兎月庵日記

五句三十一音詩は名称を変えつつ時代の波をくぐり抜けてきた。衰退と復活、上記視点から五七五七七の未来図を航行しています。

なぜ翻刻なのか?

2024-08-04 21:44:23 | 日記

『一本亭追福狂歌集』の翻刻に勤しむ。終日家居、歩数は638歩だった。

【参考】

(略)江戸時代二百年以上続いていたような老舗(しにせ)が次々と消えていった。「近代社会」への対応ができなかったからといえば、それまでだが、こうして「近世」をつぶした「近代」とは何かと考えていかなければならないのではないか。。
 そのひとつに近世までの書物を読めない社会にしてしまったことがあげられる。江戸時代まで平仮名は一音一字ではなかった。同じ音にいくつもの平仮名があったのだ。それを明治期に一音一字に決めてしまい、それ以外を「変体仮名」と名付けて、教育の場から追放してしまった。平仮名は草書体からきている。そのため、平仮名漢字交じり文というのは、全体がくずし字で書かれるというのが原則だった。その字のくずし方についての教育もしなくなった。その結果、同じ日本人でありながら古い本が読めなくなってしまったのだ。
 現代、江戸時代以前の文学ゆ思想、宗教などの「古典」をさまざまな活字媒体で読むことはできる。古典文学全集、日本思想何がしなどと称していくつもの本ができている。しかし、それは「すぐれたもの」と判断された作品だけである。そこから排除された著作物はどなるのだろう。変体仮名やくずし字が読めないので、せっかく実物の和本があっても利用されない。結局、限られたものを「古典」と称してあてがわれただけで「文化」といってきた。近代以降の社会が、和本をいったんは「切り捨てて」しまったのた。

(角川学芸出版、橋口侯之介著『和本への招待 日本人と書物の歴史』168頁)

 


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