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氷流日記

氷(筆者)と流さんの奇妙な徒然記

サターンと呼ばれて

2014-03-15 06:38:39 | 氷流日記
今月28日から戎橋画廊でグループ展が開催される。
八尾で土曜日の晩に参加しているデッサン会の展覧会である。
そこに私も2点出品する。
いろいろなグループ展に出品するように誘われていたが
すべてお断りしていた。
仕事をしていてグループ展に出品していたら
休みの日に絵を描くことが出来なくなるからである。
それとこの人たちと一緒に描き続けていたと思う方たちがいなかったこともある。
あるデッサン会で参加を追い出されたsugiちゃんと仲良くなり、
私は彼の側に立った。
別にそれでデッサン会の人たちと喧嘩をするということではないが、
今までの自分の生き方、絵にこめる思いなど照らし合わせて、
デッサン会に気を使って彼を無視していたら
俺という人間の意味がなくなると思ったので
彼の側に立った。
彼は彼で問題がないわけではないが、
少し挙動不審ということで排除することは
同じ絵描きとして恥ずかしいことである。
絵はすべてのものにひらかれたものでなくてならない。
いつもそういう想いで絵を描いている。
だから、私の絵は高みに登るものでも
研鑽して研ぎ澄ますものでもない。
今までの絵を見ていただいてわかると思うが、
そういう気持ちを起こさせるものではないと自負している。
だから、己の腕を研鑽する場はもう一つなじめないのである。
デッサン会の場というものがおのずとそういうものを含んでいるのだと思うのだが、
今までのデッサン会で出品したいと思うところがなかった。
ホワイト美術研究会はそういう色がなかった。
うまいヘタ関係なく絵に向う。
そのホワイトを紹介してくれたのがsugiちゃんである。
彼からいい出会いをもらった。
だから、彼には大変感謝している。
そのホワイト展に2点出品する。
釜ヶ崎のおっちゃん2人の絵である。
一人のおっちゃんに途中の絵の画像を見せると
「サターンやな。題名はサターンや。」
と笑って出品を承諾してくれた。
とってもとってもやさしい方である。
その絵の下地がこれである。







これから絵の具を重ねて
雰囲気はまったく変わってしまっているが、
今の絵は今の絵で気に入っている。
顔なども別人になりつつあるのであるが、
絵自体に別人格が備わったような感じがして、
似せようとかそんな気持ちがまったくしなくなった。
もういらえなくなったわけである。
そういうことでお時間のある人は来てください。
28日から2日まであります。










楽描の会

2014-03-14 06:49:30 | 氷流日記
いよいよ立ち上げることになった。
釜ヶ崎で絵を描く会を立ち上げる。
絵を教えるというよりも同好会というほうがいい。
どうなるかワクワクドキドキしている。
日時は以下である。

3月21日(金)春分の日
午後12時から5時頃まで
場所はココルームの前の
カマン!メディアセンター 2階

1回目は石膏デッサン。
部屋の中は汚れたらダメなので木炭は不可です。
鉛筆での制作。
広さを考えて、大きさは半切まで。

画材をそろえられる方はそろえるようにしてください。
鉛筆は2H、F、HB、2B、4B くらいは用意したほうがいいです。
消しゴムよりも練り消しを用意してください。
イーゼルとカルトンを用意してもらうと有難いです。

はじめの1時間は視覚的デッサンのアプローチの仕方と
触覚的デッサンの仕方の違い、
西洋絵画の歴史を踏まえていろいろお話させていただきます。
鉛筆の持ち方、紙の扱い方なども話します。


20分描いて10分休憩を取ります。
休憩のときに気が付いた点など希望の方にアドバイスします。
最後、合評して片づけをして終了します。


会費は皆さんの志で運営していきます。
厳しい方はおっしゃってくださればご相談に応じます。

皆さんから集められたカンパでモデルさんを呼んでデッサン会をする費用や
無料で貸し出しするイーゼルや画材などにあてがうように考えています。

参加する人たちから八尾美術展などに出品できれば
おもろいな~と思いつつ。

ということでよろしくお願いします。
















記念トーク Vol.3

2014-01-09 07:20:58 | 氷流日記
記念トーク Vol.2 からの続き



「放哉の句を読むときどうしても一人ということを考えざるおえない。
そして、その一人がどういう一人なのかを考えるとき、
もう一度小豆島に行って、放哉の吹かれた風に吹かれなければわからないと感じました。
小豆島のお遍路を歩いて、風に吹かれながら、放哉が生きたように歩きたい。
そう思いお遍路を歩きました。寒い冬です。
それまでは暖かい時期に小豆島に行きましたから感じませんでしたが、
風が強い。ものすごく強い。
そして、あらためて放哉の句を読むと風の句が多いことに気づかされる。
小豆島のお遍路の体験によって読み物としての外側からのものではなく、
内側から見ることが出来、書けるかなと感じました。
ただ書いていて一番難しかったのは、自分の人生と重ね合わせますから、
自分が傷つけた人が居る、書いた辞典で自分自身を許してしまうのではないかと、
そう危惧しました。
ままならない人生を放哉を褒め称えることで自分を慰めてしまうようで
そういうことを気をつけました。
だから、この本を読んだ人で何を書いているのかさっぱりわからんと思う人もいると思います。
結論や教訓めいたものがない。また書く気もなかったんですが。
そんな中でようサウダージ・ブックスさんは本を出してくれたなと思いました。
感謝しています。




10分 クロッキー 鉛筆 B3



では、なぜ書いたか?
今の時代、非常に生きづらい世の中になってきました。
孤高でもなく、孤立でもない。
人生の最後は一人で過ごさなければならない時代になってきた。
引きこもり。つながっていないと生きていけない時代と感じる人が多くなってきたと思います。
一人が惨めな存在としてみられている。
一人というマイナスをどう考えるかが大事な時代になっています。
放哉をみてみると、小豆島に来る前と来てからでは一人の意味合いが変わってきている。
小豆島に来ると甘さが消え、一人は一人だと、自分の人生を引き受けるようになってくる。
そう考えると一人と一人ぼっちというのは違うんじゃないかと思うようになりました。
一人ぼっちは状態を表す言葉であるが、
一人は状態ではなく、能力ではないかと思うようになりました。
ケアを受けながら自立する。
見守られて一人前になっていく子供のように。
一人には明るいニヒリズムがあり、変えていく力が存在している。
本を書くことで、本を書き終えたことで、そう感じるようになりました。」
能力と状態という視点に目を向けるとは思いもよらなかったことである。
恐れ入りました。



この本を読んだ感想は "尾崎放哉 Vol.1" に書いています。








記念トーク Vol.2

2014-01-08 07:15:14 | 氷流日記
記念トーク Vol.1 からの続き



進学は大学は働きながら通うことを決め、関西大学の哲学科の2部に合格する。
哲学ならば出世人生とは無縁のものだと考えた結果であるそうだ。
働きながら、学び、まもなく結婚をする。
しかし、その結婚も23歳でピリオドをうってしまう。
自暴自棄になり、チンピラとケンカしては勤めていた自分の病院で治療を受け、どうしようもなく荒れ果てて、多額の借金を背負うことになる。
その借金のために両親が住んでいた家まで売り払ってしまう。
売り払ってどうしたかと言えば、母親が懇意にしていたお茶の先生のところに転がり込む。親子3人である。
お茶の先生は地元の名士で離れがあった。
その離れに住むことになるが、そこは10年以上も住んでいなく、
腐りかけていた畳にはゴザを曳いて3人の生活が始まる。
そんなときに惹かれるように放哉と出会うことになる。
そして、放哉に憧れ、休みをとって、スーパーカブで小豆島まで行く。
放哉ゆかりの西光寺で俳画と出会い、なけなしのお金でそれを求め、
離れの家の壁に貼り付ける。2枚の俳画。

竹薮に夕陽吹きつけて居る
髪の美しさもてあまして居る




水彩 4つ切 20分×4



離れは竹薮に隠れるようにひっそりとあった。
下の句は離婚した女性に思いを重ね合わせている。
そして、句を書いた放哉は流れ流れついた小豆島で荒れた生活を送っている。
放哉は元々東大出の超エリートである。
プライドが高く、感謝の念が少ない。
どうしようもない放哉を小豆島の人々が支えることになる。
非常に不思議な光景である。
お遍路の習慣があるから、自然とできたのかもしれないと西川さんは続ける。
そんな小豆島の人にお構いなしに放哉は無理難題を言っていく。
爪の火を灯す生活の人々にタバコが切れたからくれと。
それもスリーキャッスル出なければならないとか。
金を送ってくれと出す手紙に切手代を払い、
ポストに出すのは面倒だからと近くの小僧に小遣いをやって投函する。
自分勝手に生きながら息をするように句を書いていく。
どこに発表することもなく、詩集を作ることもなく、
ただただ作り、東京に住む先輩の萩原井泉水(いずみ)に送っていく。



記念トーク Vol.3 へ続く









記念トーク Vol.1

2014-01-07 05:19:58 | 氷流日記
去年のことであるが、
「一人」のうらに 尾崎放哉の島へ
刊行記念トークがジュンク堂難波店であった。
もちろん、西川さんのトークイベントである。
ちょうど金型の試作をしているのでその金型を金型屋さんに行ってからの参加である。
だから、開始時間には行けない。
が、西川さんのイベントである。
行かない理由はない。
ナンバHattchの向かいにある駐車場。平日は1000円である。
その駐車場に車を止めて、息をきらさない程度に小走りで走っていく。
ナンバグランド花月の横のジュンク堂に入ってエレベーターで上の階に行く。
とりあえず上の階だろうという算段。
動くエレベーターの上を駆け上がる。
2階に着いた。入ってすぐの踊り場では何もやっていない。
そうか、3階かと上のエレベーターに乗る。
しかし、マイクの声とかもれ聞こえることがない。
おかしい。
おかしいとは思いつつも3階まで登る。
イベントらしきものはない。
本当におかしいことに気づく。
下行きのエレベーターに乗るとき壁に貼ってあるPOPに気がつく。
ジュンク堂千日前店。
えっ!
2階の降りたところに喫茶室がある。
そこの店員の女性に聞く。
「ここは難波店ではないんですか?」
「ええここは千日前店で難波店はOCATのところにあります。」
少し気を落としがっくりきた。
店を出て走る足は重たい。
また走るのか。




油彩 F10 20分×4



ぜえぜえ言いながら難波店に到着すると西川さんが放哉について解説していた。
呼吸を整え、クロッキー帳を取り出し、メモの用意をする。
すると難波店の店長がやさしく西川さんのイベントのレジメを手渡してくれる。
顔を上げて西川さんと一緒にニコリと会釈をする。
和やかな中での会である。
座ったときの話は西川勝、彼自身の人生についてである。
10代、学校に意味を感じなくなり、学生運動に身を投じる。
大学ではなく、高校生で。
それも学生運動が下火になってからのことである。
その後、学校を辞め、父親と一緒に土方の仕事を始める。それなりに楽しいのであるが、自分の人生こんなものかと少し風が吹く。
そんな風に吹かれているときに自分の横を高校生たちが楽しそうに歩いていく。
あんなに馬鹿にしていた連中をうらやましく思うと語る。
そしてもう一度学びたいと思い、高校に再入学することになる。
2度目の1年生であった。



記念トーク Vol.2 へ続く