尾崎放哉 Vol.4 からの続き
放哉や日勝のように表現することを個性という。
個性。個性と言っていいのだろうか。
個性というにはあまりにも軽すぎる。
壮絶な人生を語るような言葉ではない。
ここに1000円あったとする。
その1000円で残り1週間過ごさなくてはいけない事態になったとしよう。
1週間後に給料が入るが、一ヶ月カツカツの生活。
だから、借りても返せない。
ある人は計画的に7等分して一日使えるお金はこれだけ。
そのお金でつつましく生活する人もいる。
またある人は知り合いにお金を借りにいくかもしれない。
ただ返すあてはない。
そのまま縁を切りとんづらをかます。
だが、それも限界はある。
ある人は電車賃を払って、友人に食料を分けてもらおうと頭を下げにいく。
パチンコやボートでお金を増やそうとする人もいるだろう。
それらを一つひとつ、
「あなた個性的ですね。」と言えばぶん殴られることだろう。
では上に書いたよなことはその人をあらわさないかと言えば
その人そのものである。
着飾ることのないもの。
個性を越えた個性。
それが”地”である。
その”地”に詩情があったり、絵心があったりするのだと思う。
古典的な絵に命を懸けて、古典技法を学ぶ。
グレーズで美しいグラデーションを奏でる。
美しい色面の抽象画でもいいだろう。
そして、命を懸けた絵が売れて、
自分の進む道に間違いがないと確信する。
だが、それをも越えた”地”や”性(さが)”に比べて
なんて軽い軽い命だろう。
放哉と日勝の作品からはそんな野太い地の底から立ち上るような声が聞こえてくる。
所詮、個性というのは”地”に纏った美しい絹の衣ではないかと思う。
尾崎放哉 Vol.6 へ続く