いっちゃんのよもやまばなし

ユートピア活動勉強会で使用した政治・経済・歴史などの書籍やネット情報、感想などを中心に紹介します。

自主防衛を急げ! ― 日本人の覚悟 日下公人 / 伊藤貫 著 李白社

2016年03月03日 17時17分19秒 | セミナーなど
2011年の5月18日に取り上げた同書は、今から考えると非常に先駆的な内容でした。「中国の核戦力に日本は屈服する」に併せてあわせて、日下公人氏のコメントを中心に紹介します。

李白社の内容紹介
今、明かす日米関係の「真実」と新米保守派の「デタラメ」。裏では「ジャップ!」と呼ぶキッシンジャーら知日派米国人。日本のグランド・ストラテジーとは何か。「対米依存」はなぜ間違いか。「自主防衛」はなぜ必要か。このままでは日本は崩れてしまうー白熱大議論。
(引用は以上)




依存は堕落に通じる(概意)とはアダムスミスの言葉だそうで、独自核の開発を進めたドゴール仏大統領の思いにも通底しています。

以下に気になった日下氏のコメントを紹介します。

昭和天皇の苦衷を忘れてはならない 日下
昭和50年、昭和天皇はテレビ会見で、記者団から「原子爆弾をどう思われますか?」と尋ねられたとき、「戦争ですから」とお答えになっている。翌日の朝日新聞は「天皇は逃げた」と書いた。昭和天皇ははっきりお答えになられたではないか、(真意は)「戦争は何でもありだから、止むを得ない」と。日本が先に発明したら日本も先に使ったはず。《これには異論もあります》

日本は百年先を行く「超先進国」である 日下
構造協議は故意にした誤訳、イニシアティブは協議ではなく「命令に近い指導」。日本人はお金よりも心の幸せを求めるようになってきた。それを含めた経済学はまだアメリカにはない。均衡の主因として価格だけを見るのが主流となっていて、それ以外を見るのは傍流にされている。大きく見れば、世界は「価値の多元化」や「相互に認め合う共存化」に進んでいく。日本では当然のこととされているが、外国はいまから始めても百年かかる。

それでもかつては「国家意識」があった 日下
吉田茂の時代が終わったばかりの日本人には国家意識が残っていた。全国総合開発計画策定の審議会には満州国の残党がかなりいた。そういう人達の話の根底には国家論があった。彼らは工業の指摘配置から入ることに疑問を抱いていた、最適人口配置プランから入るべきではないか。最適人口配置は何で決まるのかの質問に対して、軍事的配慮であると答えた。だから、現在でも離島および北海道や沖縄の辺境に日本人を配置しておかなければならない。下知島の3000m級滑走路を生かして自衛隊の駐屯地にすればよい。所得倍増計画の後には、幸福倍増計画が浮上したことがあった。元海軍中尉の大蔵省調査官が強く反対し、経済企画庁は採用しなかった。国家は国民の幸福観にまで立ち入ってはいけない。

アメリカは中世の叡智をご破算にしてしまった 日下
イギリスは勢力均衡論でいうとバランサーと呼ばれる。(強きをくじき弱き助ける)しかし、日本は誠心誠意が好きで、バランサーには向いていない。これは実力の無い国の思考、天下泰平の江戸時代の武士がそれ。英語の諺には「正直は貧乏人の正義」「弱者の武器」というのがある。ハンス・モーゲンソーの言葉に“名誉あるバランサー“と“不名誉なバランサー“というのがある。イギリスは前者でイタリアは後者、違いは実力。イギリスがついた方が勝つ。冷戦後、日本は結果的に名誉ある方となったが、自分の実力を知らなかった。例えば、レーガンに対して「冷戦勝利への特別国債」であれば買うと言うべきであった。ニューヨークタイムズは社説で勝因として、①レーガンの不退転の決意と②日本の財政的支援を挙げていた。
欧州はギシシャ・ローマ時代には奴隷がいたが、一千年の間に、①徐々に奴隷を無くし、②キリスト教国同士が後々まで恨みを残すような非人道的な戦いをやめようと暗黙の合意に達した。アメリカは「神の招命」を持ち出し、インディアンの撲滅、南北戦争、日本への原爆投下を行い、①奴隷を使わない戦争 ②条件付降伏 ③平和の回復という戦争作法をご破算にした。

ウェストファリア条約の意義 日下
30年戦争はハプスブルグ家と阻止しようとする勢力、カソリックとプロテスタントの戦争で消えた町や村が百以上ある悲惨な戦争であった。最も重要なのは「原則として他国の宗教に口を出してはならない」という大原則が確立されたこと。

中国人の本質は「文」(外見の粉飾)である 日下
中国にとって「兵は詐なり」軍事力の一つ、文は飾るの意味。何事であれ見かけが大事。日本のインテリで騙されなかったのは、聖徳太子、菅原道真、内藤湖南、岡田英弘、現在は石平が有名。時事通信社の2005年のアンケートで中国が好きと答えたの4%、嫌いと答えたのは40.5%。日本の庶民の知恵は的確に中国の本質を捉えている。

北の核など日本の「死活問題」ではない 日下
戦後日本は焼け野原になった、その日本がこれだけ復活できた。あの焼け野原に比べれば、テポドンが十発飛んできても水爆ならともかくプルトニウムであれば運が悪いという程度。密集市街地にうまく当たるかどうかも分からない。ブラフをかけてきても、縮みあがってはいけない。第二次世界大戦後1954年のディエン・ビェン・フーの戦いでホーチミンは仏軍を包囲して全滅させた、フランスは「原子爆弾を使う」と言い出した、ホーチミンは「使うなら使え」と答えている。日本人よ気概を持て!その決意があるからこそ、アメリカはフランスに対して再侵略はやめるように忠告した。

孤立しても「核」を選んだインドに学べ 日下
日本はスパイ防止法がないので日本には情報を教えられない。スパイ防止法を作ることは核武装ほど国防力強化になる。1998年インドは核拡散防止条約(NPT)を無視して、核実験を実行した。日本も経済援助をストップして、川口外務大臣が訪印してて援助を再開することになった。インドの新聞によれば空前絶後の大歓迎をされた。世界中を敵にまわして孤立した、その後ブッシュと話しあって新しいNPTを結びなおした。「改定」とか「廃棄」とか言わずに、「よいものができたからこちらにしましょう」というかたちにした。

防衛問題は”戦場の常識”から考えよ 日下
苦戦している友軍は助けに行かない、というのが戦場の常識。いま行く、いま行く!と言って、アッツ島もサイパン島も硫黄島も沖縄もそうだった。ニューヨークやワシントンといった都市が火の海になるリスクを冒してまで日本を守るだろうか、ということは子供の頭で考えても分かる。安保条約には具体的な取り組みは書かれていない。モーゲンソーは「同盟はともに強くなければ維持されない」と書籍に書いている。

日本兵の規律正しさが「日英同盟」の原動力だった 日下
「守城の人」(村上兵衛)の主人公である芝五郎大将は北京に出兵したほかの国の軍隊はイギリスもフランスもロシアも略奪の限りを繰り返したが、規律正しく引き上げも潔かったことを英国ジャーナリストは絶賛した。総司令官の公使クロード・マクドナルドは事変後駐日公使に転じると、ソールズベリー首相に会って日英同盟を勧めている。

あまりにもお粗末なF・ルーズベルトの歴史観 日下
 Fルーズベルトはカサブランガの米英連合会議(1943)でドイツと日本に無条件降伏を要求すると語った。チャーチルは「それでは戦争がタルタン人の時代に戻ってしまう」と反論した。チャーチルはウェストファリア条約以来の暗黙の了解があるから、数日間抵抗した。ヒットラーはこの宣言を聞いて絶望した。ドイツはカサブランカ宣言以来、見違えるほど強くなった。スターリンでさえ、「ヒットラーに跪けと要求するような戦争をするな」と忠告している。ヒットラーを滅ぼしてもドイツ人は残るという認識は戦争に対する大人の見方。

アメリカは日本の「潜在能力」を恐れている 日下
ワシントンの人間は日本を脅威と感じている。脅威とは「意思」と「能力」がある。ウラジオストックの極東艦隊は「意図」があったが、「能力」は第七艦隊より低かった。日本のロケットは軌道をそれてワシントンの真上を通過した(2002年のH2A?)ことがあるし、プルトニウムもすぐ作れる。沖縄駐留のスタックボール中将が「ビンの蓋」論を唱えたのもこの点にある。《極東裁判で米国の法曹関係者は日本に報復権があると語っている》実際には日本をいじめていまの強い中国を作ってしまったという認識が欠落している。日本に世界新秩序を構想する能力が無いのがこの不景気の根本原因、アメリカばかりを責めるのは自分を劣位において安住する思考。

北朝鮮の恫喝に屈したクリントン政権 日下
94年の米朝合意直前はかなり危機的な状況があった。アメリカ海軍はトマホークを使えば北朝鮮の核施設を簡単に破壊できると考えたが、陸軍がこれに反対した。北朝鮮はソウルを火の海にすると恫喝した。韓国にはアメリカ第2師団の3万人に加えて家族が3万5千人いた。ペリー国分長官はクリントン大統領に死者は百万人、アメリカ人も8万人から10万人死亡し、軍事費用は1千億ドルにのぼると報告した。あのとき、日本は「日本の航空自衛隊も協力する」とか「在韓米国人家族の引き揚げに全面協力する」とか言うべきであった。日本のタテ割政府は責任を押し付けあった。そうすれば日米同盟は揺らがなかった。ゆらぐのは日本に自分を守る決意がないからである。米国人家族3万5千人を48時間以内に輸送すると決めて、自衛隊は勿論、JALもANAもレジャーボートもかき集めて、日本各地の温泉旅館に案内すべきであった。そう語っていたのは佐々淳行氏であった。

聖徳太子の故知に学ぶ時期がきた 日下
聖徳太子の「日出る処の天子、日没する国….」は、隋の煬帝が史上稀に見る暴君であったから。周辺国に朝貢を強要し高句麗を攻めようとしていることに気が付いた。煬帝が怒り出すことは百も承知であった。結果、十年後隋は唐に滅ぼされた。アメリカには日本に感謝するグループもいる(日本企業が進出している州など)、そうであるなら分断する戦略をとってはどうか?親日派の議員のお膝元の州に日本企業を進出させる。しかし、百年の歴史で見れば日本を敵にまわした国はかならず没落している。清、ロシア、蒋介石の中華民国、英国も日英同盟を廃棄してから落日の一歩手前。攻撃精神や略奪精神が旺盛で、誠心誠意の国ではないから。自制心や共存共栄や感謝する心がないから。

「保護なきところに忠誠なし」日下
第2次世界大戦のマレーシア、軍政下で日下氏の父は6つある裁判所の裁判所長に任ぜられた。中国のゲリラが南下してきた、日本軍は討伐し十羽一からげにして連行してきた。全員抗日ゲリラなので国際法に従って死刑にせよと要請してきた。日下氏の父は、住民に尋問した、「中国人のゲリラはどの程度の頻度で姿を表すのか?」1週間に1-2回、「では日本軍は?」1月に1回くらい。同氏はローマの「法諺」を使って判決文を書いた。「保護なきところに忠誠を求むる謂れなし」南方司令部から参謀が飛んできて、軍の威信を示せ」という。「われわれは内地で天皇陛下の何より判決文を書いていた。ここでは寺内総司令官の名前で判決を書く。司令官も天皇陛下の下にあるのだから、いい加減な判決を書いたら陛下にご迷惑がかかる」当時のエリートにはそのような気概があった。日本の敗戦でイギリス戻ってきたら、6人の裁判所長のうち5人が死刑に処せられ
た。保護なきところに…は世界の常識らしい。この問題の重要性を分かっていたのは、安倍さんぐらい。

アメリカ人の罪責感と恐怖心 日下
ハムラビ法典以来報復の原理があり、基本的には倍返し。米国の講演会でそう語ったら会場は静まり返った。日本人はこの罪の意識に付け込まないといけない。

米国の利益を代弁する″サロゲート〟たち 日下
日本の親米保守主義者は米国を擁護する、これをサロゲート(身代わり)と呼ぶ。石破 大臣は2009年の地下核実験の成功を受けて、「敵地先制攻撃なんて言ってどうする」と 発言した。最初から核保有を除外している。抑止力が大切と言ったが、その中身はまるでハッキリしない。

「核武装へ」十五のステップ(続) 日下
1 歴史問題をクリアする 中国には歴史認識カードしかない、さんざん議論しているう
ちに、世界はこの60年以上日本は何も悪いことはしていないと悟るにきまっている
2 金融不況については自己責任原則を提案する 世界に日本の存在感を示す良い機会になる
3 アメリカの財政危機や経済危機の対策について条件付で協力する 
4 国連から脱退する 拒否権のない国会を作ろうと提案する、提案が受け入れられないなら拠出
金を断る どうしても受け入れられないなら脱退する、そして新しい国連を作る
(東京財団の研究会で発言したら、安倍幹事長代理はアメリカはついてくると発言した) 
5 最後に「日本の道」を宣言する 大事なことは一つでもステップを上がること。

以上 いかがでしょうか。

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