天愛元年

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新元号『天愛』元年にスタート

南瓜

2019-11-11 13:00:42 | 日記
 土手かぼちゃという特定の種類があるのかと思っていたけれど、土手に勝手に成ってぶら下がっているカボチャのことで、種類は問わないみたいである。むしろ、かぼちゃの実を指すより、不整形なごつごつ顔の不美人を貶して使う言葉のようである。亡くなった親父が、女の人に怒鳴る時、「この土手かぼちゃ!」と言ったのを覚えている。だから散歩で通りかかった畑のへりに、ずうっと収穫せずに放置してある、不格好にデカいけれどツルっとした代物を、土手かぼちゃと呼ぶのが躊躇われた。誰が見てもブスというほどではなくて、蓼食う虫も好き好き的なうりざね顔で、源氏物語の末摘花のイメージが浮かんだ。そんな顔だけれど瓜と言うより、どてっと転がっている存在感からカボチャと判定した。
 人の目を引くのに、いつまでも放置してあると、通りすがりの赤の他人ではあるけれど、迷惑である。煮るなり売るなり、何とか処分してもらわないと、通るたびに心が落ち着かない。垣根のずうっと奥の方に家が見えるけれど、尋ねる勇気が出ないし、人も出てこない。1個くらい失敬しても問題はなさそうだけれど、人を陥れる策略が隠れているかもしれない。
 自分だったらどう料理するか。普通なら煮物だけれど、切って、実が黄色くなければ、食欲がわくかなあ。瓜のように白か薄緑だったら、漬物にするしかないか。所有者が見捨てているということは、きっと不味いのだろう。そんなものを盗んで、捕まることはない。
 散歩していて、ギクッとした。今頃になって垣根の菊が満開になっていた。花札の連想から菊は9月が盛期と思い込んでいたけれど、この時季でも綺麗に咲くのだ。
 9月の菊の10点札は、猪鹿蝶を構成する6月の牡丹、7月の萩、10月の紅葉より見栄えがしない。しかし、寿の盃の図柄が地味に配されているため、20点の3月桜札か、8月坊主札と組み合わさると、「花見で一杯」「月見で一杯」の役となり、華麗な役の「猪鹿蝶」「赤丹」「青丹」と同じ5点が獲得点数に追加され、けっこう重宝される。だから天皇家は菊を家紋に採用している。ちなみに我が家は鷹の羽だけれど、末っ子で家を出たため、今は無紋である。
 きのう徳仁天皇の御即位祝賀パレード(御列の儀)があって、雅子皇后ともども両陛下の威厳と温雅が兼ね備わったお姿は四囲に光り輝いていたけれど、この円熟盛期を見計らったようなタイミングを導いたのは、上皇陛下の御叡慮だったことを忘れてはならない。流れゆく現代を永遠不易のものと感じている限り見過ごしがちになるけれど、歴代天子の中でも至高と言えよう。

大君の
日嗣ぎの姿
耀くは
下り居の宮の
礎ゑの上







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