「厚木には一人もキリスト教徒がいない…」とテストウィート神父が記述している。厚木は当時、小さな農村だった。カトリック信者のいる小田原教会まで30㎞の道のりの途上だった。宣教活動もなかなか前に進まない難しい土地柄だったと思われる小田急線本厚木駅から徒歩5分の所の厚木市旭町に蒲鉾型のような長細い教会がある。シンプルな構造の建物で、1970年の設立とある。信者数は今でこそ1700人とあるが、嘗て明治時代は0に近い地域だったようだ。同じ小田急線の秦野教会も1970年代の設立なので、テストウィート神父が記述しているように町田から小田原にかけての宣教の旅は厳しい旅になったと思われる。それでも歴史書のよるとロシア正教やプロテスタントの教会や信者は少しは存在したと記録されている。カトリックにとっては、東京や静岡のように洗礼者が増えた地域もあれば、神奈川西部では実質的に撤退せざるをえない地域もあったようで、テストウィート神父は、町田から小田原までの旅を7淡々と続けている。