尾崎放哉 Vol.2 からの続き
「中動態」的関係という聞きなれない言葉に引っかかる。
冒頭の”もてあましている”のような言葉である。
次のように西川さんは説明する。
この中動態が目立ってくるのは、自分自身の身体への関わりだろう。
例えば、両手を合わせる。
右手が左手に触れているのか、左手に右手が触れられているのか。
こんな風に自問自答すると、どちらとも判然としない意識の反転が繰り返される。
能動受動を超えた「合掌」においてのみ、意識は落ち着く。

なるという言葉に落ち着くみたいである。
なる。なるはないとあるの急速な変化の状態を表す。
色即是空で言えば即にあたろうか。
禅の世界では空を最上のものとしている。
拝金的な世界や目標や夢に向って進むことは色を最上とする。
色は計画を立てて、世界を構築していく。
空は世界を消していく。
空は無心とも言えるが、それではあまりにも潤いがない。
色から空に変化するそのわずかな瞬間こそ人としての可能性があるではないかと
最近考えるようになった。
色の世界では人としてよりも人体としてのニュアンスが大きい。
人体解剖学や遺伝子研究のように細かく砕いて分析していく。
空は人としての存在さえもなくしていく。
無心という境地より無我。
無我夢中の即の世界のほうが二兎としてのなまなましさもあり、
後世に伝えていくものがあるのではないかと思う。
それを西川さんは中動態や合掌という言葉に置き換えているように感じた。
色や空を突き詰めていくと切れ味鋭く、湿度がなくなってくる。
中動態には善とも悪とも取れないザラッとした感覚が耳の側に残るようである。
西川さんからとても面白い言葉を貰い、
ちょっと潜ることが出来たように思う。
尾崎放哉 Vol.4 へ続く
「中動態」的関係という聞きなれない言葉に引っかかる。
冒頭の”もてあましている”のような言葉である。
次のように西川さんは説明する。
この中動態が目立ってくるのは、自分自身の身体への関わりだろう。
例えば、両手を合わせる。
右手が左手に触れているのか、左手に右手が触れられているのか。
こんな風に自問自答すると、どちらとも判然としない意識の反転が繰り返される。
能動受動を超えた「合掌」においてのみ、意識は落ち着く。

なるという言葉に落ち着くみたいである。
なる。なるはないとあるの急速な変化の状態を表す。
色即是空で言えば即にあたろうか。
禅の世界では空を最上のものとしている。
拝金的な世界や目標や夢に向って進むことは色を最上とする。
色は計画を立てて、世界を構築していく。
空は世界を消していく。
空は無心とも言えるが、それではあまりにも潤いがない。
色から空に変化するそのわずかな瞬間こそ人としての可能性があるではないかと
最近考えるようになった。
色の世界では人としてよりも人体としてのニュアンスが大きい。
人体解剖学や遺伝子研究のように細かく砕いて分析していく。
空は人としての存在さえもなくしていく。
無心という境地より無我。
無我夢中の即の世界のほうが二兎としてのなまなましさもあり、
後世に伝えていくものがあるのではないかと思う。
それを西川さんは中動態や合掌という言葉に置き換えているように感じた。
色や空を突き詰めていくと切れ味鋭く、湿度がなくなってくる。
中動態には善とも悪とも取れないザラッとした感覚が耳の側に残るようである。
西川さんからとても面白い言葉を貰い、
ちょっと潜ることが出来たように思う。
尾崎放哉 Vol.4 へ続く