安倍文殊院 Vol.5 からの続き
いろんな宗教書もえらいお坊さんの本も読んだ。
有馬なんたらの茶の湯の本も読んだ。
言っていることは理にかなっているのであるが、腑に落ちない。
宗教書に書いていることや偉い人の言葉で
なぜ、プロ野球選手の給料は高いのか、
地方の建築現場で働いて、毎日働かせてももらえずに、
給料から宿泊代と飯代を引かれて、
まともに働けば30万円以上もらえる給料を
1ヶ月1万円に満たないことがなぜ起こるのか、
その答えを聞くことが出来ない。
そういうことも雑念も捨てて無になりなさいと言われても、
はいそうですかとなれるわけがない。
みんながみんなそんな人間になると人類は滅亡する。
その言葉でプロ野球選手の年俸を説明できないのならその言葉に普遍性はない。
それがお釈迦様の言葉と言われても、イエスキリストの言葉と言われても
説明が出来なければ普遍性はない。
酒を飲んでうだを巻いているおっさんの方がよっぽど普遍性があるときがある。
時々きらりと。
生きようとし、子孫を残そうとするから
お坊さんも法話を言って存在感を示すことが出来る。
本当に坊さんの言う通りにしていたら
基礎のないお寺が建立することになる。
宗教関係の建物は人々の欲望が基礎になっている。
お釈迦様が偉いから、キリストの愛で建っているのではない。
どちらも大きな建物を建てろとは言っていない。
むしろ否定している。
欲を捨てて自分を研ぎ澄ましていくよりも
すべての欲を認め、善と悪の区別なく、シャバに身を置き、
積極的に影響を受けるが染まらない態度が一番大事かなと最近思う。
悪は憎むべきものとしてその存在が出て来た時点で
小さいうちにつぶしてしまう。
それではつまらない。
自分の中に悪を大きく育てても使わない。
激しいせめぎあいの中で中立を保つ。
ちょうど、すべての-∞と+∞を含んだ”0”のように。
インドではその”0”のことを大日如来と言う。
すべての善と悪が均衡を保たないと大日如来は現われないということである。
悪を肯定し、悪を育て、
そして悪を使用しないと説く宗教者にはまだ出会っていない。

水彩 各10分 4つ切
PS
最近、西田哲学を読む機会があった。
今までの日本人にはない叙事詩的なものがあり、
少し可能性があるように感じた。
しかし、俗に染まりきっている私には
哲学の師の西川さんの言葉の方が
あっているようだ。
西田哲学は険しく高くそびえたつ山。
西川さんは河川敷に転がる石。
断崖絶壁の山を登ろうとしている人がいる。
その人のおかげで西田哲学に触れる機会を得た。
その忍耐、精神性に拍手を送る。
とても私には出来そうにない。
いろんな宗教書もえらいお坊さんの本も読んだ。
有馬なんたらの茶の湯の本も読んだ。
言っていることは理にかなっているのであるが、腑に落ちない。
宗教書に書いていることや偉い人の言葉で
なぜ、プロ野球選手の給料は高いのか、
地方の建築現場で働いて、毎日働かせてももらえずに、
給料から宿泊代と飯代を引かれて、
まともに働けば30万円以上もらえる給料を
1ヶ月1万円に満たないことがなぜ起こるのか、
その答えを聞くことが出来ない。
そういうことも雑念も捨てて無になりなさいと言われても、
はいそうですかとなれるわけがない。
みんながみんなそんな人間になると人類は滅亡する。
その言葉でプロ野球選手の年俸を説明できないのならその言葉に普遍性はない。
それがお釈迦様の言葉と言われても、イエスキリストの言葉と言われても
説明が出来なければ普遍性はない。
酒を飲んでうだを巻いているおっさんの方がよっぽど普遍性があるときがある。
時々きらりと。
生きようとし、子孫を残そうとするから
お坊さんも法話を言って存在感を示すことが出来る。
本当に坊さんの言う通りにしていたら
基礎のないお寺が建立することになる。
宗教関係の建物は人々の欲望が基礎になっている。
お釈迦様が偉いから、キリストの愛で建っているのではない。
どちらも大きな建物を建てろとは言っていない。
むしろ否定している。
欲を捨てて自分を研ぎ澄ましていくよりも
すべての欲を認め、善と悪の区別なく、シャバに身を置き、
積極的に影響を受けるが染まらない態度が一番大事かなと最近思う。
悪は憎むべきものとしてその存在が出て来た時点で
小さいうちにつぶしてしまう。
それではつまらない。
自分の中に悪を大きく育てても使わない。
激しいせめぎあいの中で中立を保つ。
ちょうど、すべての-∞と+∞を含んだ”0”のように。
インドではその”0”のことを大日如来と言う。
すべての善と悪が均衡を保たないと大日如来は現われないということである。
悪を肯定し、悪を育て、
そして悪を使用しないと説く宗教者にはまだ出会っていない。

水彩 各10分 4つ切
PS
最近、西田哲学を読む機会があった。
今までの日本人にはない叙事詩的なものがあり、
少し可能性があるように感じた。
しかし、俗に染まりきっている私には
哲学の師の西川さんの言葉の方が
あっているようだ。
西田哲学は険しく高くそびえたつ山。
西川さんは河川敷に転がる石。
断崖絶壁の山を登ろうとしている人がいる。
その人のおかげで西田哲学に触れる機会を得た。
その忍耐、精神性に拍手を送る。
とても私には出来そうにない。
こっそり、ブログ拝見していましたが、思わずコメントしたくなりました。
「悪を肯定し、悪を育て、
そして悪を使用しないと説く宗教者にはまだ出会っていない。」
いいですね~ 凄く新鮮で腑に落ちました。
ありがとうございました!!
いやあ、うれしいです。
みんな平場で易しく生きられたらいいですね。
またよろしくお願いします。
「みんな平場で易しく生きられたらいいですね。」
アホですみません。どういう意味ですか?平場?
能力のある人でもない人でも
関係なく対等に話をする場所です。
釜ヶ崎では相手の魂はいかほどかと
どんどん試していきます。
こちらも臆することなく相手を試します。
腹の探りあいというものではなく、
自分の生きてきたものをドンとぶつけて
相手がどう反応するかを観るんです。
そこに貴賎やお金のある無しに関係なく、
裸の人間をどう見ているかを観るんです。
そして、困っている人を優しく扱うのではなく、
困っている人がいれば、時には手伝い、
時にはアドバイスをし、お互い自立しあうように
補っていく。
それもシンプルに対等に
そういうのが易しくと思っています。
大阪近郊の方なら
一度、おっちゃんたちと会ってみます?
会えばわかります。
6月15日 朝9時半
阿倍野ハルカス横 陸橋上 集合
白日会の展覧会を見に行きます。希望者で
招待券持っているのでよければ来てください。
私は千葉県に住んでいます。ので、おっちゃん達に横浜に来てもらいたくて、おとついカンパしましたー
本当にありがとうございました!
魂はへなちょこの方がまっすぐに進むんじゃないかと
思います。
へなちょこの方が自分の個性を出さないで
人と接するので私は好きですね。
ところで横浜と言えば、横浜トリエンナーレに釜ヶ崎のおっちゃんが出演します。
釜ヶ崎芸術大学で公演したおっちゃんたちの狂言。
その狂言を横浜の地で再演します。
日にちはたしか9月20日だったと思います。
詳しくは期日が近づけばHPにアップされると思います。
釜ヶ崎芸術大学とココルームの中心人物の
上田假奈代さんが森村泰昌さんと友人であり、
今回、実現したのであります。
ちなみに假奈代さんは私の詩の師匠でもあります。
お時間を見つけて見に行かれてはいかがですか?
声をかければ気さくに話をしてくれると思います。
カンパとかいろいろ頑張っていらっしゃるみたいなので
活動内容など時々、小出ししてください。
よろしくお願いします。
本当に、本当にありがとうございました!
東京、乃木坂にある国立新美術館で開催している
日洋展に出来れば見に行って欲しいのですが、
開催は6月9日、明日までです。
もう時間無いですね。
私は釜ヶ崎に住んでいる仲のいいギャンさんを
モデルにした絵を出品しています。
森村さんからとは面白い縁ですね。