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氷流日記

氷(筆者)と流さんの奇妙な徒然記

さくらさくら Vol.4

2014-04-17 19:23:23 | 氷流日記
さくらさくら Vol.3 からの続き









用意をして、みんながぞろぞろ集まってくる。
哲学の会の西川さんも来てくれた。
哲学もやって、医療介護の仕事も関係して、
忙しいのに仕事に打ち込めよと言う人もいるかもしれない。
そうじゃないところに人間の面白さがあるというところを
西川さんはよく知っている。
自分の本業に打ち込んでいる人は立派に思う。
立派ではあるが面白くない。
絵でもいい、哲学でもいい、
自分の本業から得たものを自分の領域で持論をぶちまけ、
本でも作品でも世に出したとしても
それは行動を起こしたとは言えないと思う。
所詮、本業という安全地帯にいる。
絵を描くことで人を知り、人とは人生とはこういうものだと悟ったとしても
その人が本当に人間を知っているかと言えば知っていないのがほとんどである。
それはすべて絵を通じてしか人とかかわっていないからである。
人間という看板をあげる前に画家という看板をあげているからである。
それが哲学でも物理学者でも同じである。
絵で人とは何なのか知ったのならば、他の分野でそれを確かめる必要が絶対に必要である。
それも平場で勝負することである。
西川さんはどんだけ実績を積んでいても。
「俺、絵わからへんねん。教えてよ。」
と人懐こく話しかけてくる。
わからないからやらないのではなく、わからないからやってみようか。
それがたまらなくカッコイイ。
そんな平場で勝負する男、ほんまに少なくなった。
釜ヶ崎で出会うおっちゃんはみんな平場で勝負する。
肩書き、金持ち関係ない。
そんなおっちゃんとまた知り合いになった。
朝のおっちゃんが絵を持って来てくれた。
絵はベニヤ板にマジックで描いている。
ベニヤも三角公園で拾ってきたもの。
昼間は仕事が忙しいから、夜中にベニヤに絵を描いている。
描いたところで何があるというわけではないが、
好きだから描いている。
絵が好きな大工&左官の板さん。
人間を知っているとはこういうことである。
こんな画家いるか?
居ないよな。
だから、骨や筋肉を人体をきっちり描ける人がいても、
人間を描ける人がいねえんだ。
哲学もそう。
規律がないやつ、お金にだらしないやつ、時間にルーズなやつ、
女にだらしないやつ、酒癖が悪いやつ。
そんな人たちをだらしないやつと切っちゃわないで
それぞれの事情もあるし、そういう時もあるわなとまずは許してあげないと
哲学というものはわからない。
ただ一つ。
排除する人間、自分の物差しに合わない人をザルから落とす人間には
抵抗しなければいけない。
自分はそうじゃないよという意思表示。
蛙の面に小便。
相手はビクともしないが同じ部類にされては困ったものである。
ザルから落とされた人間も熱い血潮が流れている。
例え、毎日を怠惰に過ごしていても。









   

さくらさくら Vol.3

2014-04-16 18:34:28 | 氷流日記
さくらさくら Vol.2 からの続き




翌週、三角公園でキャンパスを立てた。
朝の7時20分。
10時から西成市民館で楽描の会をするので9時過ぎには終わって用意をせねば。
裸婦を描いたキャンパスにバーントシャンナで消して、
その上からテレピンで薄めた絵の具でデッサンしていく。
茶の地はもちろん乾いている。
描いているとyosiさんが向こうからやってきた。
第1回目の楽描の会に途中参戦してくれたおっちゃんである。
yosiさんはひと花センターに行ったり、
ココルームのイベントに参加したりと活動的な人である。
性格も明るい。
明るいが職人気質なのでうるさくない。
とても居心地のいい方である。
その人がよっと手を上げてやってきた。
「なにやってんのか、桜描いているんか。」
「ええ、先週桜を描こうと思ったんですけど、
雨降ったでしょ。
だから、桜描き損なって。
今日は絶対描こうと思ってきました。」
それからひと花センターなどいろいろ20分近く話した。
話している間も手は休めずに。
「今日の10時に西成市民館で絵の会があるんですよ。
来てください。」
「すまんなあ、兄ちゃん。
今日の午前中は用事あるねん。
また今度誘って。」
じゃまたということで帰っていった。
そのほかの人ももの珍しいので見に来る。
三角公園で絵を描くやつなんでいないか。
そうこうしているうちになかなか強烈な個性のおっちゃんが来た。
大津に住んでいて仕事で西成に泊まってらしい。
そのおっちゃん異様に絵に詳しい。
なんかわからへんけど、有名な人と知り合いらしい。
大津絵の家元みたいな人とか、登り窯持っている人とか。
書道にもなにやらつながりがあるらしい。
そのおっちゃんの仕事は内装の大工。
左官仕事もやれるし、大概のことはできるようだ。
75歳で現場の監督をしながら自らも工事をする。
50キロのセメントを担ぐのも大丈夫やとくったくない笑顔で話してくれた。
そのおっちゃん、ホントに絵が好きみたいなので
10時からの楽描の会に参加して欲しいとお願いした。
「来れるかどうかわからへんけど、酒が抜けたらいくわ。
とりあえずコーヒー飲んで、今描いている絵を持っていくわ。」
来てくれたらラッキー、結構大物が釣れたかもとうれしくなった。









2時間描いて筆を置いた。
さあ急いで用意をせねば。




さくらさくら Vol.4 へ続く






さくらさくら Vol.2

2014-04-15 18:36:43 | 氷流日記
さくらさくら Vol.1 からの続き




こちらはアマゾンさん。
同じ絵の具、同じ水彩紙を使っているのであるが
出来上がった作品はまったく違う。









ウン子さんと比べると自分を表現したいタイプである。
と言っても個性!個性!というタイプでもないので、
コツコツ積み重ねていくアンリ・ルソーをお勧めした。




アンリ・ルソー




アマゾンさんなら彼の気持ちなどわかるのではないかと感じた。









上の作品はユキちゃん。
彼女は詩人である。
詩を書くときはあふれるように言葉を出す。
紡ぎだすというような感じではない。
吐き出すというような感じでスピードと量が圧倒的に多い。
そんな彼女にはビュッフェがいいと思った。
絵は切れ切れの感覚はなく、やわらかく温かい。
絵の具は持参したアクリル絵の具。





ベルナール・ビュッフェ




最後はYOUさん。
彼は自分というものを出したいと思い、探している。
実物を見ずに想像で描くことを好む。
絵はやわらかいが彼の特質を表しているようには感じられない。









桜を描かず、商店街の空間を描こうとしていた。
もっと切れ切れになれば、ホントのYOUさんが出てくると思い、
ジャコメッティーを勧めて、それ風に一度描いてみましょうと
それでやってみた。




アルベルト・ジャコメッティー



みんな個性の塊である。
損所そこらの灰汁ではない。
生活からみじみでたものだあるから
空想の個性ではない。
他と違いを出すために人とは違う個性を出す。
そんな軽いものではない。
生活の延長のものを出そうとしている。
本人が気付こうと気付くまいと。
私はどうかといえば描いている人を描いた。
会の参加者にアドバイスをしていたので突っ込んで描けなかった。
それに桜を描いていない。
そんな欲求不満で翌週に三角公園で桜を描くことにした。





さくらさくら Vol.3 へ続く






さくらさくら Vol.1

2014-04-14 18:11:26 | 氷流日記
4月6日に楽描の会で桜を描こうとなった。
しかし、あいにくの天気で三角公園での写生は断念した。
ぞろぞろ歩いて飛田あたりの古びた家を描こうとした。
なかなかみんなが納得するようなところが見つからず、
うろうろするばかりであったが
マンションに植えていた一本の桜を見つける。
みんな描きたいtということになって描き始める。
飛田の商店街の一番端。
商店街のアーケードがあるので雨が降ってきても大丈夫。







それならばと描き始めようとするが、
いかんせんイーゼルを立てたことがないような人がほとんどである。
イーゼルのセットの仕方から説明する。
その次はカルトン。
カルトンって何?
それはね、水彩紙をクリップで留めて土台になるような板。
ベニヤじゃないからやわらかく圧力がかかる。
そんな話もありいの。
ようやくみんなのセットが出来て描き始める。
よく見ると自分の段取りをしていない。
急いでセットをする。
自分で道具一式用意していない人はこちらで用意した水彩絵の具と水彩紙で描いてもらう。
水彩紙は中目のヴィフアール。大きさは半切。
絵の具はホルベインのオペラ、パーマネントイエローライト、ホリゾンブルー。
釜芸での講座でも話をしたが、
ようはプリンターの三原色と同じである。
マゼンダ、イエロー、シアン。
この3色で大概の色は作れる。
まったく一緒の色は出来ないが近い色と言うことが感じることが出来る。
混色感覚も養われるし、なんといってもこの3色で濁ることがないのがすばらしい。







釜芸でウン子さんと言われていた女性。
桜を描いているうちに電信柱を描きたいと言いはじめ描いた。
上記の3色でちゃんとコンクリートやアスファルトの色がでている。
やわらかい人柄が絵から感じられる。



さくらさくら Vol.2 へ続く









楽描の会 3月21日 Vol.6

2014-04-12 04:35:48 | 氷流日記
楽描の会 3月21日 Vol.5 からの続き



いつも詩の学校で顔を合わせるアマゾンさんも来てくれた。
彼も石膏デッサンは始めて。
彼にはダヴィンチよりもミケランジェロの方法でアドバイス。
彼も心優しい男で、人を不快にさせない。
しかし、どこか殻に閉じこもるとまではいかないが、
自己完結型に持っていく習性がある。
そういう人はダヴィンチのデッサンでは心が定まらないのでミケランジェロでいくのがいい。
デッサンも面で描くというよりはマッス、ボリュームで描いていく方法が向いているようだ。
彼が描いたデッサンは左側。







では、絵の具で描いた場合にはミケランジェロでいいかと言えばそうではない。
原色に近い鮮やかな色で自由に描くというよりは
コツコツと地道に積み上げていくアンリ・ルソーの絵があいそうだ。
渋い色で葉を一枚一枚描いていく。
他の人とは関係無しに黙々と描いていくが、
かと言って世間とのつながりを無くしたわけではない。
ミケランジェロは高みに自らを立たせるが、
ルソーは低みに立って地に足がついている。







最高の日曜画家である。
ミケランジェロとは会って酒を飲みたいなどとは思わないが、
ルソーは会って酒を飲めばどういう話が出てくるのか興味深々である。
何をやろうとしているのかわからないところが最高にいい。
何をやろうとしているかわからない人と言えばこの人はかなりおいしい。
釜芸で表現の講座をした岩橋さん。
この人の話の引き込み方は独特で哲学の西川さんとは趣が違い、彼女も味わい深い。
その彼女も参加してくれた。
彼女の絵は上記のデッサンの写真の右側。
系統で言えば私に近い人。
ダヴィンチのように視覚的アプローチであるがダヴィンチではない。
規律というものがないからである。
あえて言えばワイズバッシュ。
それもダンスや音楽をする前の演劇の絵。分けのわからない絵。




いい時代のワイズバッシュ



ダメになったワイズバッシュ



売れるようになって売りやすい絵を画商から描かされて絵がダメになった。
岩橋さんはそんなことがない人。
私もそうありたい。

心地よい気持ちで第1回目の楽描の会は終わった。