天愛元年

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新元号『天愛』元年にスタート

bygone

2021-02-19 15:27:00 | 日記

 きのうはTリーグ女子の木下アビエル神奈川と日本生命レッドエルフの決戦を楽しみにしていて、テレビを点けたら終っていた。どうも19時開始の予定と思い込んでいたのに、17時に前倒しされていたようだった。これもコロナ被害なのか、ピンポ~ンとはいかなかった。
 息子の誕生祝にスーパーで楽天ギフトカードを買って郵送した。アマゾンでいろいろ商品を物色したけれど、果物も干物もスイーツもこれまでそんなに喜ばれた気配がないし、酒が一番手頃なのだけれど、奥さんに厳禁されているので、不自由極まりない。前にアマゾンギフトカードのメール便を試したけれど、そのGメールがいまだに有効かどうか不確かなので見送った。この前、1年間無料に釣られて楽天モバイルを契約した義理から楽天プリペードにした。息子も以前、楽天格安スマホを契約したので、支払いに使えるかどうか分からないけれど、何とか6カ月の期限内に1万円分消費できるだろう。店に吊るしてあるギフトカードも小型判物の奥に、大判の台紙に磁気カードが貼り付けてあるのもあった。棚整理中の女性店員に違いを尋ねたけれど、こちらの理解力では要領が得られなかったので、あまりしつこく聞くと、頭の悪い爺に客ハラされたとSNSに投稿されても困ると思い、首相記者会見に倣って1人1問再質問無し方式を採用し、台紙付き磁気カードの方が汎用性があるかと考え、それにした。店を出てから、では、あの小型判の方は何かと想像し、裏に描かれた図形をスマホで読み取って使う方式なら、そちらの方が便利だったかと後悔した。時代は即断を求められる割には複雑過ぎて、付いて行きにくい。
 アナフィラキシーという新語が突然現れて、理解が難しい。異物に対する体の強度の拒絶反応のようである。新型コロナウイルスのワクチン接種の際に起きていて、懸念されているとか。ニュースで聞いて、語感が淫靡だと早とちりした。心の耳を通じて穴開きと聞こえてきて、さっそく歌に詠んだ。「ぞくっと来る アナフィラキシーの 響きかな 深く刺されて 喘ぎ堪らず」と即吟したけれど、落ち着いて調べると、「anaphylaxis」という英単語が見付かった。しかし、英語の綴りの方も anal と axis を合成したような、けっこう卑猥な感じがしないでもない。
 終活を意識する年頃になり、断捨離に着手し始めると、長らくお世話になったエロ写真、動画ビデオの処分をいつ実行するかという難しい課題に直面する。まだ大丈夫と思っていても、このコロナ時代にいつコロッと逝くか分かったものでない。孫たちに、こんな傾向が好きだったのかと故人の思い出話に盛り上がってもらっても困るし、どういう風に使っていたのか想像力を働かされては、天国での居心地も良くない。ついでに、筆を下ろさせてくれた女性はまだ存命だろうか、逆に初演の幕を開いた女性はその後どうなさっているのだろうか、と追想に耽ったり、老残の醜い側面を晒すことになる。こういう卑しい心を断捨離することこそが先決である。
  過去に拘るようになっては、人生はどん詰まりで、展望がない。今週月曜(15日)のNHKラジオ英会話でも、「 Let bygones be bygones 」(過去のことを水に流す)という表現が出てきた。音で聞くと、非常に耳に留まる響きがした。生きた英語は常に時事英語なので、テキストの作者は大統領選後の米政治の混迷が連想にあると思う。4年に1度のお祭りは済んだのだから、トランプ残党がいつまでも酔っぱらって騒いでいる場合ではない。4年の治世を総括すれば、これは安倍政権期間中にも言えることだけれど、言説挙動の騒がしさに比べ、株式市場が比較的堅調だったことに由来するふわついたユーフォリア( euphoria )を除いて、何も達成されたものはないと言ってよい。大学合格した女の子が皆には秘密にしておきたいと言っているのに、特別に教えられた男の子がそれを友達に口を滑らせたものだから憤慨しているその女の子に対して、「 Look, I'm apologizing. So, can we let bygones be bygones? 」(ねえ、僕は謝っているんだ。だから、もう終わったことは水に流してくれないか)と、仲直りを求めるシーンである。
  「 bygone days 」は過ぎ去った日々。取り留めなく、親孝行できなかった後悔以外に思い返すことはほとんどない。自分史を書く人もいるそうであるけれど、アルバイト先にその都度出す履歴書以外に付け足すものがあまり思い浮かばない。ただ、人間関係の事なので、自分ではその都度決済してきたつもりでも、埋もれた記憶からいきなり匕首を突き付けられることがあるかもしれない。それも含め、水に流すというより、砂のように零れ去ってしまっている。心底の人間関係を作ってこなかったのかもしれない。今となっては手遅れである。

ばいごんに
耽る愉しみ
我に無し
その日暮らしを
歌に流さむ


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