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氷流日記

氷(筆者)と流さんの奇妙な徒然記

エリオット・アーウィット展 Vol.5

2013-11-22 07:13:50 | 展覧会
エリオット・アーウィット展 Vol.4 からの続き







おばちゃんが背中をかいて、犬もかく。
犬がかくタイミングとか位置は操作できない。
それ以外はビールの箱とかおばちゃんの位置、角度すべて作為的であるが、
これは常に面白いことを探して、カメラを肌身離さず構えているからできることである。
重たいバックの底にあったり、普段はホテルの部屋に置いているのでは出来ない作品。
バックの底にあったりすれば、
こんなに作品は軽快な空気が出ないであろう。
何必館は5階建てで4階まで見た。
最後の5階に昇る。
そこは茶室があり、和の趣。
もともとこの美術館は和の趣きなのであるが、
より一層和の美を意識している。







エンパイアステイトビル ニューヨーク。
茶室に飾られている。
構図に禅の要素がある。
アーウィットの対角はあるのだが、
その他の作品ほど強調されていない。
能の幽玄を表現しているともいえる。






極めつけが何必館の館長のポートレート。
ちょうど作品を飾っているあたりにモデルを立たし、
シャッターを押す。
その作品をその場所に展示する。
構図は全体の対角、鏡に写ったところの対角(モデルもちゃんとその対角に納まっている)
鏡に映っていないリアルなところの対角、
リアルなところの対角には和室に飾られたエンパイアステイトビルの作品がある。
うまく対角に収まるように木々も移動させたかもしれない。
やりすぎである。
だから、作品よりもこのオヤジを考えることにした。
こいつは何者か?
残念ながら館長の作品は画集にも載っておらず
私の汚いメモ描きしかない。








エリオット・アーウィット展 Vol.6 へ続く



エリオット・アーウィット展 Vol.4

2013-11-21 06:38:32 | 展覧会
エリオット・アーウィット展 Vol.3 からの続き









ふと見るとさりげなく、部屋の片隅に彫刻が置かれている。
当然、アーウィット展なので作家の表記はない。
無いが何か気になる。
作家のサインが無いかぐるっとまわって探してみる。
あった。
佐藤忠良。
私の大好きな作家である。
こんなところで出会えたとうれしく思う。
アーウィットのメトロポリタン美術館の作品はとてもユーモラスで楽しい。
ユーモラスでありながら、
全体の対角、間口の対角、その他すべての対角が響きあう。
こんな面白い作品もあった。
裸のマヤに群がる男たち、着衣のマヤを鑑賞する一人の女性。
一対多を含めて対立を際立たせる。
際立たせてユーモラスで包み込む。
西洋人の伝統というかさすがと関心してしまう。







作為的であるが、なぜか許してしまうのは
茶目っ気があって、対象に愛情を注いでいるからだと思う。
女性が発表すればいやみになるのだが、
男が出すと自分も作家も同じ土俵に立って群がっているようで楽しい。
そして、いよいよ会いに来た作品と対面できる。



エリオット・アーウィット展 Vol.5 へ続く


エリオット・アーウィット展 Vol.3

2013-11-20 05:29:13 | 展覧会
エリオット・アーウィット展 Vol.2 からの続き



前日に載せたオルレアン。
ただ単純な対角ではない。
右側の建物の縦のライン。
その縦のラインと左端との四角でも対角が利いている。
飛んでいる鳥が作品全体の対角と
建物のラインの対角の両方とも絡んでいる。
鳥が飛ぶという偶然を必然に強引にはめ込んでいる。
写真家というよりは数学者と言うべきか。
すべてを神が作り出したものだと言う殉教者のように。
日本人にはこんなしつこさはできない。
崩す面白さにひかれる日本人には
ここまでの執拗さに意味を見出すことができないだろう。
よほどの欧米のスタイルに善とする考えでなければ。



私の写真で真面目なものは軽く見て、不真面目なものは真面目に
見るという方法で物事に気づいてくれる人がいたら、私は嬉しい。
私の写真では、すべてがシリアスであり、すべてがシリアスでないと思っている。



チェ・ゲバラの写真。
手、鼻、顔の角度、対角を抑えている。
タバコの煙が空間の開いたスペースを絶妙に埋める。
タバコの煙と肩が対角を決める。
茶目っ気の笑顔は小心のハートを覆うコートのように
人間性を写しだす。
それだけその人物との親密さとふと見せる表情を見逃さない狡猾さ。











あの人種差別が激しかったときには、
ちゃんとその問題提起を投げかけている。
問題提起であって、こうすべきだとは言っていないところがいい。
構図はしつこいがこういう問題はあっさりと見る人にゆだねる姿勢がとてもいい。
俺、ちょっとおかしいと思うけどお前どう?
という感じである。
他には規律正しい白人の軍隊の隊列の前で行進している一人の黒人兵士。
カメラの前で舌を出し、白人兵士には見せない。
こういうユーモラスがあるといろんな想像がでてくる。
とりあえず答えを言っていないところがいい。
それが石田徹也との違いか。

いろいろ Vol.2



エリオット・アーウィット展 Vol.4 へ続く








エリオット・アーウィット展 Vol.2

2013-11-19 06:55:24 | 展覧会
エリオット・アーウィット展 Vol.1 からの続き



ロシア人の両親の元、パリで生まれる。
1928年。
11歳でアメリカに移住し、やがて写真家として活動する。
25歳の若さでロバート・キャパに見出されて、マグナムに参加する。
ホワイトハウスにも顔パスで出入りでき、
数々の作品を世に出す。
おしゃれな作品を見に展覧会まで来たわけではない。
この展覧会に行く1週間ほど前までは存在や名前すら知らなかった。
ラジオでアーウィットを紹介したときに、
非常に興味をそそる写真を紹介した。
日本の駄菓子屋の風景であるが
駄菓子屋のおばちゃんが背中をかいているその前で
犬が後ろ足で背中をかいている写真があるという。
何、このおっさん。おかしい男や。
センサーがピッピッピと働き、ここまで足を運んだ。
目的の写真はまだ見ていない。
それまでつぶさに一つひとつ鑑賞していく。
よくみると構図が完璧すぎるほど完璧。
写真でよくここまでできるんだなと感心する。




サンタモニカ



オルレアン



何もない普通の構図に見えるが対角線を引くとよくわかる




人、もの、鳥、地平線。すべてものが対角線に響きあうように配置している。
変態だ。この男は変態だ。
それを必用に追いかける。追いかけて必ず捕獲する。
ハンターのような男。
連写機能がない一昔でも獲得している。動物などの偶然を必然のように捕らえる。
知り合いの写真家に質問してみた。
「それは動きを予測し、その瞬間を捉えることです。」
予測し、構図の肝に来たらシャッターを押す。
シャッターを押したリードタイムも計算する。
本当に馬鹿な変体である。



エリオット・アーウィット展 Vol.3 へ続く






エリオット・アーウィット展 Vol.1

2013-11-18 06:45:46 | 展覧会
10月の最終日曜日に京都まで行ってきた。
エリオット・アーウィット展を見に行くために。
その日は最終日で急いでいく。
中2の娘も行くと言うので朝早くから出発する。
朝一から見てお昼には大阪に戻らなければならないからだ。
京阪電車で祇園四条駅まで行き、
八坂神社のほうに向って歩いていく。
今まで行ったことがないので探りながらの散歩。
そんな軽い気持ちで歩いているのだが、
娘のほうにすれば信じられないみたいである。
大体、車で移動するときも下調べはあまりしないで
なんとなくで行く。
そう、私の車にはカーナビが搭載されてない。
走行距離は235000km。
もうすぐ24万キロである。
いい加減ガタがきているのでそろそろ考えないといけない。
いつもそんな調子だからみんな心配する。
でも一部を除き、何かわからないが到着している。
日本は立派な標識があるからである。
間違ってもまた戻ればいい。
そんな感じでいる。
八坂さんの近くにその美術館はあった。四条通沿い。
とても近代的なおしゃれな場所。
15分前に到着したのでシャッターが閉まっていた。
10時1分。
1分遅れることシャッターが開き始める。
なんとなくゆるさが伝わってくる。
入場するときに件を購入。
入り口に机があり、そこで販売している。
入ってところはもう展示フロア。
とてもゆるくていい。
大人一枚と学生一枚を言う。
ここは中学生でも入場券が必要みたいだ。
娘に学生証を見せるように言うと忘れたとのこと。
ピキッ。
係りのお姉さんは、
「では通常の大人料金でお願いします。」
展示や自分たちのスタイルはゆるいが、
お金には厳しいみたいだ。
どうみても中学生で高校生以上には見えないのだが。
朝早くから京都の厳しさを思い出す。
学生時代、京都に住んでいたので
なんとなくその気質はわかる。
そういう線引きには白黒つけるのが流儀であるみたいだ。
そして、壁にかけられた作品を見るとおしゃれな作品がずらりと並んでいる。







彼の有名な作品。マリリンモンロー。


エリオット・アーウィット展 Vol.2 へ続く