子供たちに逢う日まで…

胚盤胞移植をしてH19年夏に女の子を出産しました。二人目は、不妊治療と不育症の治療してH22年春に女の子を出産しました。

これまでの経緯 AIH編 妊娠~流産

2006年07月19日 09時34分29秒 | AIH
AIH 妊娠~流産

2005年9月2日 AIH<7回目→結果◎> 内膜15 運動率90%
この時、産まれて初めて妊娠しました。

10月5日 体温36.90 内診に行きました。内膜14 黄体ホルモン40
まだこの時は妊娠に気づいていません。

10月18日 体温36.88 高温期が18日も続いたので自宅で検査薬を使ったら陽性反応が出ました。
旦那に「陽性反応でたよ」とTELしたら、「陽性反応って、どっち?」との返事…オイ!!!と思いながら、「妊娠したよ」と報告。

10月19日 胎嚢確認「妊娠2ヶ月ですよ」とのお言葉を先生から頂いて感動のあまり放心状態になってしまいました。

10月26日 内診にて先生から「胎嚢が成長していないかもしれないので…」ケイリュウ流産の説明を受けました。
やっと妊娠したのに、流産って…転んでもないし重い物も持っていないのに、なんで?なんで?病院を出てから涙が止まりませんでした。

11月5日 胎芽4mm 心拍らしきモノ発見!?
先生も興奮気味に「このチカチカしているのが心拍かも」私は心臓がバクバクして胸が苦しかった。。チカチカが心拍でありますように(祈)

11月10日 胎芽6.5 心拍らしきモノあり。 
赤ちゃんの成長がやっぱりおそいみたいで…2回心拍が確認できたら不妊治療病院を卒業できると言っていたのに、まだ卒業できずです。

11月19日 胎芽11.7 心拍なし。
若干成長しているが心拍が確認できなくなってしまいました。先生には「残念ですが、流産になると思います。早い所ソウハ手術しないと母体が危ない」と言われた為2日後にもう一度診察して成長と心拍が確認出来なければ、流産確定だそうです。
初めて、母体と言われた事に私は間違いなくこの子の母親なんだなーと思いました。

11月20日 近所の産婦人科に受診。
誰かに「大丈夫」と言ってほしくて受診しましたが、「この胎嚢の大きさの時に心拍が確認できないって事は、流産ですね」っと…

11月21日 胎芽12.3 心拍なし。
心拍が確認できないのに胎芽が成長していました。先生は「誤差の範囲ですね。成長していてもやっぱり成長が遅い…」との事。この日ソウハ手術の説明を受け4日後に術日が決定してしまいました。
あと4日でわが子とお別れです。この日、旦那と私とお腹のわが子の3人で一緒にお風呂に入りました。辛いけど、辛いのは私だけじゃない。旦那も辛いのに私を一生懸命支えようとしてくれている。そして(胎芽)12.3の小さな体のわが子も、頑張っている。私も泣いてばかりはいられない。

11月25日 ソウハ手術日。
ついにこの日が来てしまいました。旦那が会社を休んでくれたので一緒に病院へ向かいました。
病院について早速、術着に着替え全身麻酔をかけられました。先生に「よろしくお願いします」と言った後の記憶はありません。そして、次に気がついた時には手術が終わり点滴をしながらベッドの上にいました。
もうろうとする中で、私をさがす旦那の声がうっすら聞こえました。そして、声がうまく出せなかったので旦那の声の方に必死で顔を向けると気づいてくれて駆け寄ってきてくれました。あの時、何を話したのか思い出せませんが旦那の顔をみてほっとした事は、しっかり覚えています。
旦那・空にいる赤ちゃん本当に本当にありがとう。

これで、私の短い妊婦生活は終わりました。