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氷流日記

氷(筆者)と流さんの奇妙な徒然記

哲学の会 2月 Vol.5

2014-03-05 05:30:23 | 釜ヶ崎人情
哲学の会 2月 Vol.4 からの続き



ウェイさんが手を上げて発言する。
「今は布団に入るだけで幸せと感じるけど、
昔を振り返って考えると、彼女が出来たときと高校入学したときに
達成感があり幸せだったと思う。
それから腹の立つやつが不幸になると幸せに感じる。」
まあそういう気持ちは多かれ少なかれ誰にでもあることだな。
nozomiさんが森鴎外の高瀬舟の話をすると、
西川さんがそれを保管するように拾い上げる。
「高瀬舟。罪人を運んでいく舟。
罪人が幸せそうにしているのでどうしてそんな風でいるのかと訊ねて会話していく。
自分は殺すつもりは無かったんだが、障害を持った弟が自殺をしようとして死に切れなかった。
もがき苦しんでいる姿をみて、助けるというか殺してしまう。
いままで弟を養わなければならないこともあって、食うにも困っている。
罪人になって流されていくのであるが、
流された先で生活するために使う必要なお金を渡されうれしく感じる。
初めて自分のためだけに使えるお金が手に入る。
今まで持ったことの無いお金。200文。
そのお金を使えるということで幸福感に満ちている。
足るを知る。
自分だけ幸せ。一人だけ幸せ。
これは意味かわいそうな人だと思う。」




水彩 各10分 半切



そこでウィッキーさんがグッモーニングと言って入ってきた。
今日は様子が変。声に張りが無い。
顔色も悪い。
「ミスター西川。今日はちょっと体調が悪い。
最近不眠症で寝てないの。
だから、今日は顔だけ出して帰ります。
今日はどういうテーマ?」
私の横に座ったので、幸・不幸と答える。
「幸・不幸ね。
幸せ。生れてきたからには幸せである。
私によって相手が不幸になるかも知れない。
今日はこれくらいにするわ。
あっ。本宮ちゃん。この前ありがとね。
カラオケ行ったの。楽しかった。」
と西川さんのほうに向いて話す。
そうウィッキーさんと1月に一緒にカラオケに行った。
毎週、日曜日の朝9時から10時までやっているふるさとの家という場所でやっているミサの後。
ときどき参加している。
無論、私はキリスト教徒ではない。
そこの神父本田さんに興味があってのことである。



哲学の会 2月 Vol.6 へ続く





哲学の会 2月 Vol.4

2014-03-04 07:16:30 | 釜ヶ崎人情
哲学の会 2月 Vol.3 からの続き




するとsiroさんがいきなり喋りだす。
「げっげっ原発どうにかせんといかんで。
原発。
あれそのままやったらこの国どうにもならん。
不幸になってしまう。
それからアメリカな。
いろんなとこ軍事攻撃して、
大国覇権主義あれなんとかせんといかん。」
といつものように大きな声でまくし立てる。
西川さんが言葉を遮り、
「あなたはそう思っているかも知れませんが、
それは一般論で自分の言葉ではありません。
自分の体験を通して、感じたことを言葉にしましょう。
私がやっている哲学は臨床哲学です。
本の中にあるような哲学ではありません。
ふにゃふにゃ何言ってるんこのおっさんと思うかもしれませんが、
自ら体験したことを言葉に出して、
どう生きるのかを考えるのが哲学だと思っています。
だから、自分の言葉で言ってください。」
先ほどの勢いはなくなり、トーンを落とした声で
「何も感じないのが不幸だと思う。」と話す。
「人間、お金があれば何でもできると考える人がいるけど、
お金持ちでも不幸な人はいると思うし、
お金がなくても幸福な人もいる。
そう考えると何も感じない不感症になってしまった人が不幸だと思う。」
一転、とても哲学的ですばらしい言葉が出て来た。




水彩 10分 半切



そして続ける。
「スプーンいっぱいの幸せというけれど、そんなんあんまりいいと思わない。
それよか原発、原発をどないかせんといかん。」
また始まる。おもろい人である。
みんな苦笑いして先に進める。
この人はどんな話題であっても原発とアメリカの話を必ずする。
水戸黄門に印籠と同じで彼にとっての証である。




哲学の会 2月 Vol.5 へ続く









哲学の会 2月 Vol.3

2014-03-03 07:04:28 | 釜ヶ崎人情
哲学の会 2月 Vol.2 からの続き




次はギャンさんが話し始める。
「幸せということを考えると米の飯を思い出します。
子供の頃、弁当に米の飯があったのは少なかった。
白い飯がうらやましかった。
米の飯だけではない、鮭も入っている弁当もあった。
ああ、食べたいなと思っていました。
今では弁当に鮭が入っているのは普通ですが、
一度食べてみたいと思っていました。
米の飯と鮭が入っている弁当を食べるのが夢でした。」
西川さんがそれに応える。
「それは芥川龍之介の芋粥にでてくる話と似ていますね。」
「そうなんですよ。
憧れというか、夢というか、
今考えるとそのことを考えているときが楽しかったかなと思います。」
「まったく同じですね。
芥川の芋粥に出てくる下級武士も正月にしか食べれない芋粥がたらふく食べるのが夢でした。
それが現実になると何かちょっとおかしい。
違和感がある。
楽しい時間は過ぎ去り、それとともに思い出も消えてなくなってしまいました。
夢のままで現実にならないほうが幸せかもしれません。」
ギャンさんが続ける。
「それから御釈迦さんっていますよね。
元王様で裕福な生活をしていた。
それが何を思ってか、その生活を捨てて悟りを開かれた。
不幸だから出たのか退屈だから出たのか、
どう思いますか、皆さん?」
西川さんが「じゃどういうことが不幸かみんなで考えてみましょうか?」
とみんなの顔を見渡す。





油彩 20分×5 F10




哲学の会 2月 Vol.4 へ続く




哲学の会 2月 Vol.2

2014-03-02 05:07:53 | 釜ヶ崎人情
哲学の会 2月 Vol.1 からの続き




kawaさんが切り出す。
「コップに飲み物があるとして、よくみんなも聞いていると思いますが、
飲んだウィスキーを見るか、残ったウィスキーを見るか。
それで幸、不幸の見方が変わってくると思います。」
水じゃなく、ウィスキーか。
彼らしい発言である。
彼は普段は寡黙な部類の人である。
詩の学校でもご一緒する。
とつとつと味わいながら話をする。
いつもいつも言葉を選んでいる人だなと横から眺めていた。




水彩 各5分 半切



ある日、哲学の会を終えてココルームに顔を出した。
するといつもと違い、陽気なkawaさんがいた。
べらべらべらべらと饒舌に話すkawaさん。
よく見るとビールを片手に話している。
ああこの人は酒がはいると饒舌になる人だ。
いわゆる虎になる。
虎は虎でも小虎だ。
陽気になって普段言い終えていない言葉を口から出しているようだ。
ココルームの女性スタッフに、
「kawaさん、ここまでよ。
お酒は終わり。」
と言われてまいったなとニヤリと笑う。
とてもかわいい人である。
そのkawaさんがたとえ話に酒の話をする。
まじめな話をしていても酒を飲みたいと心の中で思っていると考えれば楽しくなる。
酒の話を書いているうちに思い出した言葉がある。
5代目古今亭志ん生の言葉。


酒がいちばんいいね。
酒というのは人の顔色をみない。
貧乏人も金持ちも同じように酔わしてくれるんだ。
あいつは酔わせないよ、なんて言わねえとこがいい。


物事を平たく見ているところがいいなと思い、心に残っている。
他にはこういう言葉もある。


貧乏はするもんじゃねえ。味わうもんだ・・・


私も言ってみたいものである。
絵は描くもんじゃねえ。味わうもんだ。
無論、鑑賞することではない。
構造的に人体を人物を見るのではなく、
絵を描きながら人間を味わうということである。





学の会 2月 Vol.3 へ続く






哲学の会 2月 Vol.1

2014-03-01 07:07:19 | 釜ヶ崎人情
前回の哲学の会 風



前回の哲学の会を書いたのは10月。
その間、出席していたのだがどうしてもその内容をまとめることが出来ないので
2月までのびてしまった。
今日の会のテーマは”幸と不幸”
まず、西川さんがチラシの一文を朗読する。

「チラシの文章ですが、まず読んでみたいと思います。

不幸です、幸じゃない。
幸せです、不幸じゃない。
不幸じゃないけれど、幸せでもない。
幸せじゃないけれど、不幸でもない。
不幸だけれど、幸せです。
幸せだけれど、不幸です。
不幸じゃない、幸せです。
幸せじゃない、不幸です。

これは内山たかしの本の帯に書いていた文章です。
確かこうだったと思います。
幸せと不幸の組み合わせ。
八通りあります。
子供に書かせました。
いつもチラシを作っているけど、今日のチラシのデザインの意図を説明してください。」
えっと驚く。
予定していなかったのでkeiさんはちょっと慌てる。
照れくさそうに下を向いて話し始める。チラシを見ながら。
「円形を幸せのイメージにしました。円満というイメージです。
不幸は凸凹しているから、その凸凹している感じを出すために折れ線グラフのようにしました。
以上です。」









親父である西川さんが乱れた心電図とおもたわと突っ込みを入れる。
西川さんは元看護師で精神病棟で働いていた。
心電図と反応しているのはその名残りであろうと思われる。
「皆さん、どうですか?幸、不幸。
どうお考えですか?
幸、不幸。水と油じゃない。
必ずしも対立しているわけではない。
この文章のように混ざり合ったり、漂ったりしています。」
西川さんがみんなに言葉の呼び水をしている。





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