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氷流日記

氷(筆者)と流さんの奇妙な徒然記

狂言プレ in 釜ヶ崎 140113 Vol.5

2014-02-11 08:19:46 | 釜ヶ崎人情
狂言プレ in 釜ヶ崎 140113 Vol.4 からの続き




みんなへとへとになり、足がもつれてきた。
2時間近く経過した。
あまり無理をしてもいけないので、それではと各自が考えた台本を持ち出した。
事前に台本を作る話をしていても普通の人は書かないか、
または1枚程度の書き出しくらいである。
レポート用紙に7枚ほどちゃんと脚本化された台本を自ら書いてきた。
びっしり書かれている。
それも台本は3冊分ある。
びっしり書かれすぎて劇には出来ないと童子さんが言った。
「このとおりの台本をすると2、3時間の長編狂言になります。
狂言は15分か20分程度のものを3幕したいと思います。
狂言のセリフ口調はゆっくりとしゃべります。
ゆっくりと動いてゆっくりと話す。
だから、あまり長いのは適さないんです。
それと特定の人間の名前も出てこない。
太郎冠者、次郎冠者といって誰かわからないような感じにしている。
それでは一度どういうものか話してみましょう。」
そう言って5分ほど狂言の一場面を大きな声でセリフを言い出した。
部屋に声が響き、声量の大きさにびっくりする。
腹から出してるぞという声。
一同背筋を伸ばし身構える。









「狂言は単純なストーリーで面白いものがいい。
出てくる登場人物も太郎冠者とか次郎冠者とか誰かわからないような人が出てきます。
ではその台本をわかりやすく単純化するように
皆さんと一緒に相談しましょう。」
急遽、台本のセミナーに変更になる。
肩で息をするものもいたので渡りに舟というような人もいたであろう。
童子さんがみんなの様子を見ての判断である。
台本の説明を各々しだす。
「私はアル中でね。今は酒をやめているんです。
だから、狂言の中で酒を飲もうと思って台本を考えました。
飲めないのなら、せめて劇で飲もうと思って、へっへっへっ。」
愛嬌よくニコッと笑い、こちらを見る。
私もニコニコ笑う。
みんなどっと沸く。
昔、別れた愛しい恋人と劇場で会うようなものか。
憎めないかわいい70歳のおっちゃん。
だから、この狂言の会ではアルちゃんと呼んでいる。
他には酒に酔って知らない間に狂言に出演するように決められていた赤鬼さん。
いろいろな事情とエピソードを持つ人々が集う狂言。
どういうものに仕上がるか楽しみである。
今日はこれでお開きになる。
この後、火曜日から金曜日まで集中講座を受けて、金曜日の晩に舞台に立つ。
その日が楽しみである。
今日の稽古でどうなるか、ちょっと不安ですが…





狂言初舞台 Vol.1 へ続く











狂言プレ in 釜ヶ崎 140113 Vol.4

2014-02-10 18:55:10 | 釜ヶ崎人情
狂言プレ in 釜ヶ崎 140113 Vol.3 からの続き



狂言の歩き方はこうである。
腰を落として少しだけ前かがみになる。
手は鼠蹊部に添えて、足はすり足で歩く。
歩くときには背中を押されてしょうがなく歩くというような感覚で歩く。
そういう感じのものらしい。
伸びるには一旦曲げなければならない。
伸びきると力が出せない。
だから、曲げた状態でいつでの次の動作に移れるような感じにしておく。
そう説明して、みんな歩いていく。
始めは腰を落し気味の人もだんだん腰高になっていく。
すり足なのだが普通に歩いている感じである。
一人ひとり修正してまたみんな腰を落としていく。







今度は曲がる練習。
部屋の中をぐるぐる回る。
まわるのは右でも左でもいいのであるが、90度にまわらなければならない。
左へまわるのであれば右足を出してそのままターンする。
右へまわるのであれば左足を出してターンする。
そのときでも目線は上下しないように、
腰は落として少し前かがみのまま。
手は鼠蹊部。
その一連の動作をみんなで行い、グルグルまわる。
みんな疲れてきて5分くらい経つと腰高になっていく。
考えてもいいのであるが、70歳の人、60歳を越えた人がほとんどである。
仕方ないことと言えば仕方ないことである。
でも、よくもまあ本人の意思とはいえ体をいじめて練習をしているなと感心してしまう。
ここの人たちは人生を本当に楽しもう!
自分の命を燃やしつきたいという情熱であふれている。
そんじょそこらの熱を持っている人間では太刀打ちできない。
若い人が同じことをしていたら、心を洗われるというか、
襟を正すだろう。
自分もまじめに一生懸命やらないといけないと思うかもしれない。
でも、70歳にもなって、生活保護を受けていても
心枯れずに狂言を打ち込む姿を見れば魂が揺さぶられる。
一生懸命やらねばとか
まじめに基礎からやろうとかそういうどこか他人事の感覚ではなくて、
じっとしていられなくなって何かに動かされて行動するような感じになる。
中途半端で一生懸命にやるのではなくて、真剣にするから失敗すると
そのギャップにおかしさが倍になる。
本当に愛すべき存在である。




狂言プレ in 釜ヶ崎 140113 Vol.5 へ続く





狂言プレ in 釜ヶ崎 140113 Vol.3

2014-02-09 05:24:41 | 釜ヶ崎人情
狂言プレ in 釜ヶ崎 140113 Vol.2 からの続き



このままこのゲームをしていても時間が無くなっていくだけ。
そう感じたから途中で打ち切りして、基本動作の練習をし始める。
「それでは皆さん、体も温まってきたので基本動作の歩くことをしましょう。
茂山家は狂言の中では大蔵流と呼ばれる流派です。
目線が歩くことによってぶれないように腰を入れます。
ちょっと腰を落とすような感じです。
手は腰骨から股間に向って凹んでいる鼠蹊部(そけいぶ)に手を添えます。
手を添えた状態ですり足で歩きます。
ではそれを部屋の端から端までみんなで順番に歩いていきましょう。」









その歩いている様子を慌ててクロッキーをしだす。
いわゆるムービングクロッキーである。
これがまた難しい。
モデルがクロッキーを前提にした動きではないので、
止まることがない。
でもそれがいい。
変な決めのポーズが無いので本質の動きの大つかみをしようとする。だからいい。
プロのモデルややりなれたモデルであれば、
指先足先まで変化をつけて描き手の心をそそろうとする。
それが興ざめてしまう。
ほとんどの描き手はそれをテンションの上がる材料として高潮するのであるが、
私はそれがどないしたねんと冷めてしまう。
肉体の動き、構造を描かないと絵にはならないのであるが、
それに焦点を当てて自分の高揚を作品にすることにはあまり興味が無い。
人の心や成り立ちに興味があるので少々のデッサンの狂いや指先の表現の差異は
気にならない。
狂言も見られることには変わりはないのであるが、
自分を見られることを通過してしまっている。
見られることへの緊張など捨て去ってしまって、人間の本質は何かというものを
表現しようとしているように感じた。
それは指導している童子さんの動きや受講者の動きを手直しする指導などから読み取れる。
モデルと絵描きの関係は開かれたものではない。
本人同士の中では開かれてはいると思うのだが、
鑑賞するものや関係ない通りすがりのものにとっては開かれていない。
どこかで出会った人とかいつかの自分とかそう思わせる絵に出会うのは難しい。
特にヌードは一期一会、閉じられた空間である。
絵描きとモデルの関係である。そこに普遍性を求めても出てくる訳がない。
でも、出てくると言う画家はたくさんいる。
恋人同士の愛をベットで語りあうことは出来ても、
時空を越えた普遍的な愛を語るにはあまりにも無謀すぎるかと思う。
絵一筋で生きてきても娑婆で実際に起こっていることを実感することは出来ない。
多分、どこか冷静で人ごとになってしまうと思う。
人生は一筋縄ではいかないからだ。
絵とは違う何かで普遍的なものを見つけ、それを絵で語ることは可能だと思っている。
ベットの上での快楽は快楽で必要だと思うし、
愛は愛でも個人的な愛としてとどめるべきだと思う。
普遍的なものを見つけるならば絵描きとしてではなく、
一個人として裸でぶつかっていくことが必要だと思う。
エロスでアガペーは語れない。
そんなものを狂言で見つけてみたいと思った。





狂言プレ in 釜ヶ崎 140113 Vol.4 へ続く







狂言プレ in 釜ヶ崎 140113 Vol.2

2014-02-08 06:45:41 | 釜ヶ崎人情
狂言プレ in 釜ヶ崎 140113 Vol.1 からの続き




赤鬼さん、スギさん、メルちゃん、タマさん、21さんなど
なぜ21という名前をつけたかわからない。
呼ぼうにも「21さん」とめっちゃ呼びにくい。
もうおかしいのをこらえるのが大変だ。
ほかにはユウさんやウンコさんもいた。
アクセントは”ウ”にある。
くれぐれも”コ”につけないように。
ここでは何でもありなので誰もとがめないし、止めたりしない。
ボケっぱなしでもみんな受け止めてくれる。
みんな真顔でウンコさん、ウンコさんと呼んでいる。
私も呼んでいる。
外から見ると不思議というか変な光景であるが、
みんなふざけてやっていないので(このときは狂言)
何かわからないけどピタッと嵌る。









童子さんがゲームをしましょうとみんなを集める。
手拍子をしながら名前を呼んで呼ばれた人は違う人を呼ぶ。
それをずっと続けていきましょうというゲーム。
声の発声とリズム感をみることだと思う。
そして、簡単なことであるが達成感を与えて、狂言につなげていこうということではないか。
「パンパン、赤鬼さん。パンパン、21さん。パンパン、ウンコさん。」
こうやって続けていくが、これが10回と続かない。
みんな輪になってやっているので、外側にいる私はみんなの背中を見ている。
このときばかりはクロッキーは描きにくい。
多分、時間もないのだろう。
予定していたと思われる難易度の高いものに移行する。
名前を呼んだ人と違う人を指差す。
これがぜんぜん出来ない。
4回か5回くらいしか続かない。
だんだん童子さんを気の毒に感じてきた。
これをどうまとめて狂言劇に仕立て上げるんだろう・・・
私なら先が思いやられる。




狂言プレ in 釜ヶ崎 140113 Vol.3 へ続く


狂言プレ in 釜ヶ崎 140113 Vol.1

2014-02-07 07:15:50 | 釜ヶ崎人情
1月13日、飛田界隈でオイルスケッチをしたあと、ココルームに行った。
なぜ行ったのかというと暖をとるためだけではなく、
17時からの狂言に参加するために行った。
参加と言うよりは”ごまめ”として潜入し、クロッキーをしてきたと言ったほうが正しい。
”ごまめ”とは関西弁でにぎやかしみたいな意味である。
無論、講師やお世話係の人に許可をとってのことである。
街の集会場で講座が始まる。
講師は茂山童子さん。
本家本元の血筋の人。
年は30代。やさしい物腰の人である。
集まったみんなに挨拶をして狂言とはどういうものかと解説してくれた。









「狂言はお笑い劇であります。
動きとセリフがあります。
3人から4人で劇をしますが、狂言ではセリフのない役はないです。
だから、この集中講座を受講した後狂言を披露してもらいますが、
セリフを覚えて、狂言の動きも覚えてもらわなくてはいけません。
これだけでも相当大変なのですが、
おまけに皆さんで台本まで書いてもらうことになっているみたいです。
この企画をしたのはそこにいる大滝さんです。
そこまで詰め込んで大丈夫かなとちょっと心配しているんですが、
大滝さんは大丈夫と言っているので大丈夫だと思って、
皆さんと一緒にがんばりたいと思います。
講座は今日13日を入れて毎日17日まで稽古をします。
17日の舞台での通し稽古をしたら、
その晩にすぐ狂言を疲労してもらいます。
相当ハードなスケジュールです。
狂言をまったくしていない人で劇までしようとするならば、
一年間基本動作を練習して、半年間劇の練習をして、
やっと舞台に立てることが出来ます。
それを皆さんは5日間練習して、即舞台。
おまけに台本まで作る。
前代未聞の企画ですけどやりとおしてみたいと思います。
それでは皆さん、狂言のセリフと動きと皆さんの名前を覚える意味をありまして、
一つゲームをしたいと思います。
皆さん、自分の名前か、呼ばれたい名前を胸に貼りましたか?
貼りましたら、まず自己紹介をお願いします。」




狂言プレ in 釜ヶ崎 140113 Vol.2 へ続く