アナと南国の王子、そしてエレン

トイプーのアナと孫の保育日記をのんびりと書いています
2018年4月30日パピヨンのエレンも仲間に入りました

私の終戦記念日

2014-08-15 09:00:00 | 家族
今日は重い記事になっちゃいました。これは、家族への伝言?でも有ります。
重いって思ったら、スルーしてくださいね!

私が体験したわけでは無いけれど、子どもの頃から、耳にタコが出来るほど聴かされた父と母の戦争戦後体験。

母は新潟生まれの祖父と富山生まれの祖母のもと、戦前はアメリカンドリームならぬ、満州国ドリームの大連と言う街で、裕福な家庭で育った。男6人女4人の一番上。

父は鹿児島市荒田と言う所で生まれたらしい。(父は寡黙な人だったので詳細がわからない)男3人女3人の下から二番目。父の家族もまた夢を抱き、満州国へ。

満州鉄道で働く2人は、恋愛結婚だったらしい?!(本当かいな!)
姉が産まれて、2年後日本は太平洋戦争に負けた。
しばらくして、ソビエトの犯罪者の軍隊が南下してきて、日本人の住む街を荒らしたそうだ。女、子供皆坊主になって、毎晩襲いに来る兵隊から逃げるため、天井裏に逃げたそうだ。そのうちにソビエトの正規軍がやって来て、治安が保たれた。
食糧難の為、市場へ着物を売って食材を買いに行くと、中国人やロシア人が、姉や次女を売ってくれとか、ハーフだろうとか言われたらしい。



日本への引き揚げ船が出始めたが、裕福な人は後へ後へとなり、身包み無くならなければ、引き揚げ船には乗れなかったらしい。
その上持って帰れるお金や荷物も決まっていて、隠し持っている事が分かれば、船がまた戻ってしまうとか、海に落とされるとか言われ、真面目な父母はギリギリの所持品で日本に帰って来たそうだ。その頃姉と次女がいた。
母の父母やきょうだいと富山に一度引き揚げたそうだ。そこで次女と産まれたばかりの長男を亡くした。そして祖母(母の母)も結核で、幼い子どもを遺し亡くなった。

そして一度鹿児島に戻ったそうだが、父の兄も多くの子どもを抱え、弟の父家族を一緒に暮らすのは大変だったようだ。母も鹿児島に馴染めず、また、母の親弟妹のいる富山に行った。ここで三女が産まれた。
やがて、母の親兄弟は東京で仕事を探す事となり、父と母はまた鹿児島へ。
姉が小学4,5年生だった。ここでまた三女が病気で亡くなった。
母は次女と三女が人形のように可愛かったといつも言っていた。



父母はその後も一生懸命働いたが、苦しい日々が続いた。
戦争は、多くの犠牲者を出しただけでなく、戦中戦後多くの日本人が味わった貧困、苦しみ悲しみ等を引き起こす。
上手くは書けないが、多くの70歳以上の人はその苦しみ、大変さを知っている。
それ以下の世代は、親が耳にタコを作るぐらい話してないと、きっと分からない。

人間は同じ過ちを何度も繰り返しているのが、歴史でも明らかだ。
これからの日本、どうなるのか?!
日本人は、今日だけでなく、何時もこの日を忘れて欲しくない。


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4 コメント

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Unknown (秋花)
2014-08-15 19:43:26
ハリーママさん

過去自分の先祖はどういう経緯だった、どういう人だったって伝えるのは大事ですよ。
せっかくのブログだもの、使わなきゃ。

うちも両親から両親はそのまた両親から話を聞いています。
伝えられるうちに伝えることは良い事です♪
王子大人になって自分の先祖の話知りたいと思ったら、ハリーママさんのブログ見れば分かるしね♪(⌒∇⌒)
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秋花さんへ (ハリーママ)
2014-08-15 20:09:08
若い頃は、何昔の事ばかり、言ってるの?!と思っていましたが、近頃、親戚が高齢で亡くなる事が多く、祖先の事分かりにくくなって来ました。
普段の生活ではへにもなりませんが(苦笑)自分を知る上で、何か足しになればと思って書いてみました。

災害は忘れた頃にやって来ると言いますが、戦争も忘れちゃったら、いつかやって来るかもしれませんよ。
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Unknown (アトムパパ)
2014-08-15 20:22:04
こんにちわ。

人間の欲があるかぎり、戦争は無くならないでしょうね・・・
日本にとって、戦争を阻止することが出来るのが、
憲法第9条だと思うのですが、それも怪しくなってきましたね。
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アトムパパさんへ (ハリーママ)
2014-08-15 21:33:54
今、テレビでサハリンの日本人の話をやっていますが、似たような状況でしたね。

う~ん、9条はもっと国民が真剣に考えないといけないことですよね。
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