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氷流日記

氷(筆者)と流さんの奇妙な徒然記

日洋展 大阪会場 始まります

2013-07-30 07:01:24 | 展覧会
今日から大阪で日洋展が始まります。
芸術院会員の塗師先生をはじめとして、
私の師匠である小灘先生の絵の展示されます。
私、本宮氷も出品しております。
今回の作品は日本画の画家ですが、
油絵もやり、彫刻もやりの
とても精力的な人です。
いつまでも忘れることのない情熱に
共感し、感動して、モデルをお願いしました。
絵を見ていただくとわかりますが、
お互い絵を描いております。
もちつもたれつ。




オイルスケッチ F10



喜びの絵や個性をむき出しにした絵はそれはそれでいいのですが、
一瞬の瞬発力の絵です。
非日常的な情景である一瞬を捉えたスナップ写真です。
永遠のときを刻もうとすれば、
やはり日常の延長になければ出来ないことではないかと考えています。
光や匂い、温度を感じるように。


お暇な方は
来てください

7月30日~8月4日 (ただし、4日は14時まで)
大阪市立美術館


土日はほとんどおります。


ではでは






アントニオ・ロペス展 Vol.8

2013-06-27 05:39:02 | 展覧会
アントニオ・ロペス展 Vol.7 からの続き




ロペスの作品を見る限り、売ろうとする気持ちで描いていないように感じられた。
最初の踏み出す一歩で絵は変わるようである。
自分は売り絵は描かないといくら言っても
個展をするために絵になる場所で描いたり、
モデルを描いたりするとそれは紛れもなく売り絵になる。
買う側に媚を売る気持ちがなければ売り絵ではないと言い切ることは屁理屈だと思う。
だけど、飯を食っていかなくてはいけない。
そこで個展用の絵と大作用の絵を描き分ける。
それではその人は主義が一貫していないことになる。
それがそのまま絵に出る。
絵は恐くて、難しい。



アントニオ・ロペス  トーレス・ブランカラスからのマドリード


そう考えるとロペスはどうして生活が出来るのか不思議である。
修行僧の風でもなく、自分の主義を普通に通していくことは
どう考えても正気の沙汰とは考えられない。
狂ったところがないとロペスのような絵は描けないと思った。
では自分はどうするか。
最初の一歩はどうするか。
下手なうちに考えるべきこと。
うまくなったから、売れてからでは
もう刻まれているから難しい。
やり直しは出来るが、今までのことをチャラにすることはできない。
絵は新しいキャンパスに描けば、
新しい気持ち、新しい自分を見つけるような思いになってしまう。
電源を切ってリスタートできる気にさせる。
ホントは違う。
だから、恐い。
今日もうだうだ描いて、産廃を作る。 (^^;

ロペスからの宿題は大きいようだ。




アントニオ・ロペス 1  流さんとの話



アントニオ・ロペス展 Vol.7

2013-06-26 06:17:57 | 展覧会
アントニオ・ロペス展 Vol.6 からの続き



ロペスの思想には好感をもてるが、
それでもロペスの思想は相容れることが出来ない。
それは選民思想が見え隠れするからだ。
そもそもキリスト教文化の根源なので仕方がないといえば仕方がない。
選ばれない人々にも、扉を開けていたい。
閉じられた扉よりもずっといいのではないかと思う。
師匠の小灘先生にもロペス展の報告をした。先生はこうおっしゃっていた。
「ロペスはスペインの古典を勉強し、スペインの歴史を背負っている。
君もそういうところを勉強し、理解しなければならない。」
理解することは今のところ難しい。



オイルスケッチ 20分×4


画歴も短いし、住んでいる世界が違うからだと思う。
10年前の2004年に小灘先生がどういう人か知らないで
ぷらっと行った小さな地方展で先生の絵を見て入門を決めた。
4年くらい経って、そろそろ人物を描こうと思い立ち、
自画像と写真で描きはじめる。
写真で描かずに人体デッサンをするように強く勧められ、
2010年の3年前からいろんなデッサン会に顔を出し始めた。
そんな具合だから、まだまだ勉強しなければいけないことが山ほどある。
今は形をとることだけで精一杯で
色感、調子、明暗などやらないことがたくさんあって困っている。(^^;
同時であることが問題である。
そんなところであるから理解は出来ないが、想像は出来る。
絵の技術とかはとりあえず横において話を進める。
人気作家を含めて人物画は視線が斜めにそれていたり、
絵を描くためのポーズであったり、
まして下着姿の絵など気持ち悪くなる。
作者の一個人の世界であり、
大きくても美術界の世界である。
モデルのパーソナリティーをあまり感じない絵がほとんどである。
ロペスの場合は視線が真直ぐであったり、
生活の中から抽出されたものであったりする。
モデル(人物でも風景でも)のパーソナリティーや魂の大きさに起因するところが大きい。



アントニオ・ロペス展  Vol.8 へ続く







アントニオ・ロペス展 Vol.6

2013-06-25 06:43:21 | 展覧会
アントニオ・ロペス展 Vol.5 からの続き


1回目の鑑賞はただ作品を見ていた。
2回目は図録を買って、作品と見比べながら鑑賞する。
3回目はまた図録を見ながら気がついた点を図録に明記していく。
4回目、5回目。新たに気がついた点を書いていく。
5時半に入場してから、8時40分までたっぷり歩き回った。
松っちゃんも買わないと言っていた画集を買っていた。
でも最後は時間をもてあましていたようだ。
私は満足して、閉館20分前に出た。




オイルスケッチ 20分×4



大阪に帰ってから別でロペス展に行った友人にメールする。
おおむねよかったという返事。
そのうちの一人の知人がロペスの考え方についていけなく、
日本人としてもっと余白がほしいという感想を言ったことを教えてくれた。
ロペスの作品に対する姿勢、熱意はすばらしいが、私も思想は受け入れにくいところがある。
他を寄せ付けないというか、他人と理解しあうという考え方を感じなかったからだ。
かといって余白がほしいとは思わない。
余白は禅とか茶の湯の世界に通ずる。
それは本当に日本人の考えかと疑っている。確かに世界には日本の考え方として紹介されている。
なぜ疑っているか。それは憧れであって、人々の生活のうえに立っている思想ではないからだ。
坊さんやお茶の先生、サムライ、スポーツマン、役者などそういう人たちには実感のある考え方かもしれないが、
われわれ普通に働いて、社会の中で生きている人間は相当頭の中で意識しないと出来ない芸当である。
また、そういう生き方を社会の中で実践できるものではない。
それを野球選手が突き通すことが出来るのは競争は厳しいが、特殊なことが許される世界だからである。
今、生きている場所はそういうところではないし、
私のご先祖様もきっと百姓で禅を実践する武士に苦しめられてきたのだと考えてしまう。
だから、余白の世界よりも、まだロペスのほうが好感を持てる。



アントニオ・ロペス展 Vol.7 へ続く




アントニオ・ロペス展 Vol.5

2013-06-23 04:35:34 | 展覧会
アントニオ・ロペス展 Vol.4 からの続き



走り書きしたので支離滅裂であるが、
インタビューの内容はこうだ。



習作は捨てない。

絵画、素描、彫刻をしているがこれらはすべて一つになる。

ミケランジェロなどの昔の芸術家は建築家のように外に出て作品を作っていた。

ほんのわずかな時間で出来るものも一生かけて描いていく。

絵画は白黒からはじめて次に色彩へと移っていく。

素描はすべての造形世界をつなぐ真髄である。

素描はわずかな造形要素をもった旅である。




オイルスケッチ 20分×5 F10


コピー(模写)は原作者のオマージュ。
コピーするときは驚くほど時間をかける。鼻筋がどうなっているかなど。

モデルが見つからなければ着手しない。すべてはモデル次第である。




話す内容は論理的ではない。
高く聳え立つ山を登っているような感じを受けなかった。
一人スコップを持って深く深く掘っているような人。
それもエベレストの高さよりも深く。
人より目立つこと、一番になること、画家を意識して描くこと。
そういうことには無縁の人。
支離滅裂にしゃべる話し方に本質に深く迫っているように感じた。



アントニオ・ロペス展 Vol.6 へ続く