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氷流日記

氷(筆者)と流さんの奇妙な徒然記

尾崎放哉 Vol.3

2013-11-13 06:54:47 | 氷流日記
尾崎放哉 Vol.2 からの続き



「中動態」的関係という聞きなれない言葉に引っかかる。


冒頭の”もてあましている”のような言葉である。
次のように西川さんは説明する。

この中動態が目立ってくるのは、自分自身の身体への関わりだろう。
例えば、両手を合わせる。
右手が左手に触れているのか、左手に右手が触れられているのか。
こんな風に自問自答すると、どちらとも判然としない意識の反転が繰り返される。
能動受動を超えた「合掌」においてのみ、意識は落ち着く。








なるという言葉に落ち着くみたいである。
なる。なるはないとあるの急速な変化の状態を表す。
色即是空で言えば即にあたろうか。
禅の世界では空を最上のものとしている。
拝金的な世界や目標や夢に向って進むことは色を最上とする。
色は計画を立てて、世界を構築していく。
空は世界を消していく。
空は無心とも言えるが、それではあまりにも潤いがない。
色から空に変化するそのわずかな瞬間こそ人としての可能性があるではないかと
最近考えるようになった。
色の世界では人としてよりも人体としてのニュアンスが大きい。
人体解剖学や遺伝子研究のように細かく砕いて分析していく。
空は人としての存在さえもなくしていく。
無心という境地より無我。
無我夢中の即の世界のほうが二兎としてのなまなましさもあり、
後世に伝えていくものがあるのではないかと思う。
それを西川さんは中動態や合掌という言葉に置き換えているように感じた。
色や空を突き詰めていくと切れ味鋭く、湿度がなくなってくる。
中動態には善とも悪とも取れないザラッとした感覚が耳の側に残るようである。
西川さんからとても面白い言葉を貰い、
ちょっと潜ることが出来たように思う。




尾崎放哉 Vol.4 へ続く




尾崎放哉 Vol.2

2013-11-12 06:51:37 | 氷流日記
尾崎放哉 Vol.1 からの続き




文章は西川さんの重い過去とかせね合わせて進んでいく。
自分と放哉を重ねあわせている。
どうしようもない甘ったれの放哉が
禅的な「放下」ではなく、家庭や社会からの放逐を受け入れていたと見ている。
西川さん本人には放哉に自分と違う部分に
惹かれていたのではないかと話した。
が、「いや、そうではなく同じ部分を見た」とポツリと話す。
4人、100円のお好み焼きを釜ヶ崎で食べていたときである。
一時はそうかと思ったが、
よくよく考えるとそうではない。
西川さんの人生も放哉の人生と同じように壮絶なところがある。
放蕩の行き着く先に両親の家を売り飛ばす。
本には書かれていないが、本人から聞く話では
本当に破天荒である。
その破天荒さが40歳越えてから大阪大学で哲学を学びだし、
後に大阪大学総長になる鷲田教授に見出される。
そして、運命の糸をたどるように大阪大学の教授になる。
放哉の詩、歩んできた道を考えると確かに放逐である。
西川さんの人生や語る言葉には放逐の色はない。
放逐の色がない人にすべて放逐の人生であったというはずがない。
社会からの強い太いつながりがあったと思う。
しかし、放哉も西川さんも自分を切り売りしているという点では
つながりがある。
私には到底出来ないことである。







西川さんは続ける。
小豆島という特殊な土地で放哉は息をするように句を作り続ける。
小豆島にはお遍路がある。お遍路があるから外からの人を受け入れる。
受け入れはするが定住は認めない。
そういう土地で放哉は句を作り続けることによって生かされる。
お互いに協力していくが癒着することのない共存のあり方としている。
それは、西川さんが言うには「中動態」的関係であるとしている。



尾崎放哉 Vol.3 へ続く






尾崎放哉 Vol.1

2013-11-11 18:19:03 | 氷流日記
髪の美しさもてあまして居る


自由律俳句の尾崎放哉の句である。
放哉は比較的裕福な家庭で育ち、東大まで進学する。
エリート中のエリート。
親は医者である。
明治18年の生まれだというから今の比ではない。
放哉は東大に進むが、恋愛で失敗し、
官僚の道に進めず、会社に勤める。
その会社も追われるように出て行き、流れ流れて小豆島に行き着く。
そこでむさぼるように詩を書き、
衰弱するように41歳の生涯をとじる。
放哉との出会いは1冊の本からである。
それまでは名前さえ聞いたことがなかった。
自由律俳句といえば山頭火くらいしか知らなかった。


分け入つても分け入つても青い山

まつすぐな道でさみしい

どうしようもない私が歩いている

酔うてこほろぎと寝ていたよ


これらは山頭火の詩である。
山頭火の出会いは子供が公文で俳句カードを持って帰ってきたとき、
面白うそうだと思って、図書館で俳句から漢詩、古文、現代詩などなど
CDを借りてきてである。
山頭火の中にすっとぼけたところにある哀しみに興味がわく。
風貌というか空気感が山下清に似ている。
彼の作品も愉快なようであって、
どこか物悲しい。
そんな山頭火よりも放哉はもっと自虐的である。
その放哉を紹介してくれた本を書いたのは
哲学の会を主催する
哲学の師匠、西川勝さんである。








尾崎放哉 Vol.2 へ続く



釜芸 131013 追記

2013-10-24 07:00:42 | 氷流日記
釜芸 131013 Vol.6 からの続き



昨日、いろいろ勢いで書いたが、
後でよくよく考えた。
思い入れをした絵を個展で売れるか?
そういう作品を個展でも発表すればスジが通るのであるが・・・
売れないな。
それならば人格として人を見た作品ではなく、
人体として見た作品なら売れるか。
でも、そういう心の整理をして、
自分に納得させても
心では違うと説明しても、
もう戻れないですね。
人体として見る踏み出し始めたスタンスは
人格として見ることをいつも間にか拒否する。
本人にもわからずに。
思考が行動を支配すると思っている人が多いが、
よく見ると行動が思考を支配しているほうが圧倒的に多い。
アドリブ、反射的にすることは
行動から生まれたものが多い。
だから、最初の一歩はよくよく考えて踏み出さないと大きな差になる。
でも、個展をするときは人体や構成で描かないと出せませんね。
難しいところです。
個展をするなら毒されないようにほどほどにしたほうがいいか。


能動的なものではなく受動的なものならまた違ったものかもしれないが。




















釜芸 131013 Vol.6

2013-10-23 07:18:34 | 氷流日記
釜芸 131013 Vol.5 からの続き



みんな一所懸命描いた。
作品を作ろうという意識もなく。
なかにはそういう意識、自意識の強い人もチラホラいたが、
基本的には絵ってどういうもんやねんという感じで
楽しんで描いていた。
私がいい作品だとおもったものは
そこで作品にしようと考えていない作品。
ん?なんかへんな言い回し・・・
でもそんな感じ
つまり、発表してもいいレベルにしたい!とか
同じ空間で描いているほかの描き手を意識しないで
描いている絵、
それはモデルとなる人とちゃんと向き合っているので
とてもいいと感じた。
いくらうまく描けても、
個性を出したい、自分を表現したいというものと
前にある対象を伝えたい、思いを届けたいというものでは
大きな違いと差がある。
こういうのはどうであろう。
今、話題になっている映画。
「そして父になる」
これはこれでいろいろと問題はあるみたいであるが・・・ (^^;
この映画のストーリーを考えて、頭の中で膨らませて、
それを表現したい、他とは違う映画を世に問いたいと言っても
ただの頭でっかちで伝わるものがない。
それよりも実際に体験して、つらい思いをした人と会って、
話を聞き、その思いを伝えようとするならば、
たくさんの人の心に響くだろう。
結局絵も同じで自分を出す、個性を出すといっても
共感するもの、心の琴線に触れるものがでてこないと思う。
しかし、絵では個性優先が王道のようにまかり通る。
そうなると技術や色面、マチエールの構成の勝負になってくる。
その上に伝えるものが無くていいのか?
それが絵心になってくると思う。
技術を優先にするものはいくら想いを後付しても
技術が絵心になる。
そこには人の温かみが存在しない。
だから、目で見ることに慣れている人、
目にすごい能力のある人は
人格というよりも人体を先に見る。
人体を見てから、人格を見たら結果は同じと思うかもしれないが、
出だしが違えば結果は大きく違う。
今回は時間もなく、こういう話をすることが出来なかったが、
次回12月1日には話してみたいと思う。






参加した人の絵


釜芸 131013 追記 へ続く