振動を伴う、低い響き、脳髄の共振が、俺の体温をおかしくする、すべてを投げ出して横たわる床、甘い煙草みたいな臭いの、熱に温められた部屋の空気、まだ滲む冷汗を気にしながら、少しの時間他愛の無い夢を見る、九月になると思い出したように身体が壊れる、視界のちらつきの中にいつも同じものが見える気がする、どうせ原因が分かるものじゃない、天井は白けている、音楽は流れている、ずっと同じアルバムを繰り返している、何周目かにまるで、時が止まっているみたいな気分になる、なす術なく横たわることが増えた気がする、すべてが同じ要因なのか、それとも別々のなにかなのか、すべてを知っているものに見せなければその答えは分からないのかもしれない、でもそんな人間などどこにも居ない、どうしてもと言うのなら神様にでも会いに行くしかない、けれど会えたところで帰り道を見つけることは出来ないかもしれない、ならば運命に任せるしかない、内臓が軋むように音を立てている、俺はそれが俺の表層にある意識と共通の言葉であればいいのにと思う、でもそんな願いもやはり叶うことはない、人は壊れると眠り、時をやり過ごすしかない、子供の頃には体調を崩すと決まって同じ夢を見た、でももう語れるほど思い出すことも出来ない、数え切れないほど見た景色なのに、それが歳を取るということなのかもしれない、記憶はあてにならない、記憶を捨てなければならないから、景色の裏側にあるもの、感情の奥底にあるものを言葉にしようとするのかもしれない、人間は感覚の中に生きなければ、壊れやすい機械のように生きるしかない、断片は常にカットインしては消えて行く、それはおそらく、感知しているものの数十倍は流れ続けているに違いない、若い頃はその流れに気も狂わんばかりに急かされていた、でも、闇雲に書き続けるばかりで自分が何に向かっているのかなんてまるで分かっちゃ居なかった、当り前だ、それが若さと呼ばれるものの正体なのだから、若さとは己惚れた無知だ、そうして、そのまま大人になる人間だって決して少なくない、ひとつため息をつく、目が覚めても起き上がる気にならない、ままならないことは大事なのかもしれない、人間の身体は有限なのだ、いつかは完全に動きを止めてしまう、その前に書きたいものは書いておかなければならない、書きたいものがあるうちは動き続けるのかもしれない、心が死んだ時が人間の死だ、亡霊のように決まった動きを繰り返すだけの人間になったら、遺書の推敲をしておいたほうがいいだろう、神経がざわついている、全身を駆け回りながら正しい流れを取り戻そうとしている、メンタルもフィジカルも知ったこっちゃない、ただの不調だ、そこに理由なんか求めてもしょうがないだろう、あとは早く正しい流れに戻してくれればいいなと思うけれど、そんなに簡単なものじゃないだろうってことも分かってる、一度崩れたものを直すには時間がかかるものさ、何度もこんなことが起こると待つことが上手くなる、待ちながら色々なことを考える、とりとめもないことを思うこともあるし、わりとしっかりしたことを思うこともある、考える時間を貰ったと思えばいい、生活のポケットに落ちなければ考えられないこともある、これはチャンネルの問題なのかもしれない、完全に足を止めなければ考えることもない事柄というものが必ずある、そこに重要なものがあるかどうかは時々だけど、たまには落ちることも必要なんだろう、そんな程度に思っておくのがちょうどいい気がする、俺は結構長く生きて来たけれど、まだそんなに衰えたという感じはしないんだ、むしろ年々良くなっているんじゃないかという感じさえするよ、きちんと生きていれば新しいものは色々と飛び込んでくるしね、それまでやっていたこともとても上手くこなせるようになる、大事なのはほんの少し違うものを混ぜることさ、こだわりを持ってもセオリーは持たないようにするべきだ、そんなことが分かるようになった、変な話だけどさ、凄く楽しんでやってる感じがするよ、落ちるときは妙に激しく落ちるけれどね、でも、悪くない、ベター・デイズって歌あるじゃない、あんな感じさ、良くなってきた、だんだん良くなってきた、ってね、もう少し横になったままで居ることにするよ、やらなければならないことはいくつかあるけど、あとで纏めて片付けることにする、俺はいつだって俺そのものを書こうとしているんだ、でもそんなもの書ききれるわけがないことも分かってる、でも、だからそうするわけさ、これは長い長い自己紹介であり、遺書のようなものだ、俺はいつだってそういう気持ちで書いている、どれだけ書いても終わることが無いというのは、俺自身が少しずつ変わり続けているせいでもある、あるいは完成しようとしているというのかな、照準が定まってきているというかね、俺は今頃になって、ようやく自分が何をやっているのか、やろうとしているのか分かった気がするんだ、ならば、これからはそいつをどんどん突き詰めていくのみさ。
狂った夜は俺を、悪夢に誘おうとする、俺は唇を嚙んで、流れた血の味で正気を取り戻す、出口はいつだって自分で作ってきた、不可能だと思えるような夜にもやってみるとなんとかなった、だからもういいんだ、闇の程度や、実際にはない囁きの頻度など、もう俺にとっては何の意味も無いのさ、俺は咆哮を文章に変えてサバイブしてきた、俺は生き延びるためにそうして生きてきたのさ、生存の条件はどんな環境下にあったって確固たる自分がそこに在るかどうかだ、それ以上の条件は付加価値というものだ、知識や方法や技術はあとからついてくる、まず必要なものは何かというところをきちんとキープしておくのさ、自分なんて思っているよりあやふやなものだぜ、知らない間に楽な方へ流れて行こうとする側面だって確かにある、しかも近頃は、遺伝的にそういう感覚が刷り込まれているからね、俺は自分で矯正してきたよ、周囲をよく見て、これだけは真似しちゃいけないという物事を心に刻んできたからね、人生は口先だけじゃどうにも出来ない、行動と結果を持って少しずつ前進、向上を繰り返すのさ、見解の浅いやつほど、客観性がどうのと講釈を垂れる、でも考えてみなよ、客観的な視点なんて本当に在り得るのかい?それにしたって見つめているのは自分自身の頭蓋骨に埋め込まれているふたつの目に過ぎないんだぜ、幻を信じるような真似はよした方がいい、テキストを信じるのは後追いに過ぎない、そんなやつは理論の先へ行こうとしたとき何ひとつ生み出せなくてどこかへ行ってしまうのさ、そんなやつ俺はたくさん見て来たよ、そいつらにかけてやる言葉なんてない、だって始めた瞬間から詰んでいるようなものだもの、まあ、俺になんだかんだと言ってこない限りはどんなものだって許容してあげるけどね、時間を無駄にするのはあんまり趣味じゃないんだ、これは標準的な意味ではないよ、あくまで俺の人生にとってということだよ、俺は長い長い試行錯誤の果てに、狂った夜をさらに狂わせてやることを思いついたんだ、つまりさ、狂気と正面から向かい合おうと思ったんだ、だってそんなものただの感触じゃないか、印象を変えて正気のフォルダに放り込んでやれば、生きるのは少し楽になるはずさ、現代人が一番間違っているのはクリーンな部分だけを信仰してしまうという点だ、それは一度食事に使った皿を洗わずに捨てているようなものだぜ、認知して組み込むんだ、そうすればそんなに面倒に感じることも無い、もちろん、恐怖や不安といったものに変わることもあまり無い、要するに自分の感覚に柵を設けてはいけないという話さ、日常だのなんだのと、どうでもいいサブタイトルをつけて分類するのは止めるべきなんだ、人間はもっとナチュラルな感覚で理解することを覚えるべきさ、下手を打っちゃいけないぜ、それは一度忘れたら相当の荒療治でもしない限り思い出すことは出来ない、死ぬまで忘れたままになってしまう、これは冗談で言ってるんじゃない、本当に幾らでも居た、そしておそらくそうなってしまうだろう連中も大勢居る、驚くほどいる、ウンザリするほど存在しているんだ、もともとあるアンテナを畳んで、しまい込んで、別の、もっと見映えのいいアンテナを立てるのさ、それはどんな電波も受信したりしない、ただそこにあるだけのアンテナに過ぎないんだ、なぜわざわざそんなことをするのか?そういう人間で居たほうが得をするのが日本って国の社会に根付いているシステムなんだ、駒で居ることに慣れてるやつらが自分の人生を肯定するために大人とか社会とかいう飾り文句で誤魔化してしまうのさ、日本は今だって体質的には閉鎖的な村みたいな気質なんだよ、余計なことは一切せず、コミュニティの秩序を守るために生きて、歳を取って使い物にならなくなったら捨てられるんだ、姥捨て山がグループホームになっただけのことだよ、そうじゃないか?少しだけでいいから考えてみてくれ、社会なんて当り前のように痴呆化するもんなんだぜ、それは本来のアンテナを畳んでしまうからなんだ、本来受信すべきものを簡単にスルーしてしまうんだよ、埃のように舞って積もるだけの数限りない命、酷い悪寒、最高にゾッとする話さ、そういう人間たちの為に世界が回り続けるために、見栄や欲望の為の争いは繰り返されるだろう、誰かが損をするから誰かが潤う、どこかで失われるからどこかで生まれる、そういう風に出来ているんだ、そんなことは無いって言えるかい、規律と情愛に満ちた素晴らしい世界だって、言えるかい、ええ?詭弁をいくら並べたって駄目だぜ、生き易いからってだけでそんなものを選択しちまうようじゃお終いだ、時間を無駄にするのは趣味じゃないんだ、俺以外の誰かがどんな生き方をしようが知ったこっちゃないが、俺の邪魔だけはしてくれるなよ、出口はいつだって自分で作ってきた、これからだってずっとそうさ、俺が身体の中で飼い慣らしている獰猛な獣は、いつか俺の腹を食い破って世界に牙を剥くだろう、そのとき喉笛を破られずに済んだ誰かが、俺がやり残したことの続きをやってくれるだろうさ。
強奪者の化石を壁に張り付けたあとはエアガンで気の済むまで撃った、もっともそこそこ値の張るやつでも化石をぶち壊すことなんか出来やしない、せいぜい弱っているところが欠けるくらいさ、だけど、それがいったい何だって言うんだい、壊すことが目的じゃない、いつでもそこに狙うべき的がぶら下がっているっていうのが重要なのさ、そうじゃないのかい?コーヒーメーカーで四杯分まとめて作ったコーヒーが入っている水筒をラッパ飲みする、一杯じゃ足りない、いつだって一杯じゃ足りないと気付いたときからそうやって飲んでる、二回作る時もあるし、三回の時だってある、コーヒーの飲み過ぎは身体に良くないんだよってお節介な女とかは会うたびに言うけれど個人差ってもんがあると思うし、身体が求める分だけ入れてやることが正しいと思っている、いやだってさ、常識に照らし合わせて考えることが正しいのなら、スモウレスラーやフードファイターなんて軒並み早死にしなきゃいけないはずじゃないか、たったひとつのモノサシですべてを図れると考えるほうが間違っているのさ、俺はそう思うよ、もう何年もこうやってるけど、コーヒーのせいで具合が悪くなったことなんか一度も無いぜ、まあ、まあ、そのうちケツに火がつくのかもしれないけれど、その時はその時ってもんさ、自分の人生だ、自分で選択したものを信じられないでどうするんだよって話、いや、何も趣味嗜好のことに人生なんか持ち出す必要は無いのかもしれないけれど、なんていうかな、それぐらいの覚悟、うーん心構えは出来てるってことだよ、今日は二回目なんだけど、これで止めておくつもりだよ、気候とかさ、天気とかで若干飲みたい量って変わるんだ、そういうのってあるでしょ、わからない?それからエアガンの弾を拾う、適当に集めたりしないよ、カーペットに四つん這いになってさ、化石の発掘現場みたいに真剣に拾うんだ、本当に真剣に探せば見つからないっていうことはまず無いんだよ、それは見つからないんじゃなくって、探す気がないだけのことなんだ、カーペットをちょっと持ち上げてみたりさ、ソファーをちょっとずらしてみたりすれば必ず全部拾うことが出来るよ、長いことこうして遊んでいるけど弾を失くしたことなんかないよ、いや、まあ、なんせ量が多いからいつだって完璧に全部揃ってるかどうかなんて実際のところわからないんだけど、減ってる感じがしないってことさ、なんとなくわかるでしょ、そういう感じ、どうしてそんなことをやり始めたのかちょっと記憶に無いんだけれど、いまではこれは俺の生活には無くてはならないものになってるんだ、つまりさ、狙うとか、注意して拾うとか、めちゃくちゃカフェインを入れるとかね、そうすることでなんというか、脳内が整えられる感じがするんだよ、もちろん傍から見れば凄く無意味な行為に見えるだろうことも理解しているけれどね、でもよく言うじゃないか、一見無意味に見えるものでも深く追求してみると驚くほど下まで辿り着く、みたいな、これはつまりそういうことなんだよ、簡単に言うと、身体がそうすることを求めているのさ、そんなことしてなんになるのっていうやつはきっと、意味というものを自分で考えてみたことが無いんだろうね、非常に常識的な、世間的なと言い換えてもいいけれど、そうしたものを受け入れる以外の手順がないんだよ、きっと、筋トレだってそうじゃん、だらしない身体しているやつほど言うよね、あんなのなんの意味があるんだって、でももちろんそこには意味があるし、やり過ぎなければ身体にだって絶対良い、それはどんなジャンルのどんな行為だってそうなんだよ、だから個人差ってものに敏感になることが必要なんだ、自分が何を求めてその行為に耽っているのか、それは理解しておくべきなんだ、頭でどうこうって話じゃないよ、身体で知るんだ、感触としてなんとなく掴んでおくくらいがちょうどいい、思考して、定義としてしまったらその時点で窮屈になってしまうからね、壁に飾るシュプレヒコ―ルはちょっと甘いくらいの見解にしておくべきさ、勘違いしている人が多いのだけど、答えを出せることが人間の美徳じゃない、だから現代は結論が早いことばかりがもてはやされている、動体視力を鍛えているわけじゃないんだ、早けりゃいいってもんじゃない結論が出たらそこで終わりになっちゃうだろ、そしたらその方面はそれ以降手つかずってことになるんだよ、引出にしまわれて、鉤を掛けられてそれでお終いってさ、そんなことじゃ駄目なのさ、たったひとつの出来事を何度も考えるんだ、そうしている間にも出来事は増えていくから、同時に考えたり、交互に考えたりしながら生きていくんだ、人間的マルチタスクとでもいうのかな、そうして人は答えに近付いていくんだよ、でも辿り着くことは無い、答えなんて初めから無いんだ、それは道端に生えてる木に迷わないようにつけていく印くらいの意味でしかないんだよ。
狂った時計はそのままに、どうせ完璧な時間など無い、賞味期限の切れたレトルトを平らげて、終わりかけている繁華街へ繰り出す、夜に少し雨が降って、アーケードは埃臭い臭いがする、自転車の数人の若者たちが奇声を上げながら走り抜ける、まだ新しい自転車なのか、タイヤがタイルの上でバスケットシューズみたいな音を立てる、俺はレモンの味がついたミネラルウォーターを飲んでいる、水に金を払うなんて馬鹿なことだと思うかい?前に誰かにそう言われたことがあるんだ、お前んちの水道はただで飲めるのかって訊いたら何も喋らなくなったよ、みんな勘違いしているけど、皮肉って頭が良いやつしか言っちゃいけないものなんだぜ、百円ショップで要るのか要らないのかよく分からないものを幾つか買う、まだ開いている本屋を覗く、何時だろうが俺が寄る店は変わらない、数年前に小麦が食えなくなったから、レストランや居酒屋なんか入っても仕方ないしね、ただぶらつくだけさ、この通りで最後のCDの店がセールを始めている、その内店仕舞いするつもりなのかもしれない、唯一生き残っているデパートの家具売場や便利グッズ売場をぶらつく、賑わっているのはその二つぐらい、正直な話どうしてこの建物だけが生き残っているのかよく分からない、たまにやって来る物産展や質流れ品販売なんかで稼いでいるのかもしれない、そう言えば質流れ品販売の時に数珠と経文が売っているのを見たことがあるよ、そんなものいったい幾らになるんだろうね?駅の忘れ物市は面白かったな、傘とかボロボロのCDとか人形とかさ、今日は寝具の安売りみたいなことをやっていた、だからそこには立ち寄らなかった、デパートを出て、小さな呑み屋が並ぶ路地を歩く、平日だけどある程度賑わっている、昔はここにも歩けないくらい沢山の人間がうろついていた、スナックをやっていた俺の婆さんは、女と酒と食いものの店は潰れないっていう神話を信じていた、でもそれはちゃんと潰れた、勢いだけで生きてる連中ほど神を信じるってことなのかもしれないな、言わなくても良いことかもしれないけれど、あの婆さんはまったく好きになれなかった、葬式には出たけどさ、昔この一角にあった小さな店先で、朗読会をしたことがあった、店の中でやるのかと思ったら表通りに椅子が並べてあってさ、マジかよって思いながら何篇か読んだよ、マイクを使っていたから、近所の店はさぞかし煩かったろうな、そう言えばもう十年くらい朗読会をしていないな、変な流行風邪とかあったからね、よくやらせてもらった店はみんな潰れちまったし…まあそんな話はいいや、路地を抜けてアーケードに戻る、とはいえ、目ぼしい店はもうみんな覗いてしまった、あとは来た道をなぞって帰るだけさ、まあ、たまには喫茶店に入って珈琲を飲むこともあるけどね、嫌な街だよ、酒を飲む店は山ほどあるのに、珈琲が飲める店なんて夜はまず開いてないんだ、俺にとっちゃ大問題なんだが、道端で寝っ転がってるやつらにはどうでもいいことらしい、ま、あいつらは自分が楽しく生きることしか考えちゃいないからな、退屈している詩人の態度を厳守しながらさっきまで歩いてきた道を逆になぞる、見覚えのある女が居た、あれは多分、中学か高校かで同じクラスだったやつだろう、学年までは思い出せない、同じクラスだったことが思い出せただけでもよくやったというべきだろう、一度同じクラスだったという男に同じ街中で声を掛けられたことがあったのだけど、名前まで教えてくれたのに思い出すことが出来なかった、凄く後になって思い出したんだ、俺が初めてやったバンドでベースを弾いてくれたやつだった、もう一度会えたらあの時はごめんよと言おうと思ってるんだけど、地元には居ないらしくそれきり顔を見たこともない、中学でも、高校でも、俺は少し浮いてたと思う、目立たずに浮いていた、クラス、というくくりの中にどうしても上手く収まることが出来なかった、別にアウトローを気取っていたわけじゃない、自然にそんなところに収まってしまった、あの、有名な殺人犯が残した表現が一番しっくりくる、「透明な存在」っていうやつさ、知ってる?ブルース・スプリングスティーンも昔のインタビューで同じようなフレーズを使っているんだ、少年Aは知らなかったと思うけどね、まあそんなことはどうでもいいけど、多分俺はきっと、チームっていうものになれない人間なんだよな、たったひとりで動くことしか出来ない人間なのさ、そういう性格なんだろうな、集団ってさ、自分ってものをきちんと持ってるやつは機能出来ないようになってるんだよ、これは俺だから気付けることなんだ、だってほとんどの人間が、なにかしらのチームの中で機能出来ることが当り前だと思っているんだから、誰かと肩を組んだまま詩を書いている人間なんて俺は信用しない、そんなの決して正しいことじゃないっていつだって俺は思っているんだ。
高波にさらわれた昨日までの俺が海のどこかで腐乱している、上空に見えた幻の飛行船の横っ腹にローマ字でそう記されていた、飛行船は俺がそれを確認した途端に燃え上がって落ちた、俺は慌ててそいつが落ちた辺りまで走り、燃えカスを拾い集めた、全部を集めるのはとても無理だったので、抱えられる分だけ、人気の無い公園でそいつに火を点けると、極彩色に弾けて目が眩んだ、燃えカスを燃やすというのも訳の分からない話だ、家に帰ろうと思ったけれど道に迷った、飛行船の欠片を燃やせる場所を夢中になって探し過ぎたせいだ、携帯のマップのナビは上手く機能しなかった、電波状態があまり良くないらしい、ただの住宅地なのにどうして?ともかく歩いていれば地区の出口までは行けるはずだ、大きな道を選んでひたすら歩いたがなかなか辿り着けなかった、思っていたより広い区域なのかもしれない、まったく、どれだけ必死になって燃えカスを燃やそうとしていたのだろう、俺はため息をついた、道に迷ってまで燃えカスを燃やして、それでいったい何を手にしたというのだろう?改めて考えてみると全く無意味な行為だった、けれど、衝動に背いてしまうことは俺という人間の終わりを意味する、俺は衝動にだけは素直に生きて来たんだ、それにどんな意味があるのか分からなくてもさ、少なくともこうして、下らない話のネタにはなるわけだし、出口はなかなか見つからなかった、そもそも俺にとっては見慣れた街のはずだった、こんな住宅地に迷い込んだことなどこれまでなかったのだ、誰か人が歩いていれば道を訊くことも出来たかもしれないがまるで人には出会わなかった、車すら通らなかった、周囲の家も静か過ぎて、誰かがそこで生活しているのかどうか感じることは難しかった、これはほんものの街なのだろうか、思わずそんなことを考えてしまうくらいしんとした場所だった、同じような家が並んでいて、いま歩いている道がすでに歩いた道がどうか判断することも出来なかった、番地を書いた札がどこかに無いかと探しながら歩いていたが、一枚も見つけることが出来なかった、そんなことが果たして有り得るだろうか?案外俺の妄想じみた考えが正解なのかもしれない、そのころにはそう思い始めていた、焦りを感じ始めたけれど、駆け出したりするのは止めにした、いまのところはただの迷子だ、いい歳をして必死になって見知らぬ場所から脱出しようとするなんて、あまりにも馬鹿げてる、見知らぬ住宅地を黙って歩いていると、幼いころの記憶が蘇った、ろくな思い出じゃなかった、ものの価値など分かっていなかった、下らないことばかりしていた、思い出したくもないことばかりだ、むかむかしながら歩いているとなんだか見覚えのある景色になった、なんてことはない、最初にやって来た公園のところに戻って来てしまったのだ、そうだ、俺はここで飛行船の欠片を燃やした、それがすべての始まりだったのだ、そのままになっていた燃えカスの燃えカスにさらに火をつけて燃やした、一瞬世界が揺らぎ、元に戻ると、公園の出口からほどない場所に見覚えのある景色が広がった、住宅地へとやって来る緩い坂だ、俺は確かにそこを上って来たのだ、俺は急いでその坂を下りた、もたもたしているとまた閉じ込められるかもしれないと思ったからだ、坂を下り切ったところで途端に火の手が上がり、さっきまで歩いていた住宅地が火の海に包まれた、俺は呆気に取られて立ち止まった、そんなことになっても誰一人悲鳴を上げることは無かったし、逃げ出してくるものもまるで居なかった、まるで初めからそこで燃やされる為だけに作られた街みたいに見えた、そして不思議なことに、消防車や救急車がやって来る気配がなかった、サイレンすら聞こえて来なかった、俺は辺りを見回したが野次馬すら一人も居なかった、いつから人間を見ていないんだろう、そう考えて初めて怖くなった、飛行船を見つけた時はどうだった?周りに誰か居たか?思い出せ、あの時も墜落現場に居たのは俺だけだった、消防車も救急車も来なかった、俺はライターを一番大きな火にして灯した、これになにかあるとでもいうのだろうか?ライターはすぐにガス欠になった、俺はどうしてライターなど持っている?俺は煙草を吸わない、こんなもの持つ必要が無い、猛烈に頭が痛くなった、その時初めて救急車のサイレンが聞こえた、激しい振動も感じた、目を開けると俺は救急車の中で横になっていた、気付いた、と俺についていた救急隊員が呟いた、「分かりますか?」分からない、何も分からないと俺は答えた、隊員はあれこれと分り易く説明してくれていたが、どういうわけか俺はそれをうまく理解することが出来なかった、外の様子なんかまるで分からないけれど、いま俺の頭上を、あの飛行船がゆっくりと飛んでいるのではないかというそんな気がしてならなかった。