前回に続き今日は、両親が始めたお店について、お付き合いくださいませ。
市川食料品店は、中央市場の4坪の2階のある長屋の1軒でした。
昭和30年、当時岩見沢は、黒いダイヤと呼ばれた石炭を運ぶ重要な中継地点で、北海道の中でも重要な土地柄で、たくさんの人たちが集まる土地でした。
映画「ALWAYS三丁目の夕日」で描かれたように、どこの街でも活気があり、どんどん街が膨らんでいきました。
その中で、私の両親は初めて商売をしたものすぐには、上手くいくはずもなく、ご近所の皆様に助けられながら大変な努力をしてようやく,自分たちの進む道を切り開いていきました。
そんな両親の背中を見て育った環境が、今の私の思いに繋がっているのだと思います。
年月が過ぎ市川食料品店は、「美味しいものを買うなら、市川だよね!」と言われるようになりました。
~今、嫁の私が思うこと、時代とはいえ、よく幼い子供たち(主人は四兄弟)を育てながらの商売は、並大抵のことじゃない苦労が、あったと思います。
私達の店 市川燻製屋本舗のホームページもよろしくお願いいたします。お買い物サイトは、現在調整中です。
市川食料品店は、中央市場の4坪の2階のある長屋の1軒でした。
昭和30年、当時岩見沢は、黒いダイヤと呼ばれた石炭を運ぶ重要な中継地点で、北海道の中でも重要な土地柄で、たくさんの人たちが集まる土地でした。
映画「ALWAYS三丁目の夕日」で描かれたように、どこの街でも活気があり、どんどん街が膨らんでいきました。
その中で、私の両親は初めて商売をしたものすぐには、上手くいくはずもなく、ご近所の皆様に助けられながら大変な努力をしてようやく,自分たちの進む道を切り開いていきました。
そんな両親の背中を見て育った環境が、今の私の思いに繋がっているのだと思います。
年月が過ぎ市川食料品店は、「美味しいものを買うなら、市川だよね!」と言われるようになりました。
~今、嫁の私が思うこと、時代とはいえ、よく幼い子供たち(主人は四兄弟)を育てながらの商売は、並大抵のことじゃない苦労が、あったと思います。
私達の店 市川燻製屋本舗のホームページもよろしくお願いいたします。お買い物サイトは、現在調整中です。