いつものことながら、大晦日ともなれば老妻はおせちの支度にばたばたしている。離れてアパートに一人暮らしの息子が今日から帰って来るし、多分正月二日には娘と孫たちが来るから、相応の用意はしておかねばならぬ。
一方こちとらはといえば相変わらず我が城にこもってパソコンにへばりついている。
この時期に思い浮かぶのが樋口一葉の短編「大つごもり」(明治27年)だ。はじめて読んだのは旧制中学時代、えんえんと続いてなかなか「。」が来ない擬古文に一種の脅威を感じながらも読み通した。
文学少年気取りの青二才はその結末の簡潔明快さに感服したものだった。
貧困のうちにわずか24歳で病死した彼女が残した数少ない作品群は、77歳となった今なお、愛して措くことのないものなのだが、その彼女の肖像がなんと五千円紙幣に使われたのだ。
何を思って選んだのか知らないが、生涯お金に苦しんだ彼女の、しかも陰影の薄い白っちゃけた下手くそな画像をみるたびに、これは彼女への冒涜だと一人腹に据えかねているジイサマなのである。
一方こちとらはといえば相変わらず我が城にこもってパソコンにへばりついている。
この時期に思い浮かぶのが樋口一葉の短編「大つごもり」(明治27年)だ。はじめて読んだのは旧制中学時代、えんえんと続いてなかなか「。」が来ない擬古文に一種の脅威を感じながらも読み通した。
文学少年気取りの青二才はその結末の簡潔明快さに感服したものだった。
貧困のうちにわずか24歳で病死した彼女が残した数少ない作品群は、77歳となった今なお、愛して措くことのないものなのだが、その彼女の肖像がなんと五千円紙幣に使われたのだ。
何を思って選んだのか知らないが、生涯お金に苦しんだ彼女の、しかも陰影の薄い白っちゃけた下手くそな画像をみるたびに、これは彼女への冒涜だと一人腹に据えかねているジイサマなのである。
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