河井寛次郎「手考足思」 Vol.8 倉敷の新業 からの続き

12.魚籠(備前撫川町産)
ありふれた籠の一つである。
極めて有りふれた籠である。
この籠には何の異相もなく、何の特徴もない。
それがこの籠の生命であり、奇特なところであり、立派なところである。
こんな籠は特別な注意を払わないで作られ、特別な注意を払わないで買われ、
生活の随所に入って、薄暗い無意識の蔭を明るくしている。
この籠だけではない、およそこんな風なものは皆そうだ。
そういうことに気づくのにも、この籠は役に立つ。
浅口郡寄島町に近い猟師の聚落、安倉辺で作られ、安倉籠と呼ばれるという。
岡山県の酒郷鴨方地方で消化される酒樽の竹輪の残った中身で作られるのだといわれる。
こういう感受性がどうやって育まれるか、不思議である。

13.組物
大原土瓶と、酒津焼火鉢と、福山産竹皮の円座の組合せ。いずれも新作。
土瓶以外は別途のものではあるが、こう組み合うのも一つの用途である。
各々の氏名が満たされている好い組合せである。
この土瓶は”河井寛次郎「手考足思」 Vol.8 倉敷の新業”の土瓶と共に、かわらと同じいぶし焼きで柔かいから、大事に扱わなければならない。
これはしかし欠点と考えるより、特徴と思ったほうが妥当である。
無学の好いところがあって、貧乏の親しさがあって、温良で素直で、
煮えると全身から湯気を立てて愛嬌である。
湯は柔かくさめ難く長く使ってそむかれない。
火鉢は、唐白に落ちついた黄青の銅釉のかかったもの。
これも無意識の暗闇にとじ込められている立派なものの一つである。
こんな物はどんなに賞められたとて、過褒に堕ちるきづかいはない。
物自体がほがらかであるからである。
賞められて見劣りすることなく、ますます良くなるばかりである。
(円座は福山市東霞町貫井店製)
無学であって馬鹿ではなく、親しみがあって馴れ合いではない。
闇に在って染まることなく、粗野であって雑ではない。
河井寛次郎「手考足思」 Vol.10 へ続く

12.魚籠(備前撫川町産)
ありふれた籠の一つである。
極めて有りふれた籠である。
この籠には何の異相もなく、何の特徴もない。
それがこの籠の生命であり、奇特なところであり、立派なところである。
こんな籠は特別な注意を払わないで作られ、特別な注意を払わないで買われ、
生活の随所に入って、薄暗い無意識の蔭を明るくしている。
この籠だけではない、およそこんな風なものは皆そうだ。
そういうことに気づくのにも、この籠は役に立つ。
浅口郡寄島町に近い猟師の聚落、安倉辺で作られ、安倉籠と呼ばれるという。
岡山県の酒郷鴨方地方で消化される酒樽の竹輪の残った中身で作られるのだといわれる。
こういう感受性がどうやって育まれるか、不思議である。

13.組物
大原土瓶と、酒津焼火鉢と、福山産竹皮の円座の組合せ。いずれも新作。
土瓶以外は別途のものではあるが、こう組み合うのも一つの用途である。
各々の氏名が満たされている好い組合せである。
この土瓶は”河井寛次郎「手考足思」 Vol.8 倉敷の新業”の土瓶と共に、かわらと同じいぶし焼きで柔かいから、大事に扱わなければならない。
これはしかし欠点と考えるより、特徴と思ったほうが妥当である。
無学の好いところがあって、貧乏の親しさがあって、温良で素直で、
煮えると全身から湯気を立てて愛嬌である。
湯は柔かくさめ難く長く使ってそむかれない。
火鉢は、唐白に落ちついた黄青の銅釉のかかったもの。
これも無意識の暗闇にとじ込められている立派なものの一つである。
こんな物はどんなに賞められたとて、過褒に堕ちるきづかいはない。
物自体がほがらかであるからである。
賞められて見劣りすることなく、ますます良くなるばかりである。
(円座は福山市東霞町貫井店製)
無学であって馬鹿ではなく、親しみがあって馴れ合いではない。
闇に在って染まることなく、粗野であって雑ではない。
河井寛次郎「手考足思」 Vol.10 へ続く