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氷流日記

氷(筆者)と流さんの奇妙な徒然記

釜芸とおかしな男 131201 Vol.1

2013-12-10 20:27:00 | 釜ヶ崎人情
前回の釜芸 131013




12月1日、快晴。
気持ちのいい朝である。
当日にどういう話をするかと思案して、あまり数日睡眠をとっていない。
前日はというとその疲れから、比較的早くから寝ることが出来た。
11時頃か。
始めにやることは決めていた。
水彩。
それも赤、青、黄の3色。
ホルベインのマゼンダ、ホリゾンブルー、パーマネントイエロー。
いずれも透明色。
赤も青も純粋の赤と青ではなく、
紅色のマゼンダと緑と青の中間のシアンである。
3色はバランスのよい配色だと思う。
理論的にはすべての色を作ることが出来る。
鮮やかどうかは別にして。
お互いの顔を描きあうので
顔の比率とか前回の話の続きで話すことが出来る。
あとは伝えようとすることをどう伝えるかである。
伝えることとは絵は楽しいものであり、修行のように描くものではない。
それと技術よりももっと大事なもの、心をどう表現し、焦点をあてるか。
技術的なことは刺激があり、ストイックになれる。
人体の構造を一つひとつわかるようになってくると、
一つずつ世界や人間を知ってくるように感じてくる。
それは大きな間違いで、絵描きのおごりとも言える。
世界を知るには、人間を知るには
歩いて、調べて、対話をすることで血となり肉となる。
見て描いて、世間話をしたところで面の皮をなめただけに過ぎないと思う。
惚れたはれたのなかの男女が住んでみたところ、
がっかりとして冷めてしまったという話はよくあることである。
絵を通して人を知って、そして絵を描いても浅くしか見ることが出来ない。
ようは絵以外の部分でどれだけ深く迫れるか、
そして深く掘り下げることが出来たならば、
それをどう表現するかである。
仕事をして仕事だけの付き合いならば、
その人を深く知ることは出来ないだろう。
仕事以外の趣味や興味、家族、そして出来れば生い立ちを知らなければ
一筋縄でしか人を見ることが出来ない。
そこらへんの話を長々と話し始めると絵を描く時間が少なくなるし、
校長先生の話のようにつまらない時間が流れてしまう。
なら絵の技術的な話をすればよいかといえば、
再三書いているように一筋縄で見る面白みのない思考になってしまう。
クリアできそうな案を考えたのが前日の9時半。
急いで家に帰ってパソコンをたたく。
アンケートみたいなものを作成する。
そのアンケートと絵の道具一式(約20人分)、水彩紙を用意し、
1日の朝9時半にカマン!メディアセンターに到着する。
すぐ横のココルームに行って、
司会役でまとめていただく裕子さんに挨拶をする。
今日はよろしくお願いしますとにこやかな笑顔で迎えてくれた。
元気をもらい、10時開店の準備をする。





参加者の作品





釜芸とおかしな男 131201 Vol.2 へ続く








哲学の会 10月 ”風” Vol.3

2013-11-10 10:30:39 | 釜ヶ崎人情
哲学の会 10月 ”風” Vol.2 からの続き


「仕事をしているときは風を感じる余裕がない。
仕事をやめて、時間をゆっくりできるようになって
風を感じる心の余裕が出来た。」
「60越えて70を過ぎると孤独の感じ方が違ってくる。
秋の孤独。冬の孤独。
今は秋の時代だと自分では思っているんですけどね。
今日も秋風吹いて、有難い。
そう思って一日一日過ごしております。
そう思うとゴキブリも殺せなくなって、
お前もそうかと思う次第であります。
こういうときは酒を飲むのが一番なんですけど、
今はアル中で酒をやめております。
だから飲めません。
風の道で飲む酒はうまいんです。
だけど都会は田舎と違って、風向きがすぐ変わる。
雑多な風が多いですね。」
みんな詩人である。
その人の心に少しだけ触れることが出来る。
私の番にまわってきた。
みんな自分の体験の話が多いので、ここは違ったものを話そうか。
人生経験はみんなより少ないので
たまにはそれもいいかと思った。









「この2年間、判断するときは3つの選択肢を用意するようにしています。
2つだとどうしても勝つか負けるかの先鋭的なものの考え方になってしまいます。
自分自身どうしてもしんどくなるので3つの考えから判断しています。
その3つの力で引っ張ると渦巻きができるらしいです。
先日読んだ本に書いてました。
貝殻の等角運動などはその法則に基づいているみたいです。
台風の話や竜巻の話が先ほど出ました。
この話を思い出し、3つの力が加わった自然災害の力はものすごいものだが、
人間も二者選択するよりも三者選択で
もし、物事を決められなかったとしても
そこに留まったとしてもものすごいパワーを生み出すんじゃないかと思いました。」
西川さんが私の話を拾ってくれて、
「3つの視点で考える。3角形の頂点で考えたりもしますね。
中心に立って中立に物を見ることは
大きく深くみることが出来ますね。」
とゆっくりと語ってくれた。
一番最後のツインズ弟がきつい落ちを話す。
「風と言えば仕事がなくなるっていうところかな。
雨が降っても一緒やけど。
生活に直結するからな。
40年前、日当8000円やったものが今は6400円やからな。
ほんまきついわ。」
西成で募集しているのは技術職で日当10000円くらい。
だから、補助の仕事かな。
以前にも書いたけれど、補助職なら年収200万円。
家族なんて養えない。年齢を考えると今から手に職という感じにもなれない。
それを本人の怠惰のせいとするにはせつない。
年収200万円の人たちがいないと成り立っていかない世界が
現実として今の日本には存在するから。
二者選択の人たちには
自己責任と言い放つ人たちには
けっして理解できないせつなさである。
最後の最後に世間の厳しい風を思い出し、
そしてみんな現実の世界に戻っていく。






哲学の会 10月 ”風” Vol.2

2013-11-09 07:01:44 | 釜ヶ崎人情
哲学の会 10月 ”風” Vol.1 からの続き




風。凪という言葉があるが、風と同じ速度であれば感じることが出来ない。
ぶち当たって抵抗がないと出来ない。
風というものは起こせるが、コントロールが出来ない。
これは西川さんの言葉。
西川さんに促された初参加の女性~順番に話す。
「風はいろんなものを運んでくれると思うんです。
香りであったり、声であったり。
届けたい人に季節ごとにそれらを届ける。」
「私は山の上から見る景色が好きです。
一つ一つの明かりには夫婦喧嘩もあったり、借金に負われている人もいるし。
そういう明かりを遠くから見る夜景を風に吹かれながら見るのが好きです。」
「私は鹿児島出身で島の生まれです。
鹿児島は台風の通り道になっとりまして、
台風が来るとなると大変です。
大阪あたりの台風と違うんです。
住んでるところは島でしょ。
あたりに障害となるようなところがない。
ビュービュー風が吹きます。
そりゃあすごい風です。じっとしていたら吹き飛ばされます。
でも、そのときは子供でしょ。
なんかね、ワクワクしちゃって。
風と言われるとそういう思い出があります。
人間の心を揺り動かすものがあります。」







「自然エネルギーで一番有効活用できるものは何か知っていますか?
そう風です。水力、太陽、地熱などありますが、
風が一番効率がいいんです。
風力発電を一番推進しているのはドイツで、
その風車を作る大手メーカーはデンマークです。」(ウィッキーさん)
「風は自由なイメージがあります」
「ゴンドアナ時代から同じ風が吹く場所があります。
その場所に憧れて行ったことがあります。
その場所はオーストラリアの東側のとんがったところ。
ここが太古から同じ風が吹くところか、
風はめぐりめぐって吹いてるなと感じました。」
「この風のチラシ見て思ったんだけど、
千の風の歌詞を書いてるね。
その歌詞を見て思い出したんけんど、
この前、無縁仏の慰霊祭に行ってきました。
大阪で2000人いるみたい。
その葬式見ていると生きている人のためにやっているんだなと
そう感じた。」



哲学の会 10月 ”風” Vol.3 へ続く












哲学の会 10月 ”風” Vol.1

2013-11-08 07:10:06 | 釜ヶ崎人情
前回の哲学の会 ”水”



今日は西川さんがいる。
いるだけでなんとなく違う。
何かあっても、話がどんだけ脱線しても
拾ってくれるという安心感。
司会進行役はnozomiさん。
どことなく落ち着きがあるように見える。
ウィッキーさんから話し始める。
風に関することを3点話すと言う。
2点だけ話して次に行くとみんなから突っ込まれる。
突っ込まれるが時間がないからいいですと返す。
時間は始まったばかり、たっぷりある。
そして、知人に聞いた風のインタビュー。
そしてどんどん話は風から離れる。
毎度のことであるが、
言いたいことを言ってすっきりして、落ちはない。
知識はいろいろ知っているので時折面白いことを言う。
留まった空気をかき乱す。
まるで風のような人である。
このテーマはウィッキーさんにぴったりのものである。
かき乱した空気に新鮮な酸素を送り、
他の参加者の脳を活性化させる。
なくてはならない存在になっている。
今日もあの人に会おうと思い、足が運べる。
世の中にはこういう憎めない存在の人がポツリポツリいる。
そういう人は含蓄があるでもなく、
ものすごい才能があるでもない。
ただいるだけと言えばいるだけなのだが、
いるときといないでは月とすっぽん。
場に人をひきつけさせるような磁気を持っている。
その磁気のおかげで主催者は助かり、
参加者の心は和む。
中には中身のない場を乱す人と思うかもしれないが
なかなかどうして世の中には本当に必要な人である。
場を修行の場、神聖な場と考える人には
迷惑極まりないことであるが。









そのウィッキーさん、つかみの最後に風のいろいろを話す。
「もし地球上に風がなかったとしたらどうなるかわかりますか?
風がないと地球の気温コントロールが出来なくて、
ある場所では100度になるところがでてくる。
風は変わるもの。
ユリオリの力で起こるもの。
地軸によるものである。
フーコーの力なんてものもそうである。
風にはいろんな名前があります。
極風、偏西風、貿易風、のわき、台風。
風の種類、その名、2000以上。
それだけ風というのは生活に密着しているものなんですね。」
なかなかいいことを言う。
ホント風のような人。




哲学の会 10月 ”風” Vol.2 へ続く



釜芸 天文学 ”月見” Vol.6

2013-11-07 07:15:40 | 釜ヶ崎人情
釜芸 天文学 ”月見” Vol.5 からの続き




今年の中秋の名月は満月。まん丸お月様。
「8年前も、満月でした。
では満月であったり、満月でもないのに中秋節があるのでしょうか?
答えはただの暦からです。
中秋節は旧暦でいうと8月15日。これは必ず仏滅です。
毎年、仏滅。決まってます。
それは暦だから。
ついたち。完全につきが隠れている日。これが月の始まりです。
そして3日月。これは3日目の月。
だから、みんなが思っているより細い細い月で、形が決まっている。
真ん中の15日に中秋節がある。
では真ん中なのに満月であったり、満月でなかったりするのか?







月は地球の公転と同じで、
ゆがんでまわっている。
地球に近いときは速いし、
遠いときは遅い。
そのときのズレが15日に満月が来ないということになる。
昔の暦は六曜でただ単に順番が決まっていた。
旧暦の8月15日は必ず仏滅と決めていた。
本当は物が滅すると書いて物滅。
今の人はこういうことを言ってもピンとこない。
月以外のものが多いから。
昔は月がないときはまったく見えなかった。
だから、遊びに行くときも飲みに行くときにも
自然と月の周期にしたがっていた。
それは動物も一緒。
みんなが同じバイオリズムで動いていた。
最後に阪神大震災や東北の東日本大震災の話を。
大地震が起こるときは大潮のときに起こるときが多い。
それは水が月で引き寄せられるのと同じで
陸も引き上げられる。
その差、30cm。
それが引き金になって大地震になる。
良くも悪くも月というものは我々の生活に密接に関係しています。
それではお時間となりましたので、
12月の年末に冬の星座の話をしたいと思います。」
久々、宇宙の話を聞けて楽しいひと時でした。