「この道や」とくれば、大方のむきには「行く人なしに秋の暮」と続く芭蕉の句が浮かんでくるでしょう。
ところが山頭火にかかると、この道に多くの人を行かせ、自分も歩くんです。つまりこうなります。
このみちや
いくたりゆきし
われはけふゆく
この句は彼の旅日記の表紙裏、「行乞記(昭和五年九月,九州地方)」というタイトルの右側に書かれ左側には次の句が書かれています。
しづけさは
死ぬるばかりの
水がながれて
そして第一頁の書き出しの部分も読んでいただきます。小生がこの小文を書くきっかけも実はここにあるんです。
九月九日 晴、 八代町 萩原塘 吾妻屋
私はまた旅に出た。愚かな旅人として放浪するより外に私の生き方はないのだ。
この続きにはその日の行動と宿でのこと、翌日は行程三里、隣町の日奈久温泉まで歩いて泊ったことなどが書かれていて、そのまま再録したいところですが、小生の書くネタが無くなるからやめときます。ご存知のように(ご存知で無い?こりゃまたシツレイ)小生熊本県八代市に住んでおりまして、ここに山頭火との接点があるのであります。 <つづく>