イチゴロー’s Memorandum

日々の出来事、雑感や思いついたことの記録です

JAL123便

2018-09-23 09:42:22 | 日記
YouTubeの「迷航空会社列伝」という番組でANAの機材運の無さを取り上げていました。その中でANAのボンバルディア機が高知空港に胴体着陸した話がありました。
それで思い出したのは1985年、御巣鷹尾根に墜落したJAL123便の機長だった高濱雅巳さんです。コントロールを失ったB747を約30分も操縦し続けた機長です。
当時の日本航空では最も優秀なパイロットと言われていました。その高濱機長が「操縦していたからこそ、30分も飛んでいられたのだ」と他の機長たちは口を揃えて証言したそうです。
その時の状況を再現したシミュレーターで操縦したら、誰もが10分も保たずに墜落したようです。それほど難しい状況の中で飛ばし続けた高濱機長の心中はいかばかりのものだったのか。恐怖に怯えながらも乗客を無事に地上に帰すことしか考えていなかったのではないでしょうか。
高濱機長は海上自衛隊を退官後、JALに入社したと聞きます。
イラン・イラク戦争時、民間機と言えどもイラン上空を飛行する航空機は撃墜する。というイラクの一方的な宣言が出された時、当時の野党などの反対で救援機がイランに向けて飛ぶことはありませんでしたが、準備していた救援機への搭乗を高濱機長は真っ先に志願したそうです。
高濱機長が救援機への搭乗を志願したのは、自衛官の服務の宣誓「私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身をきたえ、技能をみがき、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。」がベースになっていたのではないでしょうか。
この宣誓通りに最後まで諦めずにB747の操縦を高濱機長は続けていました。

この事故で亡くなられた524名の方々のご冥福をお祈り申し上げます。