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氷流日記

氷(筆者)と流さんの奇妙な徒然記

センタ- 140915 Vol.5

2014-10-17 07:12:59 | 氷流日記
センタ- 140915 Vol.4 からの続き




朝、9時半にセンターに着く。
2階に上り、ロケハンをする。
ブラブラブラブラ。
人がたくさんいて、いいなと思う場所にはダンボールをひいて寝ている。
邪魔をしてはと遠慮する。
うろうろしているうちにギャンさんとYUさんが合流した。
迷っても仕方ないのでとりあえず誰もいない消火器の前にイーゼルを立てた。









時折、声をかけてくれるおっちゃんたち。
滑り出しは上々か。
その日は3人でわいわいがやがやにぎやかに絵を描いた。


その絵の続きで9月15日に一人で絵を描きに行く。
そのときの雰囲気はまったく違った。
独特の緊張感が伝わってくる。
みんな同じことをしているのに一人だけ絵を描きに来ている。







とりあえず描けるところまでは描くことに。
誰も話しかけてこない。
外で描くときにはないことである。
絵に集中できることなく終了する。
なんだろうこの感じ。とりあえずまた描きに来ることだけは決定している。






センタ- 140915 Vol.4

2014-10-16 07:04:05 | 氷流日記
センタ- 140915 Vol.3 からの続き




グルグルまわる監視カメラから阪堺電車の高架下に向う。
通称、しょんべんガード。
そこらへんのガードは3重になっている。







まず、一つ目は初めからあったガード。
フタバガードって書いているフェンス。
二つ目は暴動があって、その対策ために出来たフェンス。
今では暴動なんて起きる元気が街全体にない。
高齢化が進んでいることが大きな原因。
最後に三つ目のフェンス。
工事現場などに立てられている黄色と黒の縞模様。
二つ目のフェンスを立てた後にそのフェンスを使ってテントや小屋を建て始めたから
三つ目のフェンスが登場することになる。
その話を聞き、やっぱりみんなしぶといなと感心してしまった。
そういう強さがこの街の強さかなと思う。
この強さが日本全体にあれば、外国との交渉も押されずに有利にできるのではないかと感じる。
このしょんべんガードを抜けて信号を渡ったところへんで
高校時代の友人と会う約束があったので阿修羅さんに挨拶して別れることにした。
そのときにちょっと聞いてみた。
「阿修羅さん。センターで絵を描いていたら問題ありますか?
大丈夫ですか?」
「そりゃあ大丈夫ですよ。
みんな寄ってくるかもしれないけど、問題ないですよ。
センターもいずれなくなるし、いいんじゃないですか。」
そう後押しされてセンターで絵を描くことを心に決める。
心に決めたが、すぐに行動には移しにくい。
やったことないことをすることは度胸のいることである。
8月の最終の日曜日、8月30日に最初に描くことを決める。
決めた後、そのことをギャンさんとYUさんに話すとでは私たちも描こうということになった。
心細かったのでちょっとホッとする。




センタ- 140915 Vol.5 へ続く




センタ- 140915 Vol.3

2014-10-14 07:03:04 | 氷流日記
センタ- 140915 Vol.2 からの続き



場所はあいりんセンターに移す。







ここでの中での撮影はしなかった。
何かぞろぞろ歩いて、押しかけといてパシャパシャ写真を撮ることは
失礼だと感じたためである。
2回に登ってみんなで移動しているときに一人のおっちゃんが吠えた。
「どこにも行き場のない人間がここに来るんや。
わかってるかっ!!!!!!」
後ろめたい気持ちがさらに後ろめたい気持ちにさせる。
では、センターに行かないでいいのかというとそれはそれで問題がある。
あいつらはあいつら、俺は俺という感覚では世の中に一石を投じることは出来ない。
知らないふりをすることは体制を強化する人たちに協力しているようなものである。
だから、文句を言われてもセンターに行って自分の目に焼き付けてくるべきだと思う。
1階に降りて、センターを出る。
オリーブという施設のと間には監視カメラが設置されている。
日本ではじめて監視カメラが設置されたところ。
カメラは360度グルグル回ることができるみたいである。









どの時代もそうであるが、生きることは難しい。
生き抜くことはもっと難しい。
生かすことはさらに難しい。
監視するより生かすことはないのだろうか?
話してもわからない人間だと思っているのだろうか?
それとも話す価値のない人間だと思っているのだろうか?
不思議と組織の一員になると人間は変わってしまうし、
組織から開放されて一個人になるととてもいい人だったりする。
人を監視続けると、そういうものだとそれが当たり前だと思考が働くみたいである。
つくづく思う。
人は思考や思想が行動を決定するのではなく、
行動が人の思考や思想に影響を及ぼすというなんだと。
組織の見えない力(強制力も含めて)や何気ない言葉で縛られて身動きが取れない状況になることは
これを読む皆さんのほうがよくわかっていることだと思う。



センタ- 140915 Vol.4 へ続く






センタ- 140915 Vol.2

2014-10-13 10:56:12 | 氷流日記
センタ- 140915 Vol.1 からの続き



楽描の会をとおして、ヨネキチさんなどいろいろな人と知り合えることが
有難い。
外で写生をしているときもそうである。
誰かしら話しかけてくる。
団体で描いたいると特にそうである。
一人で描いていても話しかけてくる。
まわりに人がいないと突っ込んだ話を初対面であるにもかかわらず話しかけてくる。
人は心の奥底に閉まっておいても
知らず知らずのうちにあふれてしまっているのだろう。
隠そうとする気持ちと自分を知ってもらいたいという心と
相反するモノがせめぎあっているのだと思う。
そこに非日常的に路上で絵を描く。
それも観光名所じゃなく、釜ヶ崎で描くということが
吐露するような油断が生じるのかも知れない。
しかし、外で描くことにも一つ動かされない自分がいて、
そんなときにお盆の夏祭りのときに水野阿修羅さんの街歩きの講座があった。
自分で歩くだけでは発見できないものや知識を知ることができるので
好奇心がそそる。







みんなに説明しているのが阿修羅さん。
紫のヘアーに耳には安全ピンピアス。
独特の風貌であるが語り口調は静かでとても紳士的である。
紳士的ではあるが中にある芯はずぶといものがある。
酒を飲んで、アドリブで大きな声をあげているおっさんたちには
魂がある。大手で働くサラリーマンには無い魂を。
そのおっさんたちでも持っていないような深い魂を阿修羅さんは持っている。
ちょっと脱線して街歩きの模様を話してみる。








この写真は西成区ではなく、線路を渡った浪速区のところ。
ここら辺は昔、今宮村と呼ばれていた。
写真の線路沿いのところには所狭しとラーメンの屋台が立ち並んでいた。
当時は活況を呈し、繁盛していた。
その後、市の行政命令などがあり、今は面影もない。
持久戦になるとやっぱり官庁の力というものが大きいのかと思わざる終えない。




センタ- 140915 Vol.3 へ続く