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氷流日記

氷(筆者)と流さんの奇妙な徒然記

釜芸 成果発表会 Vol.7

2014-02-25 05:53:20 | 釜ヶ崎人情
釜芸 成果発表会 Vol.6 からの続き




詩の朗読が終わり、釜芸の出席率のいい人を表彰する。
敢闘賞。25回から30回出席した人。
名前を読み上げるころ、issaさんが大正琴を取り出して仰げば尊しを弾き始める。
なかなかいい演出である。
どうやらこれはissaさんの自主的な行動であるみたいだ。
ゆったり構えながら弾いているとissaさんの名前も読み上げられる。
えっ俺?てな具合でテレながら前に出て行く。









友が表彰されるようでこちらもうれしくなる。
敢闘賞の後は優秀賞。
30回以上の出席をした人。
55回講座があって一番出席した人は40回。
よく出席をされたものである。
一番出席されたsakaさんは表彰のときにはいない。
途中で帰ったみたいである。
彼は照れ屋で華やかな場所にはすっと隠れてしまう。
出席しても後のほうで座り、満席近くなると自分の席を人に譲り他のイスを取りに行ってさらに後ろに座る。
控えめで言葉を発しないが存在感のある人。
表彰式が終わった後、最後に釜芸の感想をみんなで述べた。
そこで尾久土さんが先日書いたように技術がなくても心に響く歌声があると知ったと語る。
競争競争で人より先に進むことを由としてきた人生を歩んできて、
自分に不利なところを隠して生きてきた。
そうやって自分の進むべき道を獲得してきたようである。
そうでなければ大学教授にはなれないのであろう。
しかし、詩の朗読などで釜ヶ崎の人と話すと隠していたことをポロッと話す。
同僚にも話さない持病があることとか。
素直になることでいろんなことを知ったというか教えられたというか
本人の心の中で何かが変わったようである。
前にも書いたがここにいる人たちと語り、その様子を見ていると
魂が揺さぶられる。
それだけ何か深いものを持っている。
それがあったとて銭が稼げるわけでもない。
技術が上がるわけでもない。
前に進めるとか未来が開けるというものでもない。
ただ深く深く沈むことが出来る。
深く深く沈むことは過去に生きることや特異点としての今を生きることでもない。
過去と未来を包み込んだ今を生きることだと思う。
一人の人間として丸裸になってお前はどうなのかと試されるようである。
最後にギャンさんが締めくくる。
「今日生きて、今日死ぬ。」
今日生きて、一日をありがたく過ごし、また明日の朝を迎えるとような生ぬるいものではない。
どう言っていいかわからないが、ただただすごいというより他ない。








釜芸 成果発表会 Vol.6

2014-02-24 07:18:57 | 釜ヶ崎人情
釜芸 成果発表会 Vol.5 からの続き




写真の後は詩の朗読。
お互いの顔を見つめて詩を作る似顔詩、一つのキーワードから6人でつづる連詩、
会いたい人や思い出を聞いて作る詩などその会毎にテーマを変えて詩を作る。
それらの詩を集めて詩を朗読する。
天文学の尾久土さんも詩の会に参加して詩を作ったみたいである。
壇上に立って朗読する。
お互い詩を作りあうので二人一組。









漫才のオール阪神巨人のようである。
大きい人が尾久土さん。
彼の生徒で卒論を宇宙と芸術をテーマに論文を書きたいという人がいたらしい。
その彼女も会場に足を運んでいる。
芸術をテーマにするっていうことになって、
じゃあ芸術なら釜ヶ崎でしょということになった。
假奈代さんに相談し、詩の釜芸に参加する。
始めは部屋の隅で二人みんなの様子を伺っていた。
そうすると假奈代さんが尾久土さんも書いてみたら促した。
恐る恐る参加したみたいである。
なかなかやり慣れていないことに四苦八苦。
出来上がった詩を成果発表会で朗読する。
なかなか厳しいものである。(^^;
しかし、尾久土さんをはじめ皆さんの詩は素直で、
心に響くものであった。








釜芸 成果発表会 Vol.7 へ続く












釜芸 成果発表会 Vol.5

2014-02-23 05:38:53 | 釜ヶ崎人情
釜芸 成果発表会 Vol.4 からの続き




ダンスに引き続きスライドショーでの写真の展示。
バックに流れるのはガムランという音楽。
インドネシアかどこかの民族音楽。
詳しくはわからない。
昼寝をしていたらぐっすりいけそうな音楽である。
写真のスライドショーで私の作品も出て来た。










足立商店とフレッシュという酒場の競演。
画像をフォトショップでいじったというよりも
字が重なる構図のところを狙って写真を撮ったという具合である。
他の人の写真もこのブログに載せたいと思うのだが、
いただかなかったのでそれは出来ない。
次回はそれも考えよう。
個人的には下の作品を紹介してほしかったのであるが・・・



 





多分、これではふざけすぎているのだろう。





釜芸 成果発表会 Vol.6  へ続く






釜芸 成果発表会 Vol.4

2014-02-21 05:13:35 | 釜ヶ崎人情
釜芸 成果発表会 Vol.3 からの続き




休憩の後、突然お呼びがかかる。
壇上に立って何かをしゃべって欲しいと催促された。
ただ後ろで仲間の活躍する姿を見たかったので何の心の準備もしていない。
とりあえず前に立って話した。
どこの馬の骨かわからない人間を講師として選んでいただいたことに感謝を述べる。
そして、絵に参加したみんなが絵の技術ではなく、
本当に描きたいもの、伝えたいものを描いていることに感銘を受けたことをお伝えする。
釜芸 131013 Vol.1 釜芸とおかしな男




絵の講座に参加した人の作品




緊張のまま席に着くとダンス部の創作ダンスが始まる。
題名は「朝起きて」
ダンスの発表が終わった後、若くかわいらしい女性の先生がコメントする。
名前は中西ちさとさん。
「皆さん、早い動きは出来るんですが、ゆっくりとした動きは不得意なんですね。(笑)
ゆっくりと動いてほしいと言ってもすぐ動きが早くなる。
そんなに急いでどうするのかなと思いました。」
おっとりした口調で話す。
つかさず假奈代さんが、
「生き急いでいるんでしょうね。ここの人達は。」と返すと
会場がどっと沸く。
「何でもここで劇団を立ち上げて公演をしたいと思っているらしくて。」
と假奈代さんが質問をすると、
中西さんがぜひやってみたいと語気を強める。
みんな触発されて影響を受けるみたいである。




釜芸 成果発表会 Vol.5 へ続く





釜芸 成果発表会 Vol.3

2014-02-20 04:51:12 | 釜ヶ崎人情
釜芸 成果発表会 Vol.2 からの続き


アメイジング・グレース


アメイジング・グレース なんと素晴らしい言葉だろう
私のような愚かな人間も救ってくれた
自分を見失っていた時期もあったが今は大丈夫
見えなくなっていたものも今は見える

心が恐怖に支配されている時、神の恵みを知った
神の恵みが私を恐怖から救い出してくれた
神の恵みを知った瞬間のなんと素晴らしかったことか
初めて信じたあの瞬間

たくさんの危機や誘惑の罠を
私達はいつも乗り越えてきた
神の恵みはこれまで私たちを守ってくれた
これからも神の恵みが私たちを導くでしょう

私たちは何万年経っても
太陽のように明るく輝き
神を褒め称える歌を歌うだろう
初めて歌ったその時よりも

初めて歌ったその時よりも


この歌詞は元奴隷商人が牧師となり、悔恨と神の感謝への気持ちをこめて
1772年に作詞された。
作詞したジョン・ニュートンは黒人を運ぶ奴隷貿易で富を得る。
改心し、神の祝福を感謝するがそれでいいのかと思ってしまう。
商売をしているときに命を落とす黒人のいただろう。
その人たちは納得するのだろうか、その人たちは天国にいけるのだろうかと考える。




釜芸の私の講座に参加してくれた方の作品




魂のこもった歌声はみんなを感動させたようである。
釜芸の締めくくりのときに天文学の尾久土さんがこう言った。
「埴生の宿を聞いたとき、泣きそうになりました。
技術がなくても心に響く歌声があるとはじめて実感しました。
頭ではわかっていたんですが、
心というものはやはり技術があってのことだと思っていました。
そうじゃないということをここではじめて知りました。」
私とまったく同じことを感じたようである。
こういうことを言う絵描きは本当に少ない。
デッサン会等私がこういうことを言えば怪訝な顔をされる。
技術を磨いた先に心とか何かがわかるはずと思っている人が多すぎる。
どこか他人事で天から降って来るようなものと考えているみたいである。
人体や人物を描こうとしている人は多いが、人間を描こうとしている人はいないように感じる。
私が作品を描くときは人間を描かなければと思っている。
骨や筋肉、構造を見るよりも先にその人はどういう人間かということを汲み取らなければならないと思う。
骨や筋肉の先に心は存在しない。
合唱部の発表会の後に一時休憩を挟む。




釜芸 成果発表会 Vol.4 へ続く