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氷流日記

氷(筆者)と流さんの奇妙な徒然記

河井寛次郎「手考足思」 Vol.9 倉敷の新業

2014-01-05 07:38:34 | 氷流日記
河井寛次郎「手考足思」 Vol.8 倉敷の新業 からの続き



 




12.魚籠(備前撫川町産)
ありふれた籠の一つである。
極めて有りふれた籠である。
この籠には何の異相もなく、何の特徴もない。
それがこの籠の生命であり、奇特なところであり、立派なところである。
こんな籠は特別な注意を払わないで作られ、特別な注意を払わないで買われ、
生活の随所に入って、薄暗い無意識の蔭を明るくしている。
この籠だけではない、およそこんな風なものは皆そうだ。
そういうことに気づくのにも、この籠は役に立つ。
浅口郡寄島町に近い猟師の聚落、安倉辺で作られ、安倉籠と呼ばれるという。
岡山県の酒郷鴨方地方で消化される酒樽の竹輪の残った中身で作られるのだといわれる。


  こういう感受性がどうやって育まれるか、不思議である。







13.組物
大原土瓶と、酒津焼火鉢と、福山産竹皮の円座の組合せ。いずれも新作。
土瓶以外は別途のものではあるが、こう組み合うのも一つの用途である。
各々の氏名が満たされている好い組合せである。
この土瓶は”河井寛次郎「手考足思」 Vol.8 倉敷の新業”の土瓶と共に、かわらと同じいぶし焼きで柔かいから、大事に扱わなければならない。
これはしかし欠点と考えるより、特徴と思ったほうが妥当である。
無学の好いところがあって、貧乏の親しさがあって、温良で素直で、
煮えると全身から湯気を立てて愛嬌である。
湯は柔かくさめ難く長く使ってそむかれない。
火鉢は、唐白に落ちついた黄青の銅釉のかかったもの。
これも無意識の暗闇にとじ込められている立派なものの一つである。
こんな物はどんなに賞められたとて、過褒に堕ちるきづかいはない。
物自体がほがらかであるからである。
賞められて見劣りすることなく、ますます良くなるばかりである。
(円座は福山市東霞町貫井店製)

 
  無学であって馬鹿ではなく、親しみがあって馴れ合いではない。
  闇に在って染まることなく、粗野であって雑ではない。

  

  

河井寛次郎「手考足思」 Vol.10 へ続く




河井寛次郎「手考足思」 Vol.8 倉敷の新業

2014-01-04 05:41:24 | 氷流日記
河井寛次郎「手考足思」 Vol.7 倉敷の新業 からの続き






9.大原土瓶(倉敷市外酒津岡本静雄氏工場産)
上の写真のように、この窯は祝部(いわいべ)を焼いた頃からの物と観て差し支えなかろう。
有史以前のものがここにも残っている。
形だけは茶釜や鉄瓶の代用で出来たと見えるが、これは前からの仕事ぶりや焼き方の中へこんな形が入って来ただけのことなのである。
死に絶えてしまった鉄瓶の魂が、この陶器の古法の中でまだ生き残っているのである。
全部型起し。
ここには窯だけではない。一連のこの作者達の持つ仕事の時間は、驚くべき古代を見せる。
千年も前はこんな物かと思われる位、我らの時間とは別な時間が残っている。
からっぽで間の伸びた、節のない同じ太さで、曲がりくねりもせず、たるまないで、
どこまでも際限なく続くのがこの人達の時間である。
速力では近代の時間が勝つかも解らないが、悠久な点では遥かに叶わない。
質も、量も、特別な時間がここにはある。
だから仕事は非常に遅い。
まだるいほど遅い。
が結局、速度の早い時間よりも出来不出来もなく、一日中には驚くほどたくさん作ってしまう。
これは問題である。
こんな時間を取り返すことは出来ないまでも、
どうしたら立ってついて行けるだけの時間に直せるか、ということは重要な課題である。
こんな時間を仮りに軽蔑するようなことがあるならば、それは恥ずかしいことだ。
これは節だらけで切れやすく、すぼんだり、ふくれたり、たるんでみたり、張り切って見たり、
粗密の不安定なせっかちな、今の時間をそのまま許している、暗愚その物であるからである。
この土瓶を使う人達は、安全を念じて、初めに知りの三方に墨で鬼という時を書き、
その上を塗り潰し、ときどき種油を拭いておくと言う。
いかにも一々理にも叶えば心にも済むことである。


  こういう評価というか、文明以前の時間を見つけ、賛辞を述べていることは
  寛次郎自身が縄文からの時間を意識して、作品つくりをしていることがわかる。
  仕事は遅いが、数は驚くほど作ることに注目しているのは、
  芸術作品を作るよりも人に使われる物を作ることを好しとしている。
  一見遅く作ることが大事と見る向きもあるが、
  ここで大事なのはたくさん作ることである。
  観賞用の売り絵をたくさん描くこととは違うし、
  古典技法で時間をかけて数点描くのとも違う。
  どちらも文明の岩盤をぶち破っていなし、節は見当たらない。







11.撫川団扇(備中矢掛町産)
この団扇はちょっと見ただけでは薄い雲形の模様が出ているだけなのであるが、透かして見て始めて合点出来るのである。
図は裏から弧光燈(アークライト)をかけて撮ったもので、眼で透かして見た時の調子。
白と、鼠と、淡紅の紙を切り合わせて歌を現した物で、文字から雲形が生れ、
紙を重ねるために透かさねば解らぬ伏せ文字が出来たものである。
いずれにしても風情のある団扇である。
 よひよひの山のみおそき月かげを
  あさぢが露にまつむしの声
調べが卑俗だと言って、この団扇をけなすことは早計である。
土へ降りた歌として読むべきだ。
匂い高い歌を借りて来たのでは百姓町人にはそぐわない。
それよりは、ずっと親し味があって好い。が、そんなことは大事なことではない。
平仮名が続いているだけでも、日本人にはただちに歌なのである。
歌であればよれで好い。
かざす影から、月とか露とか、虫とかを見つけ出せばそれで好い。
それで各各皆、新秋の情景へ入って己々の境涯がうちだせるのである。
やさしい日本。優美な日本。
この団扇なども忘れられんとする日本の心を守っておいてくれたすぐれものの一つであると言って好い。


  扇子でなく団扇に心を寄せているのがすばらしい。
  扇子であれば、侘び寂びの世界に入り、匂い高い研ぎ澄まされたものになる。
  孤高よりも土着を目指す。私もそうありたいと思う。




河井寛次郎「手考足思」 Vol.9 倉敷の新業 へ続く






河井寛次郎「手考足思」 Vol.7 倉敷の新業

2014-01-03 04:31:50 | 氷流日記
河井寛次郎「手考足思」 Vol.6 倉敷の新業 からの続き



13ある中からピックアップして紹介する。




下の写真


6.たばこ入れ(倉敷実業学校藤工科製)
張り切った力というようなものを、この箱は貯えている。立派な骨組みと栄養を恵まれている。
太い神経と豊かな才分とがある。押出しも立派で頼み甲斐もある。
こんな製品は、それ自体が好いだけでなく、次の物をはらんでいるのでいっそう張り合いがある。

  学生が作ったものかどうかはわからないが、作家に注目したり、アドバイスしたりするところがなく、
  ただ物を見ていることがすばらしい。






8.酒津焼鉢(倉敷市新町丸山九八氏製)
雑器釜の徳で、ここにも立派な技術と製品が続いていた。
水甕(みずかめ)、漬物壷、手水鉢、捏鉢(こねばち)、石皿等の見事な大物がやすやすと作られていた。
幾棟かの広い仕事場と大きな登り窯が並んでいた。
径三尺の手水鉢、高さ六尺の愛甕でも焼かれるくらいの設備と技術が残っていた。
唐白とこの色釉と、土灰釉と茶と柿と、黒釉の安定した配合が守られていた。
こんな生産力が窯の人の話によると時勢に封じられていた。
が、消えてしまっていては仕方がないが、残っている。
こんな技術の大きな資産は、そうどこの窯場にもあるわけではない。
背負い切れないほどの仕事の富が、ごろごろしていた。
この中で一人の雑器の作者に会った。
それはただに我らの技術の師範であるばかりでなく、第一に立派な人であった。
ここには、けばけばしい才能の高い建築は立っていない。
手入れのされた自負の垣もない代りに、一人の人として引き継がれた大きな生命の木陰があった。
一人前の百姓で、一人前以上の陶工で、それにも増して一人の人であった。
この人達は、すぐれたと言われる人に負けないほどの誠実を持ち、
忍苦を持ち、謙虚を持ち、質素を持ち、奉仕を持ち、技術を持ち、清貧を持つ。
野隠で無言で頑健である。
およそこれらの総和以外に、人は何を持ったなら好いか。
知識か、才覚か、賢明か、力量か、出世か、皆否である。
不識と、非才と、愚直と、非力と、不出世こそ、願わなければならないものではないか。
小河原虎吉氏並びにこの一群の人々を私は尊敬する。


  この文書に何一つ付け加えるものはない。



河井寛次郎「手考足思」 Vol.8 倉敷の新業 へ続く






河井寛次郎「手考足思」 Vol.6 倉敷の新業

2014-01-02 05:29:59 | 氷流日記
河井寛次郎「手考足思」 Vol.5 荒物屋 からの続き



倉敷の新業


一杯にはらまれた物。
何物かが生まれんとする気勢が倉敷に起こっていた。
物の始まらんとする前に、ある新しい驚きと不安と、
しかし何物も飛び越えた強い喜びが動いていた。
物だけではなく、その奥の物へ、燃えているものがあった。
土地は人と産物に恵まれ、各々和があって、町は栄えていた。
その張り切ったものがこのたびの出発なのである
大部分のものは新作。
産物の中でも団扇(うちわ)が一つ、七、八年前の物だと言われるだけで、
これも好い新作が可能であり、他の物も皆、次へ飛躍しようとするものばかりである。
天物が豊かであるから、古い物新しい物にまだ気づかれない好い物があるように思われる。
それぞれの業に生き返されるに相違ない。
どこでも物は観られないで、また観られても作った者の物だけにしておかれて、ごろごろしている。
持たれた人の物になって生き上りたい。
物の中に自分を咲かすことは、確かに楽しみである。
ふくらませてしまう。
このはりさけた物が新作である。
立派なものを作り出そうとする仕事より、しっかりした生活を生まんとする仕事への作戦。
遠いと思わないで、近いと信ずる信念。遠いとは他から言ってもらうことにして、
作者は近いと信じて進む勇気。
起こってきた機運を祝さざるを得ない。


この尚を編むについては、大原孫三郎に負うところが大きいことは言うでもなく、
三橋玉見氏、武内潔真氏、林桂二郎氏、森田源二氏から受けた厚意と、
作家諸氏から送られた熱心に対しては、深く感謝を表したい。
武内氏には一切の面倒を煩わしたのにもかかわらず、全部にわたって懇篤な助力を受けたことを銘記し感謝する。




水彩 四つ切 20分×4



大原孫三郎とは大原財閥を築き上げ、大原美術館を作った人である。
武内潔真は大原財閥のクラボウに大正2年に入社し、昭和5年に大原美術館館長となる。柳宗悦(むねよし)、浜田庄司、寛次郎らの民芸運動に協力する。
三橋玉見は大原に篤く信頼された医師。倉敷の文化に貢献する。親友に画家の児島虎次郎がいる。
林桂二郎は林源十郎を父に持ち、大原社会問題研究所の監事となる。大原社会問題研究所は石井十次の影響下の元、設立される。
源十郎と十次の影響で大原はクリスチャンになる。大原は十次の死後、彼の意思を伝えるため、社会福祉法人石井記念愛染園を設立。
(十次の長女が児島虎次郎の夫人である)



倉敷に機運が高まるということは、作家たちの力量もそうなのであるが、
この文は大原への賛辞の文とも読み取れる。
大原が社会問題に真剣に取り組み、また生活からにじみ出た美に対して敬意をはらっていることへの寛次郎の謝辞である。
この文書がすごいのは、

立派なものを作り出そうとする仕事より、しっかりした生活を生まんとする仕事への作戦。
遠いと思わないで、近いと信ずる信念。

と堂々と書いていることである。
何の曇りもなく、無名なものに大いなる尊敬の念を持っている。
そしてそれが、ごろごろと転がっていると実感しているところに心惹かれる。



河井寛次郎「手考足思」 Vol.7 倉敷の新業 へ続く







河井寛次郎「手考足思」  Vol.5 荒物屋

2014-01-01 07:44:39 | 氷流日記
河井寛次郎「手考足思」 Vol.4 木皿  からの続き



あけましておめでとうございます。
新年、1回目の記事は私が愛してやまない陶芸家、河井寛次郎。
もし、私が鬼太郎の目玉おやじであったならば、
寛次郎の器にずっと湯につかっていたい。
お湯でふやけてもいい。
一日中、寛次郎の器の中にいるという幸せな空間を味わってみたい。
ありもしないことであるが、妄想するだけで幸せな気分になる。
湯冷めだけは避けたいのではあるが…




油彩 F10 20分×5



荒物屋

松江北堀町所在。
こんな店をどこの国の町通りにでも見られることは有難い。
立ち止まれば、何かなし、安らかになり、喜びが来る店だ。
辺鄙(へんぴ)な土地へ行くほど、こういう店は構えにも物にも特色があって好い。
雑穀屋や乾物屋も悪くないが、並べられた物は食べるという次の事で完全なので、
荒物屋ほどの事ではない。
ここではどんな商品でも一生の仕事をきめられてしまって、
それで雑然と並べられながら不思議な統制を保ってひしめき合いながら、
はけ口を待ちうけている。
漫然とたたずんでいても好い。悠々とした心持になれる。
生活の富に当面するからである。
仔細に見て行けば、またそれ相応な事に出会う。
並べられた物は皆、性質や役割こそ異なるが揃って童貞で、
倹素で、貧乏で、それから無学であることは間違いない。
何人もこの前に立っては、ことごとくのものに仕えられる身分であることを発見する。
気安さはそこより生れ、喜びはそこより来る。
並べられたものは皆、作者の身代わりである。
竹箒や、熊手で、下男に雇われたい。
貝しゃくしの娘(こ)がいる、たわしの娘もいる。
これは冬に向う頃の店つきと思われる。
子供に仕える雪掻きがやがて来る天候を予報している。
「しきたち」と呼ばれる炬燵(こたつ)の足受けが、迫って来る時候を予約している。
写真は太田直行君の労作。







この人のすごいのは”完全を良し”としない姿勢である。
これは侘び寂びの未完ではない。
侘び寂びは純化することによって、研ぎ澄ますことによって浮かび上がるものである。
寛次郎の未完は排除することであられるものではなく、
継ぎ足し、継ぎ足し、加えていくことで得られる未完である。
自分で自分の作品をコントロールしようとしていないところがすごい!!!
自分で作った作品に翻弄され、もてあそばれることを楽しんでいる。
1882年から着工されたサクラダ・ファミリア。
200年続くのか、300年続くのか途方もない年数をかけて構築していく。
ヨーロッパの建物を西洋文化の象徴と言われている。
簡単な基礎作りをして建てる日本家屋と比べると見劣りして
文化・文明の差と見る向きもある。
しかし。
日本にある縄文遺跡はそんなものではない。
栃木県の寺野東遺跡の環状盛土は直径165M、高さ6M。
薄い層で塗り重ねられたものはざっと1000年以上の歳月を要している。
青森県の三内丸山遺跡のものは1500年間ずっと継続して作っている。
それは完成させるという考えさえない、野太い考え。
だんじり祭りや阿波踊りのように代々伝えていくことがすべて。
紡いでいくことを大切にしていることを教えてくれる。
西洋文化がいかに構築された巨大なものであっても1000年続ける思想はない。
それをいとも簡単に取り出し、器にのせて教えてくれる寛次郎。
芸術一本で生きてきた者がそのことに気づいていることは驚愕に値する。
まず売れる、自分の個性を出す、人に認められることに軸に置いている人には
絶対にできないことである。
毎日、毎日、人々が価値と認めないようなものを作り続けることでしかわからないこと。
そして、それをする事によって、決して腐らないこと。
それでいて芸術作品まで高めている。
本当に寛次郎は稀有の人である。





河井寛次郎「手考足思」 Vol.6 へ続く