今月28日から戎橋画廊でグループ展が開催される。
八尾で土曜日の晩に参加しているデッサン会の展覧会である。
そこに私も2点出品する。
いろいろなグループ展に出品するように誘われていたが
すべてお断りしていた。
仕事をしていてグループ展に出品していたら
休みの日に絵を描くことが出来なくなるからである。
それとこの人たちと一緒に描き続けていたと思う方たちがいなかったこともある。
あるデッサン会で参加を追い出されたsugiちゃんと仲良くなり、
私は彼の側に立った。
別にそれでデッサン会の人たちと喧嘩をするということではないが、
今までの自分の生き方、絵にこめる思いなど照らし合わせて、
デッサン会に気を使って彼を無視していたら
俺という人間の意味がなくなると思ったので
彼の側に立った。
彼は彼で問題がないわけではないが、
少し挙動不審ということで排除することは
同じ絵描きとして恥ずかしいことである。
絵はすべてのものにひらかれたものでなくてならない。
いつもそういう想いで絵を描いている。
だから、私の絵は高みに登るものでも
研鑽して研ぎ澄ますものでもない。
今までの絵を見ていただいてわかると思うが、
そういう気持ちを起こさせるものではないと自負している。
だから、己の腕を研鑽する場はもう一つなじめないのである。
デッサン会の場というものがおのずとそういうものを含んでいるのだと思うのだが、
今までのデッサン会で出品したいと思うところがなかった。
ホワイト美術研究会はそういう色がなかった。
うまいヘタ関係なく絵に向う。
そのホワイトを紹介してくれたのがsugiちゃんである。
彼からいい出会いをもらった。
だから、彼には大変感謝している。
そのホワイト展に2点出品する。
釜ヶ崎のおっちゃん2人の絵である。
一人のおっちゃんに途中の絵の画像を見せると
「サターンやな。題名はサターンや。」
と笑って出品を承諾してくれた。
とってもとってもやさしい方である。
その絵の下地がこれである。

これから絵の具を重ねて
雰囲気はまったく変わってしまっているが、
今の絵は今の絵で気に入っている。
顔なども別人になりつつあるのであるが、
絵自体に別人格が備わったような感じがして、
似せようとかそんな気持ちがまったくしなくなった。
もういらえなくなったわけである。
そういうことでお時間のある人は来てください。
28日から2日まであります。
八尾で土曜日の晩に参加しているデッサン会の展覧会である。
そこに私も2点出品する。
いろいろなグループ展に出品するように誘われていたが
すべてお断りしていた。
仕事をしていてグループ展に出品していたら
休みの日に絵を描くことが出来なくなるからである。
それとこの人たちと一緒に描き続けていたと思う方たちがいなかったこともある。
あるデッサン会で参加を追い出されたsugiちゃんと仲良くなり、
私は彼の側に立った。
別にそれでデッサン会の人たちと喧嘩をするということではないが、
今までの自分の生き方、絵にこめる思いなど照らし合わせて、
デッサン会に気を使って彼を無視していたら
俺という人間の意味がなくなると思ったので
彼の側に立った。
彼は彼で問題がないわけではないが、
少し挙動不審ということで排除することは
同じ絵描きとして恥ずかしいことである。
絵はすべてのものにひらかれたものでなくてならない。
いつもそういう想いで絵を描いている。
だから、私の絵は高みに登るものでも
研鑽して研ぎ澄ますものでもない。
今までの絵を見ていただいてわかると思うが、
そういう気持ちを起こさせるものではないと自負している。
だから、己の腕を研鑽する場はもう一つなじめないのである。
デッサン会の場というものがおのずとそういうものを含んでいるのだと思うのだが、
今までのデッサン会で出品したいと思うところがなかった。
ホワイト美術研究会はそういう色がなかった。
うまいヘタ関係なく絵に向う。
そのホワイトを紹介してくれたのがsugiちゃんである。
彼からいい出会いをもらった。
だから、彼には大変感謝している。
そのホワイト展に2点出品する。
釜ヶ崎のおっちゃん2人の絵である。
一人のおっちゃんに途中の絵の画像を見せると
「サターンやな。題名はサターンや。」
と笑って出品を承諾してくれた。
とってもとってもやさしい方である。
その絵の下地がこれである。

これから絵の具を重ねて
雰囲気はまったく変わってしまっているが、
今の絵は今の絵で気に入っている。
顔なども別人になりつつあるのであるが、
絵自体に別人格が備わったような感じがして、
似せようとかそんな気持ちがまったくしなくなった。
もういらえなくなったわけである。
そういうことでお時間のある人は来てください。
28日から2日まであります。