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氷流日記

氷(筆者)と流さんの奇妙な徒然記

釜芸 写真 Vol.11

2014-02-06 20:36:06 | 釜ヶ崎人情
釜芸 写真 Vol.10 からの続き




少しだけ落ち着いたらしく会話のキャッチボールができるようになった。
「そうやねん。結局、自分で気をつけなあかんねん。
わかってるけど坊主がな。」
とまた戻る。
堂々巡りではあるが、少しずつお酒も冷ましながら頭も冷めてくる。
でも、どう考えても理不尽な話で初めに結論ありきである。
やっているロケハンは自分たちもやりたくなかったのだが、
上からの命令で仕方ないのだと言うかもしれない。
でも、そんな言葉では受けた苦しみを拭い去ることは出来ない。
いやいやしているといっても、そこに居続ける事で
その人の生きかたは示されている。
写真と映像と違うものであるが、
取り組む姿勢で出来上がる作品はまったく違ったものになる。
ドキメンタリーと報道とは大きな隔たりがある。
ドキメンタリーはその場所に居続けることが大事であって、
どんな結論がでてくるか本人さえわからない。
報道は自分と意見が合うところだけチョイスして持って帰ってくる。
そう持って帰る。
その場所に立って見続けることが大切ではない。
自分が情報発信源になるか、自分の社会的立場が大切である。
絵で言えば個性を出すこととか絵が売れるかとか、
そんなことを言う人は多い。
描き続けることを夢だと言う人や
何かのために描きたいとか言う人はあまりいない。
描き続ければ何かが見えてくるという人は多いが・・・
前者は食うために生きる。食うために絵を描く。
後者は生きるために食う。絵を描くために食う。
前者の生き方を否定はしないが、
絵や音楽などの芸術は贅沢品であって、
それで食っていけるとしたらそれは何かの犠牲の上で成立していることを
忘れたくない。
その犠牲は自分の生涯を賭した犠牲ではなく、
誰かが請け負ったおかげで成り立つ犠牲である。
支えられて来た人々ではなくて、顔も見たこともない誰か。
絵が売れた。
それで自分の技術や感性が認められた、
世の中に受け入れられたと喜んでいる場合ではない。
ゼロサムゲームではないが、
贅沢品はどっかからかっぱらってこないとお金は発生しない。
そういうお金だと売れっ子の芸術家、売れっ子を目指す芸術家には知って欲しいと思う。













釜芸 写真 Vol.10

2014-02-04 18:46:48 | 釜ヶ崎人情
釜芸 写真 Vol.9 からの続き




本当にひどい話であるが、事実である。
大きな意志なのか、テレビ局レベルの意志なのかわからないが、
個人の趣向で出来る範囲のことではない。
大きな意志ならば釜ヶ崎、西成という場所を快く思っていない連中が
排除すべきと考えてのことであろうと思うし、
テレビ局の意志ならばこうすれば視聴率が取れるという
安易な考えからだと思う。
やられたほうの立場からすると哀しいことこの上ない。
そういうことをみんなわかっているので
issaさんを止めることがみんな出来ない。
このままではよくないと思い、
「issaさん。本当に切なく、哀しいことですが、
今回の泊められないということは仕方ないんじゃないですか。
そういうときもありますよ。
俺だって仕事で騙されるというかいろんなことあります。
クーラーの配線ダクト作っていたんですが、
みんなが知っている業界2位のところです。
猛暑でも納期遅れすることなく、納品していました。
他の会社は納期遅れしていたみたいなんですけどね。
クーラーのダクトって季節モノだから5月から7月が忙しい。
徹夜も必要。
学生のアルバイト使って、週4回徹夜してました。
夜中にトラブルがあればアルバイトでは対処できないので
泊り込みをしてました。
寝る場所がないので工場の外に車を停めて、
エンジンをかけながらクーラーなどして
寝泊りをしていました。
トラブルがあればすぐ起こしに来る段取りで。
このままでは体が持たないと思い、
寝泊りできるような工場に移ろうと計画しました。
幸いクーラーの仕事は信頼も得て、来年以降も仕事があると確約もありました。
えいやと工場を購入した翌年、内製化で仕事を切られました。
売上げ、利益が減り、借金だけ残りました。
青色吐息になり、倒産しそうになりました。
他には得意先のお客さんがうちの仕事を横取りしたり。
世の中大なり小なりそういうことはありますよ。
最後は自分が騙されないようにせんといかんのです。
だから、今回泊められないというのは
いいんですよ。」
慰めにならないだろうが、そう言って心を落ち着かせようとした。









釜芸 写真 Vol.11 へ続く









釜芸 写真 Vol.9

2014-02-03 20:28:59 | 釜ヶ崎人情
釜芸 写真 Vol.8 からの続き




話はそれたが、特掃などで釜の人と人間関係を作ろうとした若原さんに
共感を持った。
講座が終わってブラジルの話をしながらココルームに一緒に帰った。
帰るとissaさんが酒を飲んで荒れていた。
大きな声をあげて怒鳴るように話している。
普段から声が大きいのでそんなに気にはならないのであるが、
まわりの様子が違う。
「もう飲むのやめたら?」
女性スタッフもいつもと違う対応。
いつもならもう少しきちんと言うのに
今日は遠慮がち。
正月だから(と言っても5日、幕の内でいいか)羽目をはずしているのかと
さっきの続きで若原さんと話を続ける。
ファベーラの画像を見せてもらったり、こぼれ話を聞かせてくれたり。
ワールドカップの工事現場での取材やその工事のために大きなファベーラを
取り壊したりした話を聞く。
その危ない裏話をツィッターで書き込みをすると
全世界からどうなっているのかと問い合わせがきたらしい。
ん~。英語で書いたのか。
それもすごい。
驚くとこそんことちゃうやろと心の中で一人突っ込みをしながら、
楽しい話を聞く。
するとissaさんが若原さんを捉まえる。
「ごめんな。ごめんな。
泊めさせてやれんで。もうちょっとできへんようになってな。」
と頭を何度も下げる。
いいんですよいいんですよと笑って応える若原さん。
でも少し様子が変。
以前に泊めたこともあるらしいのであるが、泊めたくても泊められないようになったと言っている。
今度は私を捉まえて話し始める。







「わしはな。騙されてん。
2年位前に釜ヶ崎の取材でテレビ局が来てん。
それでなどういう取材か聞いて協力したんや。
それでフタを開けたらだまされとったんや。
NHKでやっとったやろ。無縁社会という番組。
そんな番組やったら協力せえへん。
番組のスタッフだけやないで坊主もいたんや。
坊主もやで。
坊主が騙すかと思ったわ。がっかりやわ。
それでな、釜ヶ崎を好いように紹介するてゆうから、
いろいろサービスして、家にも泊めたんや。
鍋の食事も用意して歓迎したら・・・
番組が始まるとドヨーンとした空気の音楽が流れてきて
おかしいと思ったわ。
それで番組見ていたら取材していた内容とぜんぜん違う。
もうあれで人を信じられんようなったわ。」
いよいよ声も大きくなり荒れてきた。




釜芸 写真 Vol.10 へ続く











釜芸 写真 Vol.8

2014-02-02 05:36:40 | 釜ヶ崎人情
釜芸 写真 Vol.7 からの続き



脱線するが、アベドン、それに以前展覧会に行ったアーウィット
写真家を2人紹介したので大好きな写真家を一人紹介したい。
その名はサルガド。
セバスチャン・サルガド。
うまくカッコイイのであるが泥臭い。






代表作の一つ。
アフリカの遊牧民と一緒に暮らし、同じ食べ物を食べ、
一緒に歩くことで出会える瞬間。
その瞬間を逃すことなく、いいタイミングといい構図でシャッターを押す。
先に紹介した2人よりも構図にはさほどこだわりは無いように思われる。
アーウィットとアベドンは排除するというか研ぎ澄ます感覚があるが、
サルガドはどんどん取り込んで増殖するような感覚がある。
まさにドキメンタリーである。

















そのときそのときに興味のあったテーマにどっぷりはまり込む。
何かの片手間に自分のテーマを探すということが無い。
木陰で休憩している遊牧民を撮った一枚であるが、
神々しいまでに柔らかな光が差し込むのは
そう訪れるものではない。
報道やファッションショーのように現場で起こっていることを
時間内にパシャということでは得られるものではない。
まさに来るまで待つ。
何が来るかわからない。
自分で何を撮るという選択肢を長い時間の間に放棄している。
放棄したからこそ得られる瞬間であると思う。
アフリカのシリーズ以外のにも労働者を撮ったシリーズもある。
















蟻のように人がいるが、ブラジルかどこかの南米の鉱山の写真であったと思う。
機械の無い時代の手掘りなのか、
それとも機械があっても手堀りをさせているのか。
どちらにしてもニューヨークのオフィスで仕事をしている上層部には都合の悪い写真。
そういうものをスタイリッシュに表現しないからこそ浮き彫りに出来るものがある。
本当にカッコイイ。
私もそういう絵を描きたいと思う。
人体でもなく、人物でもない絵。
よく人に人物を描くのですかと尋ねられる。
違和感がある。
人体でもなく、人物でもなく、人間を描きたい。
人を構造や骨、筋肉で見ることなく、
姿かたち、成り立ちで見たいと思う。









釜芸 写真 Vol.9 へ続く






釜芸 写真 Vol.7

2014-02-01 05:32:42 | 釜ヶ崎人情
釜芸 写真 Vol.6 からの続き




1月5日の最終の写真の講座でお互いがモデルをし合って撮影することになった。
そのときリチャード・アベドンを紹介してもらう。
そのスタイルでお互いを撮影しあう。
白い布をバックにモデルを立たせて思い思いのポーズをとらせる。
撮影中は他のメンバーには秘密。
で、出来上がった作品をみんなでプロジェクターで楽しむ。
その講座の最後に私が若原さんを撮影したいと頼んでみた。
なら私も私もと手を上げる人がたくさん出る。
ということで彼を囲んでみんなで撮影大会が始まった。
彼の周りに10数名の受講者が群がり、パシャパシャとシャッターを切る。
恥ずかしいことこの上ないと思うのだが、
お構い無しに撮っていく。
そのときに撮った写真を元に絵を描いた。

先に紹介したアベドンであるが、
ニューヨーク生れのロシア系ユダヤ人。
ハーパーズ・バザーでパリコレを撮ったり、
ヴォーグのスタッフ・フォトグラファーになったりとした。
その傍ら、精神病院の入院患者やカウボーイなどを先ほどのスタイルで撮影し続ける。
有名人もスタジオに招きいれる。
どちらかといえば思想的なものは排除しているように思える。






古いアナログのカメラでモノクロで撮っている。








撮影に結構な時間をかけてかなり蜂に刺されたみたいである。












ファッション誌の表紙を飾るくらいだから作品はみなスタイリッシュである。
泥臭い私のスタイルからは遠い存在の人だなと感じた。



釜芸 写真 Vol.8 へ続く