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氷流日記

氷(筆者)と流さんの奇妙な徒然記

但馬屋 Vol.3

2014-07-05 04:52:54 | 氷流日記
但馬屋 Vol.2 からの続き



「いや、いいんです。」
もうちょっとしたら、落ちつくからいろいろと絵に参加できると笑顔で言う。
このおっちゃんのくちゃくちゃした顔はなかなか味があって、
親しみがわく。
「兄ちゃん、ええとこ描いているな。
こういうとこは絵になるな。
でも、それももうちょっとかも知れん。
ここら辺再開発の話があってな、建て替えさせられるかもしれへんど。
5年くらいめどにや。」
「それじゃ、今のうちにドンドン描いて、残しとかなあきませんね。」
「そや、残しとき。でも、きれいに更地にしたらこの街でなくなるな。」
そう言ってデッサン会には来ると約束して去っていった。




ボールペン画 水彩紙 八つ切



行政の側から見ると、釜ヶ崎に住んでいない人の側からすると、
街がきれいになっていくことはすごくいいことなんだと思うかもしれない。
そうすることによって人の出入りがしやすくなって、経済活動もしやすいと。
しかし、ここに住んでいる人達はどうなるのだろうか?
役所や警察などの行政の人たちがいうのであるが、
生活保護を受けて、きれいになったマンションに住めばいいのではないか。
それはそれで理屈は通る。
しかし、それからはみ出たもの、新たにはみ出たもの、はみ出されたものは
どこに行けばいいのだろうか?
酒を飲んで管をまくことが出来る場所をひとつくらい残してもいいのではないかと思う。
きれいなマンションになって、一人誰とも交流することなく、
生きることが人間らしい生き方なのだろうか。
私はそう思う。
そろそろ絵も終盤になってきた。
そうすると若いいかつい兄ちゃんが2人こっちに向ってきた。
一人はモヒカンみたいなヘアースタイルである。
なんだろうと思いながら、「こんちわ」と挨拶する。




但馬屋 Vol.4 へ続く



但馬屋 Vol.2

2014-07-04 05:06:40 | 氷流日記
但馬屋 Vol.1 からの続き




イーゼルを用意せず、イスに座って膝の上で画板を置いて水彩紙に描いていく。
だから、話を聞きながら絵を描くことが難しい。
今日はなかなか絵が進まないなと思いながら話を聞いていく。
マレーシアに仕事で住んでいたときに水墨画をはじめたらしい。
当時、付き合っていた華僑の彼女から教えてもらって描きはじめたみたいだ。
彼女の教えを聞かず、自由に描いているのであきれていたらしい。
そうすると描いていたとしても相当昔の話であろう。
でも、絵は好きみたいである。
最初に会った自転車のおっさんがまた来た。
「おお、また会ったな。」
また会ったとはそっちが会いに来たのにと思っていると、
水墨画の親父と友達らしく、話し始める。
その間、絵が描けると思ってボールペンを走らせる。
そうすると自転車のおっさんが、
「お前なんで働かん。まだ若いのに。
能力あるのにあかんぞ。」
「ええねん、俺は。働きたくない。」
何か理由があるみたいである。
2人の押し問答の後、自転車のおっさんがあきらめたのか、
「わかった。じゃ、一杯飲もか。」
「一杯じゃ飲めん。100杯じゃ。100杯なら飲む。」
自転車のおっさん、肩透かしにあって、
そうかといって帰っていく。




ボールペン画 水彩紙 八つ切




そこから水墨画のおっちゃんの絵画論が始まる。
言っていた内容はよく覚えていない。
覚えていないと言うか、何を言っているのかわからなかっただけである。
しばらくすると気持ちがすっとしたのか、酒買ってくるわと行ってどっかにいく。
絵も中盤から終盤にさしかかるころ、但馬屋のおばちゃんが覗きに来た。
「うちみたいな汚い店、絵になるんやね。」
「いやあ、こういう年季の入った愛される店は絵になるんですよ。」
「ホンマ、有難う。」
店の仕事そこそこに見に来たみたいである。
お客さんに外で絵を描いていると教えてもらい、
見に行ってみたらとすすめられて覗きに来る。
お互いにお礼を言って、おばちゃんは店の仕事に戻る。
次は板さんが手を上げて、横に座る。
「兄ちゃんすまんな。ハルカスの展覧会に行けなくて。」




但馬屋 Vol.3 へ続く




但馬屋 Vol.1

2014-07-03 07:02:51 | 氷流日記
この前の日曜日、三角公園に行く。
難波屋、明楽旅館、水掛不動さんとペン画ならぬ、ボールペン画を描いて
大いに気に入る。
鉛筆でかたどりしてからボールペンで清書するやり方が正統派なのだろうけど、
面倒なのでボールペンだけで描いていく。
失敗したら終わり、液ダレしたら終わりというところが
スリリングでいい。
実際描いてみて、これで失敗というものは無い。
うまい、ヘタということではなくて
線に甘えが出てこないのでとてもいい。
失敗した線もあり、それも作品の一部にする。
それは社会からはみ出したモノのようで
そのモノを許容するようで描いていてうれしくなる。
どこがいいかとうろうろしていると三角公園前の立ち飲み屋さんが目に入る。
それが但馬屋さんである。
道路を挟んで三角公園側に陣取り、電信柱の横にイズを置く。
置いてうすくうすく線を描いていく。
3本ほど描くと顔を赤らめたおっさんが寄ってくる。
「兄ちゃん何描いてんねん。」
「絵ですわ。但馬屋さんを描いてます。
ボールペンで。」
「ほぅおそうか。」
「おっちゃんも絵を描いているですか?」
「俺は描いてへん。俺は酒飲んでる。」
ヨタヨタ自転車を押しながら去っていく。
今日はいきなり早いなと思っていると5分くらいするとまた別の呑み助がやって来る。




油彩 20分×3 F10



「兄ちゃん、描いてんのか?」
「ええ、ボールペンで描いてます。」
呑み助は呑み助なのだが、ちょっとインテリっぽい呑み助。
絵は描いていたらしい。水墨画。
「俺の絵はすごいよ。
個性があって、自由に描いていく。」
ここ釜ヶ崎は巨匠がいっぱいである。
7月5日のデッサン会と釜展の案内を渡し、参加と出品をお願いする。

デッサン会
7月5日 10時から 西成市民館
着衣固定 20分×6回
読書をする女性を描く。
本は”星の王子様”
本当に朗読してもらう。
朗読している女性を描く。

釜展
8月13日、14日 西成市民館
10時半から
出品希望者は午前中に市民館に持っていく。

このことを伝えて話し続ける。



但馬屋 Vol.2 へ続く


昨日のこと

2014-07-02 06:58:22 | 氷流日記
昨日、閣議決定で集団的自衛権を容認した。



容認という言葉を調べた。

(本来は認められないことを)よいと認めて許すこと。
「許容」は基準からはずれてはいるが,それを許して受け入れる意を表す。
それに対して「容認」は法律的道徳的に誤っていて本来は認められない物事を、
大目に見てよいと認める意を表す


私、個人は閣議決定は反対である。
それは憲法9条を守ってさえいれば世界は平和というような
考え方ではない。
共産党や朝日新聞とは違う。
どこかが攻めてきたら戦うし、守りもする。
攻められているのに傍観して、戦争はダメだというようなことはしない。
ただ・・・

前の太平洋戦争でなくなった人たち、特攻隊に行ってなくなった人達、
沖縄でなくなった人たち、そして相手国のを殺した人たち。
あの戦争は何だったのか。
続けることに意味があるのか。
そういう総括無しに閣議決定することと
一番強固な決まりごとの文章が
そのときの機運や気分でどうにでも変えられるということに
嫌なものを感じる。
特攻隊を考えた人、進んで実行させた人、
コマのように使った人が
靖国神社に奉られていることは非常に嫌悪を感じる。
負けるとわかっていても沖縄を盾として使った人たちもである。
個々の家で成仏するようにすることはいっこうに構わないが、
日本としてそうすることはどうかと思う。
日本国として思えばいいのかもしれないが。
特攻隊を考えた人やコマのように使った人の魂を
無念で亡くなった人たちと同じようにしないといけないのか
わからない。


シーソーは一度バランスを崩すと一方に傾く。





DEEP IN OSAKA 車編

2014-07-01 05:10:42 | 氷流日記
前回 DEEP IN OSAKA トトロ



コーナンに買い物に行く途中、いいセンスの車に出会う(?)
一瞬、目を疑う。




携帯でとったのであるがシャーが入っている



写真を見ていただきたいのであるが、
この黄色と白のツートンカラー。
どこかの会社の宣伝のものでもない。
車体にはそう思われる文字がない。
だから、どういう意図かはまったくわからない。
ただの趣味か。
どこのメーカーの車か目を凝らして見る。
近づいて見る。
どこのメーカーと思いますか?









答えはベンツ。
ある意味贅沢なお金の使い方。
多分、大阪以外ではこんなものないのではないかと思う。
(こんなものとは失礼であるが)
この車を見て思い出したのは
ジャンボーグエースの後釜に出てきたジャンボーグナインの車。
変身するときに使う赤と白のツートンカラーの車。








この車、セカンドカー以降であってほしいと思った。