ミモザの春雨日和

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「村長からのメッセージ」『辺野古報告』の良心的不服従に対して

2015年07月25日 | 沖縄
写真は沖縄・辺野古の浜、5月15日です。

「村長からのメッセージ」『辺野古報告』の良心的不服従に対して

http://www.vill.nakagawa.nagano.jp/index.php?f=hp&&ci=10117&i=12080


ご利用ありがとうございます。
以下の問い合わせを受け付けました。
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受付時間:2015年7月14日 12:10:37
受付アドレス:http://www.vill.nakagawa.nagano.jp/inde******
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受け付けた内容
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件名:6月21日の村長の言葉について
お名前:**
年代:40代
性別:男
ご住所:
お電話番号:
メールアドレス:********@gmail.com
本文:自分の主義主張の為なら法を犯しても構わないと取れる意見を述べていますが、その様にとる事はあまりにも短絡的だとおっしゃいますが、辺野古での活動を肯定されてる時点で違法行為を賞賛してるのではないのでしょうか?
辺野古での活動を良心的不服従と呼んでるのではないてしょうか?
公共物を汚したり、入ってはいけない場所に進入したり、占有するのは良い事なのでしょうか?
自身の正義に反してなければ良い事なのでしょうか?
どの様な意図での発言なのでしょうか?
お答えいただきたい事は主義主張の為なら法を犯しても良いのか悪いのかという事と、辺野古での活動において、敷地を占有したり、進入していけない場所に進入する事は法律を犯しているのかいないのかという事。辺野古での活動に対して支持をしているのかいないのかを教えていただきたいです。

回答の要否:回答をください
回答の方法:電子メール
公開の可否:公開可
氏名の掲載:掲載不可

>>> 曽我からの返事 <<<


 メールを頂き、有り難うございます。

 まず、**さんによる要約「自分の主義主張の為なら法を犯しても構わない」というのは、意図的かどうかは分かりませんが、聞いた人に間違った理解をさせる表現であるので、正す必要があると感じました。
 **さんの言い方は、テロを肯定するものであり、もちろん私は、そんなことを主張していません。
 良心的不服従は、「村長からのメッセージ」に書いたように、(1)良心に基づき、(2)間違っていると考える制度や法律、公的事業等に対して、(3)公然と、隠れることなく、(4)非暴力で、(5)不服従を行う、というものです。
 勿論、こんなことをせずとも、署名活動や公聴会などでの意見陳述、デモなどで、法律や制度の問題を提起し、統治する側が聞く耳を持ち、議論がされ、必要な改善が行われるのが理想です。しかし、たとえば沖縄の場合が端的なように、国は地元の人々の意見に聞く耳を持たず、「粛々と」辺野古の海を破壊し続けています。人々が長らく基地被害に苦しめられているのに、憲法よりも日米地位協定を優先し、住民より米軍の都合を優先して、人々の苦しみを放置しています。
 このような状況においては、良心的不服従は、市民が問題を広く社会に訴え世論を動かすことで状況を改善するための、最終的な手段だと考えます。

 素人なりに日本国憲法を再読すると、良心的不服従は、いくつかの条項に当てはまるのではないかと思います。
 まず、12条が国民に要求している「自由及び権利を保持するための不断の努力」の一環ではないでしょうか。12条は、「公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」との制約をつけていますが、良心的不服従は、私利私欲ではなく、公共の福祉、たとえば、美しい海を守る、人々の暮らしを平和で安穏なものにするという目的のために良心に基づいて行われるものです。
 また、16条にある「平穏に請願する権利」の中にも含められると思います。良心的不服従は、非暴力であり、世論を動かすことで法律や制度を変えさせようとする取り組みです。
 さらに、21条が保障する「その他一切の表現の自由」の中にも含まれるべきものだと考えます。良心的不服従は、間違った制度や法律、公的事業にNO!を表明する行動です。

 「村長からのメッセージ」に書いたとおり、歴史を振り返れば、人種差別や植民地支配という、当時はあたりまえであった不正、間違いを、良心的不服従は、「おかしい、間違っている」と指弾し、正してきました。世の中を良くしてきた実績があるのです。もし、法律はいかなるものであれ厳格に守らねばならない、とするなら、このような改革は実現できなかったかもしれません。あるいは逆に、運動は地下にもぐり、暴力的になった可能性もあります。

 敷地を占有したり、進入してはいけない場所に進入する事は法律を犯しているのかいないのか。
 まず、辺野古新基地に反対している人たちは公共物を汚したりはしていません。「村長からのメッセージ」に書いたとおり、浜の防波堤に生ゴミをまき散らしたのは、抗議活動に嫌がらせをした人たちの側です。米軍のフェンスにメッセージを結ぶことは、ダグラス・ラミスさんが法律違反だと書いておられるので、そうなのでしょう。良心的不服従は、逮捕される可能性も辞さずに、おかしなことにはおかしいと言うことです。防波堤や道路の法面にテントや日除けを張ること、あるいは海に浮かべられたフロート・フェンスを越えることが違法かどうかは、私は厳密には知りません。もしかすると、そういう場所に立ち入ることは法律で禁じられているのかもしれません。しかし、だとしても、その運用をどの程度厳格にするのかは、重要な点です。防波堤や法面を散歩すること、椅子を持ち込んで休むこと、テントを張って寝ること…どこで線を引くのか。法律違反をすべて厳格に取り締まろうとすれば、警察の体制を愚かしいほどに充実せねばならないし、ひどく息苦しい社会になるでしょう。同じことをしても、個人の楽しみであればOKで、良心的不服従であれば取り締まるというのであれば、先に挙げた請願の権利や表現の自由という憲法の精神に逆行することになります。細かなルールを守らせるために、もっとずっと重要なものを殺すことになります。社会の変革を押さえ込んでしまうのです。海に浮かべられたフロート・フェンスは、米軍新基地建設のために海を壊す工事の一環として新たに張られたものですから、それを尊重しないことは、良心的不服従の定義からして、自明のことになります。

 そもそも**さんは、ご自身の主義主張と相容れないから、辺野古の新基地反対運動に対して「厳格に法を守れ」と仰っているのではないでしょうか。それによって、自分にとっておもしろくない運動にたがをはめようとしておられるのではありませんか。それとも、不条理な制度・法律で苦しめられている人たちは世界中に大勢いますが、その人たちにも、「法律は法律だ。非暴力であれ従わないのは許されない。いかなる専制国家であっても国の決めたことに服従するのが当然だ」と仰るのでしょうか。相手によって運用を変えるなら、ご都合主義の誹りを免れません。

 以上のとおり、良心的不服従は、理のある行いです。ましてをや、今、日本では、立憲主義を理解しないまま、新たな法律がつくられ、国が引きずられていこうとしています。憲法をないがしろにする政府に対しては、良心的不服従の理は一層高まると考えます。憲法でさえ尊重しようとしない政権が、法律で定められた枠内での市民からの問題提起を誠意を持って受け止めるとは思えません。聞く耳を持たず「粛々と」事を進めていきます。法律の枠からはみ出した良心的不服従を、市民が堂々と非暴力で行わざるを得ないケースは、増加すると思います。

 ご意見有り難うございました。

2015年7月17日 中川村長 曽我逸郎


〒 399-3892 長野県上伊那郡中川村大草4045-1 
TEL 0265-88-3001(代) FAX 0265-88-3890
___________________

以上転載


我が相模原市はどうなんでしょうか。
米軍基地がある街なのですが・・・
JR相模原駅前が基地です。涙~
一部返還と言われてから10年塩漬け?
最近、市立美術館建設の話もあるようですね~
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