ミモザの春雨日和

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9月1日は、大地震と朝鮮人、中国人等虐殺の日 忘れまい、「地震」と原発事故に備えよう

2015年09月04日 | 原発関連情報・被ばくしないために
以下、たんぽぽ舎より転載します。


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┗■1.9月1日は、大地震と朝鮮人、中国人等虐殺の日
 |  忘れまい、「地震」と原発事故に備えよう
 └──── 柳田 真(たんぽぽ舎)

○9月1日は関東大震災=防災の日となっている。同時に1923年の関東大震災において、朝鮮人、中国人、日本人の社会主義者、労働組合活動家の大虐殺が行われた日でもある。

 関東大震災は1923年9月1日、午前11時58分、東京・横浜を襲ったマグニチュード7.9の大地震だった。東京では火災によって全家屋の3分の2が焼失、全体の死者は9万9331人、負傷者は10万人強。この時に朝鮮人6000人、中国人700人の大虐殺が起きた。また、大杉栄・伊藤野枝夫妻と甥の3人が甘粕憲兵大尉らによって、憲兵隊本部で殺害され、救援活動中の平沢計七ら南葛労働会の活動家たちが亀戸警察署内で官憲によって殺害された。

「不逞鮮人」や「社会主義者」による暴動というデマがなぜ広がったのか。

 現存している証拠として

(1)千葉県・船橋市の海軍の送信所から全国へ発信されたこと。

(2)埼玉県庁が群役所を通じて県下の町村に通知、「移牒」である。

 朝鮮人が暴動を起こしたというデマ情報を意識的、系統的に全国に発信したのは内務省(治安を任務とする国家組織)である。朝鮮の人々に、こんな非道なことを約100年前、自警団(半ば官製の組織)が行ったことに対して今に通じる痛切な反省を要する。(唯一救われるのは神奈川県のある警察署長が朝鮮人を署内に入れ、虐殺から守ったという記事を読んだ時である)

○地震研究会(たんぽぽ舎の研究会)は、10数人で関東大震災の跡地(東京・墨田区)を10年ほど前に実地見学した。会員の多数が関東大震災時の「虐殺」の事実を知らなかったので、皆で現地を見て、説明を聞いて、勉強になった。

 私たち年配者は、あとに続く若い人たちに「歴史の事実」を(反省すべき点も含めて)伝えていく責務があると感じた。

 「歴史の偽造」と嫌韓、嫌朝鮮、嫌中国を図る政治家の少なくない人々がバッコする世相だけに一層強く思う。過去の歴史から大事なことを学ばない国民では、アジア各国から信用されない、アジアに友人がいない国=日本になってしまう。

○地震と原発―次の心配・危機―原発再稼働を阻止しよう

 東京電力福島第一原発事故は津波だけが原因でやられたのでなく、地震にも耐えられなかったことは多くの事実から確実だ。その反省もないまま、原発の再稼働(第1号は九州電力の川内原発)を急ぐ電力会社と安倍内閣の無謀さにあきれる。

 私たちも試されている。全力で原発再稼働を阻止しよう、自分と孫、子のためにも悔いのない闘争をやろう。

○テレビ・新聞はなぜ1923年9月1日の大地震と朝鮮人・中国人虐殺、社会主義者虐殺のことをほとんど報道しないのか?残念である。メディアの怠慢以上の大きな問題点を感じる。


(注)8月30日の毎日新聞・千葉版で「八千代、関東大震災の朝鮮人虐殺『負の遺産』と向き合い、慰霊」という記事を見た。4段の大きな見出しで注目された。また「船橋でも追悼式」の記事もその隣に載っていた。

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以上転載

【1923年9月2日午後2時/亀戸駅付近 騒擾の街】

http://tokyo1923-2013.blogspot.jp/2013/09/1923922.html?spref=tw




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