天愛元年

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新元号『天愛』元年にスタート

2020-09-25 14:11:29 | 日記

 貧すれば鈍す。高支持率の菅義偉内閣が発足して初10日が経過した感想は提灯行列。慶事があったと聞いて慌てて駆け付け、ご祝儀にあり付こうかという魂胆が見え見えの印象を先ず受ける。枝にぶら下がってポストを得たい人は当たり前であるけれど、公正中立、第三者を装うメディアの媚態が露骨で正視するのが難しい。安倍晋三前首相の恩顧を蒙った社はもとより、上手く乗りそびれた社も今回ばかりはと、忠義立てのパフォーマンスに大わらわは情けない。選挙公報のような立志伝を仰々しく書き連ねたり、先の大殿様の治世にいかに手柄があったかのご追従話には辟易する。新聞、放送、雑誌のいずれも、姿勢、企画力、つっこみを欠いているから読まれない、見られない、広告が集まらないため、経営が苦しくなる。本来立て直すべきは姿勢なのに、安易に政府の優遇と買い上げに依存してしまう。枕営業まがいの忠勤ごっこで、内容が砂糖をまぶせたような官報だから、ますます消費者から見放される。具体例は、新聞1紙しか読まないけれど、掲載広告と番組表を見れば、指摘する必要がなくなる。
 一国全体が洗脳集団みたいになっているから、新たなビジョンなど見えてこない。行き詰まりを打開するのが選挙のはずだけれど、この国では先代からのよしみが幅を利かせ、方向転換の糸口が見つからない。産業政策が後手後手で、ITでもフィンテックでも米中の後塵を拝するばかりで、負け惜しみに、日本の匠の技術がなければ海外企業も成り立たないとは言うものの、要するに下請け手工業に甘んじているようなものである。家電大手のどこが残っているのか。自動車も油断していると、油断しても走れる車を開発する海外企業に取り残されてしまうだろう。
 3本の矢で構成された安倍前内閣の経済戦略のうち、日銀の金融のバズーカ緩和と財務省の放漫財政によって国内的には何とか8年近く息をつないできたけれど、海外との競争に打ち勝つ民間企業の成長戦略が全く機能しなかったため、金融財政の先行投資負担が回収できる見込みのないまま重くのしかかり、爆弾を抱えた状態となっている。経産省内閣と言われたのに、成長産業育成はもとより、海外大型プラント案件、エネルギー戦略を始め何の成果もなく、マスク配布だけに終わったのだから、同省の存在理由すらなくなっている。

 台風12号による雨風を心配したけれど、さらっと通り過ぎ、ひんやり感だけを運んでくれた。夏の間、ずうっと水シャワーできたけれど、警戒感が揺るんで、今日から風呂に変えた。記念の初夜は秋田の蔦温泉の素を入れた。薄緑の濁り湯に酔った。

蔦の湯や
コロナをまたぎ
煙立つ
憎きウイルス
洗ひ流せよ

 猫の出産は賑やかで可愛い。馬が生まれる時は優雅である。人は痛々しくて側に付けなかった。秋を散策していると、薄の胎児から、四肢が顔を覗かせ、生まれ出ずる姿が観察できた。四季、鳥獣、森羅万象、命が宿るのは神々しい。

薄の子
ゆっくり出でよ
腕折るな
命楽しまな
ともに枯るまで