◎神秘家の道 P206~209(質問) 私が初めてあなたに会ったのは、私がサニヤスを受けたときでした。その時私は生涯で初めて「わが家にいる」というあの素晴らしい感じを味わったのです。私があなたから離れているときにはいつでも、ある落ち着かなさのようなものを感じて、それが私を一つの場所から別の場所へと移動させ続けました。そして一度も、自分が正しい場所にいるという感じを味わえませんでした。こうしてあなた . . . 本文を読む
◎神秘家の道 P204~206(質問) この前の晩、私は催眠に入るためのテクニックとして、あなたが薦められた方法をやってみました。かつて経験したことがないほどに深くリラックスはしたのですが、それでもやはり、はっきり意識は残ったままでしたし、無意識や無意識の記憶に触れたようではありませんでした。けれども私のマインドの中をたくさんのイメージが素早く通り過ぎて行って、私はそれを声に出して言いました。そう . . . 本文を読む
◎神秘家の道 P57~59・・・。意識の最高の高みに達した人は、新しい潜在能力を身につける。そして最も重要なことは、今度はその人は下にも降りて行けるということだ。彼は、以前なら降りて行けなかったような、より暗い領域へ入って行けるだけの光りを持つ。以前なら、マインドの下に落ちることは、間違いなく狂うということだった。マインドは、小さな光の点だからだ。そこからもし落下すれば、暗闇の中に落ちて行く事しか . . . 本文を読む
Osho: The Great Zen Master Ta Hui, #28 より
(経典)「心が動かないようにする」のではなく、無心。各地の師が正しいか間違っているのか、あなたにはよく分かっていないかもしれないが、あなた自身の根底がしっかりし、本物であれば、「心が動かないようにする」ことと「関心をもつことを忘れる」ことも含めて、 間違った教義の毒があなたに害を及ぼすことはありえない。生と死とい . . . 本文を読む
◎神秘家の道 P30~32より(市民出版社)(質問)あなたのお考えでは、精神分析における無意識の解放は、人間に何をもたらすでしょうか?(和尚)ほとんど何もない。精神分析とは無駄な実践だ。それは何ひとつ変えることがないからだ。それは新しい人間を生み出すことはない。あなた方に平安をもたらすことはない。実際、ジークムント・フロイトのような精神分析の創始者でさえ、信じがたいほどに死を恐れていた。普通の人間 . . . 本文を読む
◎源泉への道―中心へ向かう・ハートの開発 和尚講話録 (タントラ秘法の書) P68より(市民出版社) トータル(全的)な人間とは何か。トータルな人間、トータルな人間であるとはどういうことか?その意味は、第1に「中心を定める、中心を据える、中心なしに存在しない」ということだ。(中略)トータルな人間には中心がある。何をしていようとも、彼はその中心に留まっている。頭が機能しているとき、彼は考えてい . . . 本文を読む
●「存在の詩」(めるくまーる)より 原文Tantra: The supreme understading http://www.sakshin.com/から「瞑想とは何か?」をクリックし、その画面下段にある「観照について」をクリックすれば表示されます。(質問)愛するOSHO、時々、私は悲しみに打ちひしがれて沈んでしまいます。泣きだして、我が身を忘れてしまいそうです。あなたのおっしゃる、観ること、観 . . . 本文を読む
●瞑想 祝祭の芸術(めるくまーる刊)より(質問)覚醒awarenessと観照witnessingの違いは一体、どこにあるのでしょうか? (和尚)覚醒と観照の違いは大きい。観照というのは依然として行為(アクト)だ。あなたが観照している。そこには自我がある。だから、観照という現象は主体と客体に分裂している。観照は主体と客体のあいだの関係だ。覚醒にはいかなる主体性も客体性もない。覚醒においては、観照 . . . 本文を読む
●新瞑想法入門より(市民出版社)呼吸をどうにかできれば、あなたはたちまち<現在>に向き直る。呼吸をどうにかできれば、生の源泉に到達する。呼吸をどうにかできれば、時間と空間を超越できる。呼吸をどうにかできれば、この世界にいながらそれを超越している。ヴィパサナは、他のどれよりも多くの人びとを光明に導いてきた瞑想だ。それは、この瞑想がまさに本質的なものだからだ。他の瞑想も同じ本質を備えてはいる。だが非本 . . . 本文を読む
◎和尚タイムズ・インターナショナル63号(P35~40)より 原著Satyam,Shivam,Sundram,#7 (質問)親愛なる和尚、「見守ること」は、どのようにして「無心」(ノーマインド)へと成長してゆくのでしょうか?私は自分の思考と感情を、前にも増して「見守る」ことができます。そしてそれはすばらしいと感じます。でも、無思考の瞬間はごくまれです。あなたが、「瞑想とは観照することだ」と言われる . . . 本文を読む