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氷流日記

氷(筆者)と流さんの奇妙な徒然記

詩の学校 13年11月 Vol.6

2013-12-06 07:07:28 | デッサン・クロッキー・詩・音楽
詩の学校 13年11月 Vol.6 からの続き



秘める色


本宮氷



青く光る。青く光る首筋。
髪はモスグリーンからシェンナにかわるグラデーション。
肌は黄緑でもあり、オレンジでもある。
どこにあの聡明な言葉をつぎつぎと産みだすのだろうか。
少しくすんだ紅色の唇か、
赤紫に光る目か、
私にはまったく検討がつかない。
時折見せる茶目っ気の笑顔からは想像も出来ない。
彼女の分析する目は鋭い。
子供のような笑顔でも、目だけは紫色に光る
そうだ、目だ。そして光る目を隠そうとはしない。
隠さないから、こちらが隠す。
もし、彼女が荒々しく、山のように動かず、
哀しい目をすればどんな色を見せるのだろう。
多分、それは特別な人だけ。
今はただ丸めた背中を黄色く光らせている。









人々の反応は面白く、
読むことに一生懸命でどういうものかはわからない。
他の人の詩を聞いて思ったのであるが、
詩は自分では味わうことが出来ないが、
人が朗読したりすると、
その人の追体験をするようで味わうことが出来る。
これは生きることと同じではないかと感じた。



詩の学校 13年11月 Vol.6

2013-12-04 06:55:44 | デッサン・クロッキー・詩・音楽
詩の学校 13年11月 Vol.5 からの続き




詩の朗読の後に自ら作る詩。
今日は何にしようかと相談して、似顔詩に決まる。
10分間相手の顔をじっと見る。
じっと見て詩を作成する。
10分経てば選手交代。
見られていた側が今度は見る番。
そういう固定でタイマーを押す。
私のお相手は詩人のユキちゃん。
彼女はあふれ出すように言葉を表現する。
一つ話せば、10も20も飛び出し、
止めることが出来ないような感じである。
10分ずつお互いを見、詩を自ら添削する。
他の人たちのペアが前に出て一人ずつ発表していく。
今回は初対面のペアが多い。
多いのに互いのことを分かり合ったような詩がたくさんある。
言われた本人もそのとおりだとびっくりする。
女性同士であっても夫婦の会話のようにそこに流れる空気感がある。
長年連れしょったような感じ。
別の男同士のペアは新婚か長く付き合った恋人同士のような感じ。
父と娘との会話もあった。
一つひとつ味わい深いものがある。
私は彼女の才能をどう表現しようかと考えた。
考えているうちに絵を描いているからなのか色が見えてきた。
緑であったり、オレンジであったり、青であったり。
その一つひとつを拾って彼女を表現してみようと考える。
絵の具でキャンパスに筆を置くように。
今回、改めて読んでみると油絵というよりも水彩に近いかな?
まあとりあえず作ってみた。
いよいよ私たちの番が来た。
前に出る。発表はユキちゃんからである。
彼女の書いた詩は汚れた私の作業着からどういうわけか宇宙を感じたらしい。
そういう世界観を思いも着かないような言葉を使い表現する。
すごい。
私の詩ではないのでここで伝えることは出来ない。
残念である。







詩の学校 13年11月 Vol.7 へ続く




詩の学校 13年11月 Vol.5

2013-12-03 06:45:57 | デッサン・クロッキー・詩・音楽
詩の学校 13年11月 Vol.4 からの続き




知りもせず
知らされもせず
ばらまかれえいる者同士
無関心でいられる間柄

そういうものではなくて、互いが互いを知っている。
誰かのための虻というのはそのとおりであるのだが、
互いは意識しあっている。
意識しているのであるが、生きるためには食べなくてはいけない。
食べることに焦点をあてるとどうしても自分のことで精一杯になってしまう。
精一杯であるが他者を意識している。
だから、世界はゆるやかに構成されているのではない。
必死で命がけで生きている。
他者からみれば、たわいのない緩やかな時間が流れているように見えても。
24時間働き続けるようなタフな人間が、
一日中、散歩をしたり、テレビを見たりしている人間を見ると
なんと無駄な生き方をしていると思っていても。
それはそれでそういう命がけなのである。
時間は勝手に過ぎていくし、それなりにやらなければならないことがあって、
そんなことをしていると一日はあっという間に終わってしまう。
24時間働いているような人間からすれば、
人として生きている価値が無いように思えるかもしれないし、
目標の無い人間は生き永らえていると思うかもしれない。
だが。







24時間働くものは必ず他者の時間を奪っている。
相互関係というよりは
どれだけたくさん獲得するかということに関心がある。
役に立つか立たないか、そういう見方で世界を見ている。
一日中、ぶらりとしている人はいく人かの人に迷惑をかけているかもしれないが、
それは他者の時間を奪って、自分の自由度を獲得するものではない。
自分の時間を堂々と使っている。
人間界以外の自然はゆるやかに見えても自分の時間を堂々と使っている。
溜め込むことが無い。
だから、生きることに必死にならざる終えない。
ぎすぎすしたものではないが、
けっしてゆるやかなものではない。



詩の学校 13年11月 Vol.6 へ続く



詩の学校 13年11月 Vol.4

2013-12-02 07:09:38 | デッサン・クロッキー・詩・音楽
詩の学校 13年11月 Vol.3 からの続き



障害を持った子供のすがたをみんなに語った後、詩の朗読へと移る。
私が朗読した詩は吉野弘の詩。
どういう人かはわからない。
詩の学校に行くからといって、改めて勉強もしない。
とりあえずその場にいて詩を作ることによって言葉を拾っていこうと考えている。







生命は

吉野弘



生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする

生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれえいる者同士
無関心でいられる間柄
ときに
疎ましく思うことさえも許される間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている

私も あるとき
誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない



今、私が考えている生命についてに近いものである。
吉野さんの詩のように相互作用があるお互い様と言う関係。
しかし、彼の世界観よりも無関心ではなく、
またゆるやかでもないと考えている。
吉野さんの世界観では一期一会の出会いが
ゆるやかにお互いを補完するように出来ているという感じがする。
それではあまりにも善人過ぎるので
もう少し偶然性と悪意もあっていいと思う。



詩の学校 13年11月 Vol.5 へ続く



詩の学校 13年11月 Vol.3

2013-11-30 05:10:41 | デッサン・クロッキー・詩・音楽
詩の学校 13年11月 Vol.2 からの続き




そうやって出発を同じにした人類。
白人も黒人も黄色人種も、
同じところから出発した。
3者の違いはDNAで言えば0.1から0.15%くらいの違い。
そうほぼ一緒である。
人類は他の動物に比べて極めて多様性に乏しい生き物である。
いや、そうじゃないんじゃないかと、
白人と黒人は見た目がまったく違うじゃないか。
地域によっては思考も違うし、宗教も違う。
個人レベルでも大きな差があると言われるかもしれない。
でも。
白人と黒人がセックスをすれば、子供が生まれ、
正常に生育する。
黄色人種もそう。
と言うことはパーツがほとんど同じでなければできない話である。
一昔の教科書では黄色人種は北京原人から進化したと書いていた。
これは欧米の研究者たちが
知能と程度が低い黄色人種はきっと北京原人から進化したのだろうという、
きわめて差別的な視線の中で生まれた学説である。
ほんの20年くらい前まではそう信じられていたし、
私も信じていた。
個人的な思考は別にして
声高々に人権を叫ぶ彼らの根っこにあるものはそんなところなのであろう。







殿様バッタとしょうじょうバッタの間では子供ができないし、
マントヒヒと日本猿の間にも子供はできない。
子供ができるというその事実から同じ系列であるという真実が浮かび上がる。
そういう体の成り立ちを考えた後、では心はどうかと考えてみた。
どうやら心は内臓にあるということがわかる。
筋肉や脳が動物性筋肉(体壁系)とすれば、内臓は植物性筋肉である。
内臓が考え、感じたものがすがたに映り、感情に訴えてくる。
そして涙する。
頭ではそうはいかない。
障害の子供が朗読でぐっと来るとき、意識は頭の辺りにあるのではなく、
胸であったり、お腹の辺りに意識が及ぶ。
逆に刺激的なことがあれば意識は頭のあたりにくる。
ではその心、内臓はどうかと言えば
あまりにも詩の学校から遠く離れていくのでここらへんでおしまいにして
本題に戻りたいと思う。
心の話は12月1日の釜芸での講座で話すので、
そのレポートで書きたいと思う。




詩の学校 13年11月 Vol.4 へ続く