is erected on its ruins”
 
「言論の自由は自由な政府の主要な柱である。この支柱が剥奪されると、自由な社会の憲法は解体され、その廃墟の上に専制政治が築かれることになる。」
 
 

違いを創るということ、貢献、承認

2023-09-09 01:36:29 | 日記

 

昨日ブログに書いたランドマークエデュケーションのブレークスルーテクノロジーコースについて更に書いてみる。
 
本当にただの独り言
2023-09-06 23:47:42 | 日記
 
 
コースの内容をどこまで話してもいいのか分からないのだけれども、「トランスフォーメーション」と「貢献」について。
トランスフォーメーションは、立場(見方)を変えて違いを作る、というような事だったと思う。
 
他人と話したり、他人の意見を聞いたり、読んだりするなかで、どうしても気に入らない、嫌い、反対、反発、鬱陶しい等のネガティブな感情が湧きおこってくることがある。
しかし、他者が自分に対してしてくるアクション、掛けてくる言葉、意見される、叱られる、批判される、極端な話だと悪口や陰口を言われたなどの事すべては、その人からの自分への「貢献」なんだと思ったらどうだろう?
沈黙や無視は貢献なしって事なのです。
そして、ネガティブ意識は有害以外のなにものでもないのです。
騙す、騙される?それも貢献です。
 
なかには、到底受け入れがたいものもあるが、しかし、一旦受け取る。
そして、自分を浸してみる。
浸してみるという事は、自分の内面であれこれ考えてみるということ。
貢献してもらったと考えて、受け取ってみる。(受け取る=同意する ではない)
浸っているうちに、自分の中で変化が起こる。
それは、やっぱり違うとより強く思う、から、全く違う考えが思い浮かぶまである。
クリアになっていくんだ。
 
このいい事でも、嫌な事でも、他人が関わってくる、関わってきてくれるという事自体がその人は自分に貢献してくれているという考えは、なかなか役に立つ。
まず、冷静に話が聞けるし、特に嫌な話ほど宝の山だったりするからね。
 
もちろん、考えたけれども、やっぱりいらないという事がハッキリしたというケースもある。
その場合は、あなたの言ってることを承認したよ!それとは別の話で、私はいらないから捨てるね、ポイ!かな。
そこに相手が嫌いとかいう感情はまったく付随していない。
相手は違う風にとるかもしれないけれども。
 
でも、たいていの場合、もっと良いことがある。
自分はいらないけれども、あなたは持っていてもOKなんだよと肯定できること。
これって、何をしているかというと、器を拡げているんだ。
 
知り合いで、度々「地獄」について説いてくる人がいる。
私は正直言って、その人が真面目に地獄を信じているのかどうかは知らない。
宗教を信じている人は、もれなく地獄を信じているのだろうか?そうなんだろうね。
そうでないと、宗教は成り立たないように思う。
 
で、私はというと、無宗教なんだよ。
でも、私の神様はいて、それは文字通りの創造主、宇宙を創った意識ある存在なんだ。
その創造主はただ、あるがまま。
宗教やそのうちにある天国や地獄は人間の意識が作ったものでしょう?
一方、地球や空や風や火や樹木、これは人間が作ったものではない。
(それすら、イリュージョンだという話しは複雑になるから、とりあえず置いておく。)
だから、私にとって自然は宗教やその教えにある天国や地獄っていう概念の上にあるものだ。
 
そもそも、話している次元が違うから、まったく嚙み合わない。
地獄はある!いやいや地獄はない!って話になるんだけれども、ふと思った。
 
普段、地獄なんて考えもしない私に地獄を突き付けてくるその人は、なんとなく地獄なんてないと
思っているところを、うん、あるのかも知れないけれど、私には要らないよ。だって...まで考えさせてくれたんだから、それはそれで、お互い違うね!ってことでいいのではないか。
 
少なくとも、私は地獄はあってもなくてもどっちでもいいよ、私は地獄はいらないけれどもね、に考えが変わったから。
あるとかないとか言い争うのは無駄なことだ。
 
もっとも、その人はもしかしたら、Aだろ!Aだろ!Aだろ!って言い続けて、最後にBしかないよな!Aだとか馬鹿丸出しwwwwwとか言いかねない人かも知れないけれどもね。
 
無理やりまとめてみたわ(笑
 
地球、風、火とか言っていたらナイスな曲が聞きたくなった。9月だし。
良かったら、どうぞ。
 
Earth, Wind & Fire - September (Official HD Video)
https://www.youtube.com/watch?v=Gs069dndIYk
 
 
 

本当にただの独り言

2023-09-06 23:47:42 | 日記

以前ブログに書いたランドマークエデュケーションのブレークスルーテクノロジーコースについて少し書いてみる。

宗教との関わり(4)
https://blog.goo.ne.jp/admin/editentry/?eid=e69383dd196398301ae3cdf65c30cb01&sc=c2VhcmNoX3R5cGU9MSZsaW1pdD0xMCZzb3J0PWRlc2Mma2V5d29yZD0lRTUlQUUlOTclRTYlOTUlOTkmcD0x

このコースは3日と一晩、3日間は朝から夜9時頃まで、内容はひたすら会話することだ。
コースをリードするディレクターがテーマを投げかけて、なにかシェアしたい人は挙手してディレクターとやり取り。
その内容は一般的な事から、ディレクターへの確認、今の話しの感想、時にはプライベートな体験まで、一見脈絡なく続く。
それを他の参加者は聞いている。
対話が打ち切られると、ディレクターは今の対話について会話して下さい。一人で心の中で、隣の人と、5人一組となって、等。
そして、その後、またディレクターは問いかける。
今の会話で、シェアしたい人はいますか?
最初にシェアした人、他の人が次々と挙手をして話し始める。
そんな風なんだ。
集団で行う自問自答、禅問答。

 

個人的な悩みを話した人は最後にディレクターから問われる。
「あなたは、それを持っていたいですか?」
シェアした人が、なお、ああだこうだ言い始めるとディレクターは無慈悲に言う。
「では、もうしばらく、そこに自分を浸しておいてください」(笑)


もちろん、嫌な思い出、辛い思い出など持っていたい人はいない。
でも、本当にそうだろうか?
いつまでも、持ち続けたいと思っていないだろうか?
なぜって、それは、その思い出の為に自分はこうなったと正当化したいから、言い訳にしたいから、自分をペテンにかけている。
思い出を思い出、過去のものとして、現在と切り離すことができないと先へ進めない。
過去のものと出来た時、「完了した」と言う。

 

では、本当に「完了」できたのか?検証できるのか?
そんなものはない。
自分で自分に宣言するということなんだ。

これは、スピ界隈で言う、「手放す」と同じ事と私は解釈している。
「手放し」を理論的に進めるための技術。だからテクノロジーと言っている。

 


何だか、今、今、シェアする必要があると思ったのでブログに書く。
私にはまだ完了できていない思い出がいくつもある。
その一つ。
中学1年の時の話しだ。
あるとき、いきなり緊急学級委員会でやり玉に挙がった。
ある生徒の体育館履き(運動靴)の底がナイフで切られて、その犯人が私だと言うんだ。
ご丁寧に証拠まで作ってあった。
もちろん、私はそんなことはしていない。
想像もできない。
人の持ち物を傷つけるなんてことは。

私は必死で違うと訴えたが、結局犯人は分からずじまいだし、他人がどう結論付けたかも分からない。
担任の先生はじっと聞いていて、最後にこう言った。
人には信念ってあるから...。
意味不明。
多分、先生には私の訴えは届いていたのだと思っているけれどもね。

 

このおかげで、私の中学生生活は地獄みたいだった。
私は内に籠った。
表向き、忘れたように振る舞い、明るくしてはいたけれども、もう誰のことも信じられなくなった。

あれから随分経つ。ほとんど忘れていた。

 

ところがね、ごく最近、思い出すようなことが起こったの。
誰かが私に成りすましていたんだよ。
私が今、やることを控えている事を私がしたみたいに捏造したの。
そのこと自体が重大な結果を招くとか、なぜ、そんなことが起こったのかとか、どんな理由で?とかは正直言って気にならないと言えばうそになるけれども、どうでも良い。
苛まされるのは、それをしたのは、多分私が敬愛している人なんだと思うから。
そんな人なら、敬愛するに値しない、離れるべき、と人は言うかも。
でも、それで私はいいんだろうか?
不完了が増えるだけ。
先へ進めない。

 

人を信じていたい。
人に誠実でありたい。
ここで、もう絶対に人を信じない、誠実なんてないんだと思ったら私の負けだ。
これから先だって、同じような事は起こるだろう。
でも、何度でもトライするパワフルさを持っていたい。

だから、ここで宣言する。
「完了する」


ビリー・ジョエルのこの曲は、あんまり好きな曲ではないけれども、今宵は深く浸ったので、もしよかった聴いてみてね。

 

Billy Joel - Honesty (from A Matter of Trust - The Bridge to Russia)
https://www.youtube.com/watch?v=24FUtxigtjs


瞑想について(2)

2023-09-02 17:53:11 | 日記
 
私は3、4日通ってマンツーマンで瞑想法を習得したのだけれど、
瞑想について
 
 
再開するようになって...だけれども実は毎日真面目に実践しているわけでもない。
 
何というか?合わないんだ、この瞑想法。
 
ハタ、と思ったのが、いらないんじゃないか?これ って。
 
物心ついた頃から私は自分の中に埋没するのが好きだったようだ。
 
自分の中で問答していて、無意識になっていたかどうかも分からないんだけれども、気が付いたら1時間も経っていたなんてザラで、母にも真っ暗な中で何してるの?いつも何考えてるの?と声をかけられてハッと気がつく、とか。
何も考えていないと答えても母は納得できなかったみたいだ。
 
まあ、これが瞑想というには乱暴すぎるけれどもね。
 
言いたいことは、誰かがこうしろとか方法を教えてくれても、それは必ずしも自分に合っているとは限らない。
また、自分でどれが正解かと探し回るのも違う。
瞑想法やその他なんでも。
 
これが正解!とか誰かが言っていても、それだけで私はあーそうですか!私はノーサンキューかも?って思うんだろう、何処まで行っても。
 
自分に集中する。
 
ヨガも良いね。何故かっていうと、ヨガのポーズって自分に集中しないと上手く出来ないんだよ。
でも、できた時心地よい。