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氷流日記

氷(筆者)と流さんの奇妙な徒然記

天王寺公園 Vol.6

2014-06-06 06:47:29 | 氷流日記
天王寺公園 Vol.5 からの続き





表現の会をしているテーブルの上には
午前に描いたみんなの絵が並べられている。
そして、思い思いに話をして、
その様子をギャンさんやYUさん、ミナさんがクロッキーする。
お菊さんもやっているようだ。
話している飛び入りのおっちゃんが来た。
こういうハプニングは大歓迎である。









初老のおしゃれな紳士。手前の青い服を着ている。
人生教訓的な話や絵についての批評など
面白おかしく話してくれた。
「おっちゃん、どこの人?」
と私が尋ねてみると
「宇宙や。」
「えっ宇宙人か?!」
「そうや、宇宙人や。ここも宇宙やろ。」
と言って地面を指す。
そうや、どこに行っても宇宙や。
「ほな、そろそろ宇宙に帰るわ。」と言って席を立つ。
サトユキさんが近くの太陽系までワープして行くんですかと突っ込みを入れると、
「あほか。一番近くの太陽系まで光の速さで行っても何万年かかるわ。」
最後に教養を見せて帰る。
飛ぶ鳥あとを濁さずとはいかないのが大阪人。
いっちょかみ。
どんなことにも首を突っ込み、自分のネタに強引に持ち込む。
外でするとこういうプレゼントがあるので面白い。
午前のハンディキャップの子の絵もそうである。
宇宙人が立ち去ると何かみんな気が抜けたように黙りだした。
仕方ないので自分の絵の解説をした。
「今回、えじきという色をテーマにしました。
えじき。破壊の壊に色と書いてえじきと読みます。
NHKの宗教の番組で禅僧のお坊さんが言っていた。
鮮やかな色とか真っ黒とか真っ白とかではなく、
渋ーい色。
松の濃い緑であったり、小豆色であったり、いろんな色が混ざっている。
目立たない色です。
そういう色を使って、ドリッピングなどの遊びを入れて
描きました。」
「その壊色って言葉ええな。」と横に座っているギャンさんがささやく。
ええでしょ、ええでしょと応える。





壊色をテーマに描いたのが左の絵




天王寺公園 Vol.7 へ続く






天王寺公園 Vol.5

2014-06-05 05:15:40 | 氷流日記
天王寺公園 Vol.4 からの続き




天王寺公園での写生会が終わり、みな各自昼食を取りに行く。
ギャンさん以下岩橋さん、ミナさん、ウン子さんなどは
ジャンジャン横丁の立ち食い蕎麦屋に向う。
私はパールさんとノボさんが表現の会に来ると言っていたので美術館前に1時に行かなくてはいけない。
だから、お留守番。
画材などの荷物もあるので誰かがいなくてはいけない。
それならばとアマゾンさんとYUさんも一緒に付き合う。
アマゾンさんがじゃ弁当を買ってきますと弁当を買いに行く。
私は適当にすましますと言って、美術館前に向う。
うろうろするが2人は来ない。
行くと言って、やっぱりしんどかったから行かなかったわは
よくある話。
おまけに雨がざーざーと降っている。
雨の日は土方もないというので
来ないとあきらめる。30分待ったがやっぱり来ない。
今日は縁がなかったということで今いるメンバーで表現の会は始まる。
後もう2人来るのと岩橋さんが言う。
自身のfacebookに参加希望の人が和歌山から来るという。
和歌山から!?
それは大層な話である。
しかも若い女性2人。
ギャンさんが色めき立つ。
平静を装うアマゾンさんもそうじゃないかと思う。
若くてかわいらしい女の子が2人到着してようやく始まる。
話す内容はその場の雰囲気。
テーマがあるというわけではないので文字におこすには難しいものがある。
この表現の会では特別にクロッキーもしてもいいと許可をいただいた。
言いだしっぺの私はクロッキー帳を忘れてしまう。
ギャンさん描きなよとクロッキーを勧める。
手首は使わずに大きく腕を使って描く。
潔く線が切れるように
それが私のアドバイス。







これが彼の2回目のクロッキー。
1回目は4月29日の天王寺の駅前での街行く人のクロッキー会。
人体の骨格とか筋肉とかそういう視点で言えば
間違っているよくないクロッキー。
しかし、人間という視点で見るととてもいいクロッキーである。
人体があるという感覚はないが、
その人そのものがいる。絵に魂がある。
これは技術云々とかではなく、
その人が人間をどう見ているかによる。
とても温かい目線で見ている。
ギャンさんに言わせると
「最近、女性がみんなかわいく見えて。
ホント色ボケして、楽しいですわ。」
この言葉は思っている以上に深い。





天王寺公園 Vol.6 へ続く





安倍文殊院 追記

2014-06-03 05:52:27 | 氷流日記
安倍文殊院 Vol.5 からの続き





いろんな宗教書もえらいお坊さんの本も読んだ。
有馬なんたらの茶の湯の本も読んだ。
言っていることは理にかなっているのであるが、腑に落ちない。
宗教書に書いていることや偉い人の言葉で
なぜ、プロ野球選手の給料は高いのか、
地方の建築現場で働いて、毎日働かせてももらえずに、
給料から宿泊代と飯代を引かれて、
まともに働けば30万円以上もらえる給料を
1ヶ月1万円に満たないことがなぜ起こるのか、
その答えを聞くことが出来ない。
そういうことも雑念も捨てて無になりなさいと言われても、
はいそうですかとなれるわけがない。
みんながみんなそんな人間になると人類は滅亡する。
その言葉でプロ野球選手の年俸を説明できないのならその言葉に普遍性はない。
それがお釈迦様の言葉と言われても、イエスキリストの言葉と言われても
説明が出来なければ普遍性はない。
酒を飲んでうだを巻いているおっさんの方がよっぽど普遍性があるときがある。
時々きらりと。
生きようとし、子孫を残そうとするから
お坊さんも法話を言って存在感を示すことが出来る。
本当に坊さんの言う通りにしていたら
基礎のないお寺が建立することになる。
宗教関係の建物は人々の欲望が基礎になっている。
お釈迦様が偉いから、キリストの愛で建っているのではない。
どちらも大きな建物を建てろとは言っていない。
むしろ否定している。

欲を捨てて自分を研ぎ澄ましていくよりも
すべての欲を認め、善と悪の区別なく、シャバに身を置き、
積極的に影響を受けるが染まらない態度が一番大事かなと最近思う。
悪は憎むべきものとしてその存在が出て来た時点で
小さいうちにつぶしてしまう。
それではつまらない。
自分の中に悪を大きく育てても使わない。
激しいせめぎあいの中で中立を保つ。
ちょうど、すべての-∞と+∞を含んだ”0”のように。
インドではその”0”のことを大日如来と言う。
すべての善と悪が均衡を保たないと大日如来は現われないということである。
悪を肯定し、悪を育て、
そして悪を使用しないと説く宗教者にはまだ出会っていない。





水彩 各10分 4つ切




PS 
最近、西田哲学を読む機会があった。
今までの日本人にはない叙事詩的なものがあり、
少し可能性があるように感じた。
しかし、俗に染まりきっている私には
哲学の師の西川さんの言葉の方が
あっているようだ。
西田哲学は険しく高くそびえたつ山。
西川さんは河川敷に転がる石。
断崖絶壁の山を登ろうとしている人がいる。
その人のおかげで西田哲学に触れる機会を得た。
その忍耐、精神性に拍手を送る。
とても私には出来そうにない。








安倍文殊院 Vol.5

2014-06-02 04:27:19 | 氷流日記
安倍文殊院 Vol.4 からの続き






翌日の19日、昼休みに電話する。
途中、足取りがふらついたギャンさんにである。
70歳を越え、肺気腫を患っている。
声の調子を伺ってみる。
「昨日は楽しかったですね。
あんなに苦しまずに描いたのははじめてですよ。」
するとギャンさんは
「私も苦しくなかったです。
あんな経験はもうないんじゃないか。
本宮さん、有難う。ホントよかったです。」と声を弾ませる。
元気みたいなのでよかった。
「ギャンさん、今日、東さんに手紙送りました。
手紙のついでに昨日描いた絵を一緒に同封しました。」
「送りましたか。そりゃええことした。」
さすがギャンさん、なぜ送ったか、もったいないとは言わないのがすばらしい。
「自分で描いたといっても半分以上は文殊様が描かせたでしょ。
それに作品と言っても文殊様は文殊様。
粗末に扱うとバチが当たる。
私が持っていたら雑に扱うから持っといてもらおうとおもて。」
「それがいいです。そのとおりや。」
「これでまた描かしてくれたら有難いし、ダメやったら仕方ない。
絵を送ったのに返事も何もなかったら縁がなかったんと思います。」
その通りとギャンさんも同意する。
釜ヶ崎に集まる人間は平場で勝負する。
たとえ相手が誰であっても。
総理大臣であろうが聖職者であろうがかまわない。
そうして相手の魂の軽重を量る。
「途中で坊さんが今日は特別ですよと言ってでしょ。
あれはアカンと思うんですわ。
たとえ国宝であっても、絵を描けばいろんなことがわかる。
幼稚園児だってわかる。
有難い話を聞いてもわからない事だってわかる。
これはすごいことなんです。
これは絵を描くことのすごさです。
だから、小学校でも遠足で文殊院に行って絵を描けばみんなわかります。
それほどすごいんです文殊様は。」
少々興奮気味のギャンさんである。
改めて言われると本当にその通りだと思う。
国宝といっても国民の宝なのだろうか、
国家の宝なのだろうか、
それはこれから文殊院の人たちが問われることなのだと思う。
いろいろ縁があって、3人で伺った文殊院。
3人寄れば文殊の知恵。
偶然の3人ではないように思う。
3人とも霊感はないが、我々3人を使って文殊様がお寺の人たちをお試しになったのかもしれない。
そう思えば愉快になる。
金持ち、貧乏、貴賎関係なく平場で試し、試される。
そういうこと無しに草の声は聞こえないし、人間というものもわからないと思う。





本宮氷作 渡海文殊様 8つ切




安倍文殊院 追記 へ続く







安倍文殊院 Vol.4

2014-06-01 04:02:03 | 氷流日記
安倍文殊院 Vol.3 からの続き




私の鉛筆の筆圧、速度がどんどん上がっていく。
自分では止められないようにどんどん興奮していく。
なぶり描くように紙に彫っていく。
文殊様は左手に蓮の花で右手に剣を持っている。
前半は蓮の花のように優しく包まれて描いていたが、
終盤になると剣を持った手で描かされているような感覚になった。
文殊様の心が受け止められないと思い、筆を置くことにした。
これ以上描くとおかしくなりそうである。
3人とも終わった時点で東さんに挨拶に行く。





ギャンさんの文殊様




抹茶を飲みなさい。そう勧められてお抹茶をいただく。
そのときに3人の絵を見てもらう。
「3人とも個性があってええのぉ
お茶を飲んで後でゆっくり院内を見てまわるのがいいです。
ではごゆっくり。」
東さんは忙しいみたいである。
いろいろ話を聞きたかったが、3人とも文殊様を描いて満腹である。
「文殊様をじっと見るといっても、これほど見ているのはこの3人くらいじゃないですか?」
と私。
「ホントだ。絵を描かないと隅々まで見ることは出来ないですよ。
これはすごいことです。」(ギャンさん)
「私もそう思います。ここまでずっと見ることは出来ないですもん。」(メルちゃん)
するとギャンさんがもう一度、
「もうこれはこれからは描けないですよ。
途中、お坊さんが来て、外を描くと思っていたけど、今日だけは特別ですよ、と言ったでしょ。
だから、これはもうだめですよ。」
そうですね、有難いことですねと他の2人も締めくくる。
抹茶とお菓子をいただいて、東さんにお礼を言う。
今日は有難うございました。3人の本当の気持ちである。
絵を描くことに快く同意していただいたことに感謝である。
帰りに多宝堂でお参りをする。
そのときの様子を写真にする。
どういうわけかメルちゃんはおーいお茶のシャツを着ていた。









最後に抹茶を飲んだし、お茶つながりでええか。
そういうふんわかした気持ちで桜井の地を後にする。




安倍文殊院 Vol.5 へ続く