いっちゃんのよもやまばなし

ユートピア活動勉強会で使用した政治・経済・歴史などの書籍やネット情報、感想などを中心に紹介します。

中東から世界が崩れる イランの復活、サウジアラビアの変貌 高橋 和夫 著

2016年10月28日 17時11分05秒 | 書籍の感想とその他
中東の情勢に関する報道では、スンニ派とシーア派間の抗争を軸に解説が行われる傾向があります。実際には夫々の民族・部族の歴史、地理上の特徴などの知識を押さえておかないと表層的な理解に留まってしまうというのが著者の主張です。
ややもすると結論が見えない国際政治学者の論説が多い中にあって、細部に拘らずに中東諸国の事情を分かりやすく解説する好著です、お薦めです。



余談ですが、内容が多岐にわたっているため勉強会においても内容を粗々こなすのに3時間以上もかかってしまいました。(笑)


シリアに関して印象的な指摘としては、プーチン大統領はシリアでアサド大統領にすがらざるを得ない少数派のキリスト教徒を救う、旧ソ連時代モスクワに受け入れたシリア人留学生(バース党)に嫁いだ”ロシアの花嫁”を救う大義に、国民の支持が寄せられていること。

一方の米国は極悪非道のアサド大統領はすぐ崩れると読んでいたにも拘わらず、リビアやエジプトと異なって同胞(自由シリア派)に向かって平気で銃を撃ち、しぶとく生き残る。(政策は失敗)少数派のアラウィー派が占める軍は躊躇することで自らが滅ぼされる恐怖を抱いていあから、そのような行動がとれる...。

しかも、アサド大統領はISを叩くどころか石油を買って反体制派同士の戦いを陰で煽り(政治利用)、国外に向けては「現政権を選ぶのかISを選ぶのか」と狡猾にも開き直る。

シリアと敵対関係にあるイスラエルも、合理的な判断をする非道の大統領の方が殉教を望む過激派よりもましと判断している。過去にも両国は戦かったことは無かった。

ロシアもロシア系ユダヤ人の存在があって、シリアを攻撃する際はイスラエルに事前の根回しを行い一定の配慮を示す。複雑怪奇のように見えても、行動には必ず原因や背景が潜んでいることに驚かされる例です。

著者は中東において、いわゆる国民国家らしき国家はイラン、トルコ、エジプトの三国しかなく他は”国もどき”と分析し、第1次世界大戦後のサイクスピコ条約によって、民族とは関係なしに引かれた国境が見直されない限り遠心力が働くと予想しています。

時事に関わることとして、米国大統領候補のヒラリー氏はシリアに飛行禁止区域を設けると主張していますが、プーチン氏はモスクワ市民を救うためにシェルターを準備したと宣言しています。これが意味することは結構深刻で、トランプ氏を歓迎するのは本音だと思います。

イランとサウジアラビアの国交断絶に関しては、以下に、第1章 第1章「国交断絶」の衝撃から引用します。

二〇一六年は、中東の大国イランとサウジアラビアの国交断絶で幕を開けた。発端は、サウジアラビアによるイスラム教シーア派指導者の処刑である、......。

一見すると、サウジアラビアの国内問題に過ぎないような問題が、たちまちサウジアラビアによるイランとの国交断絶にまで到ったのはどうしてだろうか。背景には、両国の深刻な対立がある。

宗派だけではない。まず理解しておかねばならないのは、イランがぺルシア人の国であり、アラブ人の国ではないという事実だ。そしてサウジアラビアは、「アラビア」という名前の通り、アラブ人の国家である。両国が民族的にはまったく異なることは重要だ。

一方で、イランはかつて栄華を誇ったぺルシア文明の国なので、アラブ人のようなもともと遊牧民だった人々をどこかで下に見ている。中国人がモンゴル人やチベツト人を見下しているのと似ていて、イランはぺルシア版の「中華思想」を持っているとも言える。

他方、サウジアラビアはイスラム教の聖地であるメッカ、メディナを抱えている。そのためか、自分たちは神に選ばれた国であり、「神州」だと自負している。つまり、イラン人もサウジアラビア人も、どちらも自分の方が偉いと思っているのた。

しかも、サウジアラビアは王制で、イランは一九七九年の革命以来イスラム共和制を採ってきた。イスラム共和制とは、国民が間接的に選ぶ宗教的指導者が国の最高権力を持つ政体である。 サウジアラビアとイランは中東の各地で対立し、最近もイラクやシリア、そしてイエメンにおいて、両国の支持を受けた勢力が争っている。

サウジアラビアがこの時期にニムル師の死刑を執行したのは、偶然ではないたろう。二〇一六年一月は、特別な意味を持つ月だった。二〇一五年夏、イランと欧米など六カ国との間で、イランの核開発に関する合意が成立した。つまり、イランは濃縮ウランの国外持ち出しなど一連の措置を取って核兵器開発の意図のないことを明らかにする。他方で、国際社会はイランに対する経済制裁を解除する。

この合意を実施するタイミングが、二〇一六年一月だったのである。実際に一月中旬、イランに対する経済制裁が解除された。サウジアラビアは、あえてこのタイミングで騒ぎを起こしたと思われる。 すなわち、シーア派世界が強く反発するのを承知で死刑を執行したのだ。

サウジアラビアが国交断絶も恐れずに、イラン国内の急進派を剌激したのは、 イランへの危機感が高まっていたからだ。客観的事実かどうかは別として、あくまでサウジアラビアの視点からすると、サウジアラビアは現在、非常に厳しい状況に置かれている。

スンニ―派のサウジアラビアのすぐ隣には、バーレーンという小さな島国がある。バーレーンは、少数のスンニー派が多数のシーア派を抑えている国だ。そこでシーア派が不穩な動きを見せている。それは、同じシーア派のイランがけしかけているからだとサウジアラビアは見ている。

さらに深刻なのは、サウジアラビアの南に位置するイエメンだ。内戦状態にあるイエメンで活動しているホーシー派と呼ばれるシーア派の一派は、イランが操っているというのがサウジアラビアの見立てである。

ここ一、二年のサウジアラビアには大きな変化が見られる。王位の交代が行われる中で、若い王子が国防を担当するようになった。その結果、内戦状態にあるイエメンに武力介入したり、イランとも国交を断絶する事態を招いたりしている。アメリカにしてみれば、「今の若い王子様は、自分たちの立場や役割をよく理解していない」という思いだろう。

アメリカにとっても、サウジアラビアが単に思い違いをしているだけならいいが、実際に地域を不安定化させるような行動を取られては困る。これまでは、「サウジアラビアはそんなに愚かではないから、われわれから買った“おもちゃ”で戦争を始めたりしない」ことを前提にしていた。ところが、若い王子はその“おもちゃ”をイエメンで実際に使い始めたのである。

引用は以上

一時、イスラエルはイランへの適地先制攻撃も辞さずと主張していましたが、両国の国民感情はそれほど悪くないというのが著者の印象です。両国は歴史的に戦争をしたことはなく、旧約のバビロン捕囚からユダヤ人を解放したのはペルシャ人であったことは見逃してはならない事実であると思います。

日本はイスラエルやパレスチナ難民も含めて中東諸国と良好な関係を維持しています。複雑で困難な事業かもしれませんが、長い歴史を背景に絡まった糸をほぐし橋をかけることができるのはわが国かもしれないと感じています。





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