昨日誰かと電話で話した気がするけどそれが誰だったかなんてもう思い出せない、たぶん身内の死に関することだった気がする、台風が通り過ぎて夏が少し項垂れた午後、歯医者の椅子に横たわりポカンと口を開けながらそんなことを思い出した、誰もがバリヤーの内側で少しずつ手の内を見せていく、お互いに自分にとってどんな意味のある人間なのかと考えながら…そのうちに新しい歯が出来上がる、俺は礼を言って歯医者を後にする、待合のテレビではどこかの田舎の祭りが映されていた、現代に迎合していくものではない、昔ながらのトラディショナルな祭り、でもどこの祭りかなんてまるで興味がなかった、俺には祭りにエネルギーを注ぐ連中の気持ちはわからない、祭りとは結局のところ、つまらない毎日の捌け口を昔の優秀な権力者が設けたのだという印象しかない、数日徹底的にガス抜きを行っておけば、誰一人文句を言うこともなく代わり映えしない人生を精一杯生きる、帰り道、気まぐれに踏み入れた路地に落ちていたのは、先月で閉院した表通りの個人病院の最期の挨拶、どうしてそんなところに落ちているのかまるで見当もつかなかった、決して近い距離ではない、悪意にしては意味がない、風にでも吹かれたのだろうか、夕暮れの路地でしばらくの間そいつを見下ろしていた、平和に、暢気に暮らすことさえこの街じゃ容易じゃない、国民の為に行われているらしい政治は俺たちを幸せにしたことなどない、俺はいつだってこんな場所に立っている、でも、だからなんだ?たとえ乞食になったって詩ぐらいは書いて居られるさ、俺には俺の人生の価値がある、低所得者同士の小競合いなんかに巻き込まれるいわれなんか無いんだ、だけど、他人を落とすことで自分が偉く見えると思ってる馬鹿なんて、どんな階層にも居るからね、まったく、反面教師にゃ事欠かないぜ、誰かが引いた線をなぞるだけの毎日なんて偉くもなんともない、どこかで聞いたような人生訓、正論も反逆の狼煙も、ものの本から借りてきたようなものばかりさ、結局のところ、それは同じところから始まっていて、同じところへ返って行くだけなんだ、昔読んだコミックで人間は猿じゃなくて恐竜が進化したものだっていうのがあったけどさ、いまや人間は蠅に退化していってるんじゃないかと思うよ、単純明快なものばかり追いかけて、すべてをその枠にはめようとする、ドストエフスキーを「文字が多い」と批判することがスノッブだと思ってるようなやつらばかりさ、履歴書ぐらいしか書いたことがないようなやつらがなんだってわかるみたいな口を聞いてる、まったく、反吐が出る―路地を出て、小さな食堂で早めの夕食を取ることにする、厨房に一人、ホールに一人の、中年の夫婦らしき二人だけの店、ウエイトレスの女は人生にどんな望みも持っていないような、真っ黒に塗り潰された目をしていた、厨房の気が短そうな痩せぎすの男は性急なペースで俺の注文を作った、味は悪くなかったがその他のものが狂い過ぎていてまるで食った気がしなかった、料理以外のすべてのチャンネルがジャストなポジションを外していた、彼らはいつからこの店をやっているのだろうか、と俺は考えた、歯医者に通い始めたのは最近のことなのであまりこのあたりを歩いたことが無かったのだ、安過ぎる勘定を済ませて店を出ると日は暮れていた、さっきの店と同じくらいの規模だろう、様々な食い物の店がちらほらやっているのが見て取れた、一階が店舗、二階が住居の昔ながらのスタイルだ、少し前まではこんな店が両側にびっしりと並んでいたのかもしれないな、再開発地区を思わせるフェンスで囲われたたくさんの空地を見ながらそんなことを考えた、通りの終わりには地蔵がひとつ置かれていた、そばに小さな碑もあったけれどそこになにが書かれているのかはもうわからなかった、辺りが暗過ぎたし、年月が経ち過ぎていた、4、5人の気配がしたけれど見渡してみてもひとりも見当たらなかった、この場所で何が起こったのか、知りたい気持ちが無くはなかったが、同時にそれは知ってはならないことのような気がした、俺はどんなことにも気が付いていない振りをしてそこを通り過ぎた、駅を探して電車に乗ろうか、少し長いけれど歩いて帰ろうかと悩んだ、今日はもう歩きたい気分じゃなかった、と言って、ホームで電車を待つ気にもならなかった、タクシーを捕まえて、家の近くの大きなスーパーの名前を言った、運転手は声を発することなく頷いて完璧な運転で俺をそこまで運んだ、俺は金を払い、とても快適だったと感想を言った、初老の運転手はほんの少しだけ笑って頭を下げた、俺が車を降りると、タクシーは静かに滑り出したが、そのまま次第にスピードを上げて壁に激突した、壁は崩れ、タクシーのフロントを圧し潰し、タクシーは三度弾んで沈黙した、辺りからわらわらと人が現れてタクシーを取り囲んだ、駄目だ、死んでる、と運転席を覗き込んだ誰かが言った、俺はそのままスーパーに立ち寄り、買う必要もあまりないものを幾つか買って家に帰った、シャワーを浴びて、音楽を流しながらソファーにもたれた、いつの間にか転寝していた―特別なにが起こるでもない、けれどなにかとんでもなく不吉なものを含んでいるみたいな、寝覚めの悪い夢を見た。
捻れながら転がり落ち、原形を留めぬほどになった今日の自我を、洗面台で沿った髭と一緒に水に流した、血が混じっていたのはカミソリのせいなのか、それとも何か他に原因があったのか?鏡で入念に調べてみたけれど傷は見当たらなかった、得体の知れない傷、どうもそんなものがどこかに出来ているらしい、緊急速報が何度も携帯に届く、緊急だからって無遠慮にしなきゃいけない理由はどこにもない、少しの睡魔と苛立ち、雨の音にまぎれて俺が吐くべき呪詛が聞こえる、寝床は昨日の夢で散らかっている、ネット通販の領収書を二つまとめて丸めて捨てる、屑籠で悪巧みのような軽い音を立てる、少し腹が張り過ぎている、そんなつもりはなかったが少し食べ過ぎたらしい、ソファーにもたれてコンポのスイッチを入れる、トレイの中に入れたまま忘れていたディスクはメインストリートのならず者、サム・ガールズに取り換える、また緊急速報が届く、台風が近づいているのだ、避難をそそのかされている、津波でもなんでも盛大に来ればいい、この街は一度全部失われるべきなのだ、根本的な怠惰が街並みにまで見て取れる、そんな街、まだ華やかなりし日の思い出の中で生きている瀕死の商店街、すべて一掃されればいい、そして合理的な街並みに変わればいい、もちろん俺がここで生き残る保証なんかないけれど、やるべきことがある人間は死なない、俺はいつでもそう考えている、人は自分で役目を終えたと感じたとき勝手に死んでしまう生きものだ、それを俺の気のせいだと言えるかい?ソファーの上でいつの間にかウトウトしていた、時刻は最後に目にした時から半時間ほど過ぎていた、起き上がって音楽のボリュームを少し上げる、俺たちに敬意を払え、と、ミック・ジャガーが叫んでいる、俺はふざけて敬礼をする、それからキッチンに行き、ボトルのアイスコーヒーを少し注いで飲む、作り物の苦みに顔をしかめ、台風の進路をチェックする、古いプロレスの試合を観る、エンターテイメントを引き受ける格闘技、ただ強いだけの人間ならボクシングや総合にもたくさん居る、でも、化物はプロレスのリングの上にしか居ない、パフォーマンスとは常識を逸脱してこそ成立するものだ、古い映画にそんな台詞があった、現代社会はそんな言葉を決して言理解出来ない、だから安易でつまらないものばかりが流行る、この世界がどんな見苦しいものに変わろうと、俺は黙って詩を書くだけさ、俺は言葉を喋るのは好きじゃない、言葉はどんなに並べても言葉に過ぎない、けれど詩の中では、それは圧倒的に現実や意味を飛び越えたものに変わる、俺はそれを表現の本質だと考えている、つまり表現とは何かというと、ひとつの言葉、ひとつの場面にあらゆる意味を持たせるということだ、ひとつの現象に隠れるすべての意味を曝そうとする試みだ、もちろんそれは容易なことではない、不可能と言ってもいい、それでもそこに挑もうとする連中が居るから、意味は広がり続ける、たったひとつ、最も表層的なところだけを拾って生きているのが現代だ、小石を拾って、ポケットにこれだけ入っているという類の自慢をするのだ、俺はたったひとつの小石に蝋を垂らし、色を塗り、少し削る、その、棘のついた妙な物体を元の場所に戻す、例えるならそういうことさ、小石は小石でしか成り得ないだろうか?それはつまり瞑想の発端と同じさ、ひとつの物体の在り方、ひとりの人間の在り方、ひとりの人間はある意味で大人数であり、また逆に、数十人の人間がたったひとりのように見えたりする、覚えが無いとは言わせないよ、誰しもそんな風に思ったことはあるはずさ、いつからか激しく風が吹き始める、窓が音を立てる、雨もかなり激しくなっているようだ、ただそんな景色に似つかわしくない明るさが俺を混乱させる、そう、誰か、かなり親しい人間の別の一面をある時垣間見たようにね、すべてはそんな風に出来ている、人間なんて自分自身すら理解し切ることはない生きものだ、なのに、すべてをわかってるような顔をして生きてる人間が多過ぎる、そういうやつらが往来をウロウロしているから、いつだってニコチンの臭いが漂っているし、まともに運転も出来ないドライバーが事故を起こして警官にゴネまくる、もう人間は小銭を稼いで消費すること以外なにも考えられなくなったみたいだ、そんな自分にやりきれなくてテレビ番組に本気で文句をつけている、道を間違えた水は汚れながら落ちていくのみ、自分でその汚れを落とすことすら思い付きはしない、本当ならそんなところを流れる筈もなかったのに、つまらない意地で間違い通してしまったんだろうさ、寝る前に少し身体をほぐす、近頃馬鹿みたいにリアルで長い夢を見る、目覚めた時の景色に戸惑ってしまうくらいにさ、多分悪いことじゃないんだろう、思い出に残る景色はなるだけ多い方がいいからね。
静かに剥げ落ちていく現実はリアルとはまた違う、思想が現実に根差していることはリアリズムではない、それはただ現実的というだけのものだ、短絡的に周囲の価値観に日和るだけのものはイズムではない、十円玉を見て十円玉だと言うことをイズムとは言わない、リアルとは思想によって加工された、あるいは余分なものを剥いだ、あるいは建前を除去した、そうした根本的なものをそう呼ぶべきだ、そう、感じ方は自由だ、でも、語るのであればある程度の水準が求められる最低限ここから上、というラインがある、簡単に言えば、それは自分で考えることであり、なにかしらそれによって得た大なり小なりのこだわりや作法があり、結果がある、まあ早い話、絵に例えれば自分なりのタッチ、音楽なら声質やフレーズの解釈、文章なら表現力や筆力といったものになる、そう、とても簡単に言えばそう言うことになる、でもそこにはもちろん数限りない試行錯誤や努力があり、その過程は全部異なる、それはオリジナリティーと言い換えてもいいかもしれない、それは美学と言ってもいいかもしれない、でも、そんなことを説明したところで、リアルというものをただの現実だと考えている人間にはなにも伝わらない、時間の無駄、長い時間の中で、そうした連中に何が伝わるのか試してみたことがある、結果はゼロだった、まあ、やる前からある程度わかってはいたけれど、感性というものがまるでない人間なんて別に珍しいもんじゃない、試みは早々に切り上げた、二千文字の羅列からほんの数行を切り取ってひっくり返してそれでおしまい、ひとつの意味をひっくり返すだけ、文脈もなにもあったもんじゃない、わかるところだけ拾えばいいという安直さ、馬鹿馬鹿しい、お話にならない、俺は少しのんびりと食事をした、ひとつひとつをゆっくりと噛んで、少しずつ飲み込んだ、いつもと同じ量を食べたのに、ひどく満たされた気がした、結局、意識的になるかどうかなのだ、意識的になればなるほど、無意識下のものが書き出せるかどうかなのだということが大事だということがわかってくる、つまり、自分すら理解出来ない領域の為に俺は言葉を躍らせ、踊らされている、認識出来ない、でも確かに理解していると感じる、それを俺はリアルと呼んでいる、そして、そんな感触を言葉にすることをリアリズムと呼んでいるのだ、だからこそ、それはロマンチシズムの先にあるものだ、と何度か口にしているわけだ、生きざま、なんて言葉に変えてみるのもいいな、あなたはどうして書いている?と聞かれて、明確に返せるうちは青二才だってことさ、どうして書いている?と尋ねられて、いまはもうわからない、と答えてるようになって初めて入口に立ったと言えるのさ、リアルは漠然としていて当り前ということだ、それは掴み切れない、それはいくら見ようとしてもすべてを見ることは出来ない、それはどんなに言語化しようとしても出来た気がしない、でも確かにある、その片鱗を見ることは出来る、それがリアルってやつだ、それがリアルっていうものなんだよ、それをわからないまま追っかけて行くんだ、そこには正しいか間違ってるかの基準すらない、だから、半端な気持ちだと追い切れない、迷いが生じる、迷いが生じると遅れる、遅れを感じると脚を止めてしまう、そうして何人もの人間がいつの間にか居なくなっていった、いまもしかしたらそれを追いかけているのは自分だけなんじゃないかと思うことがあるよ、でもそのことをどう考えることもない、きっと俺だけじゃないはずだし、誰か居たとしても居なかったとしても俺のやるべきことが変わるわけじゃない、もしも隣り合わせることがあるとしたら少し休憩してややこしい話に花を咲かせるのも悪くないかな、なんて考えることはあるけどね、とにかく、その点はリアルを追うことについては何の関係もないっていう話さ、ひとついいかい?人はそれを真直ぐに追いかけたがる、まるでそうしないと不誠実だっていう具合にさ、だけど、そいつは脇道にしか居ないことだってある、俺が気まぐれなのと同じようにね、そうさ、向こうがそうでない理由なんてなにもないはずじゃないか、だから俺は嗅覚、あるいは触覚でもってそいつがどこに居るのか突き止めなければならない、経験値がある程度あれば、そこにカンというものが加わってくる、そいつをあてにするんだ、リアルはどこにだって行ける、どこにだって姿を隠す、もしかしたら何処にももう無いのかもしれないというくらい完璧に隠れることだってある、生きてる限り続く追いかけっこさ、頭を使うだけでは駄目、カンに頼るだけでは駄目、闇雲に走ったって駄目だ、正解は見つけ出すことじゃないかもしれない、近くに潜むだけでいいことだってあるかもしれない、選択肢は無限にある、だけど、もっとも有効な手段はなにかっていうことくらいなら俺にだって話せる、それはなにかっていうと、生命力とでも言うべきものなんだ。
酷暑の最中だったが、脳髄に氷水が流し込まれているみたいに冷めていた、体温や体調のせいなんかじゃない、俺がそこにどんな感情をも持ち込むことが出来ないせいだ、必要最小限の自分への命令、下手糞な機械の模倣をしているような調子で時間が過ぎる、いや、いまさらそれにどんな文句もありはしない、どんな人間にも役割というようなものがある、それが自分にしっくりくるかこないかなどというのはまた別の話なのだ、そしておそらくだけど、どんな人間だって心のどこかで、これは違うんじゃないかと思いながら生きている、社会が奇妙なテンプレに満ちているのは、そんな違和感に気付かないように嘘をついているからだろう、わかってる、俺だって子供じゃない、すべて理解している、ただ、俺が思う大人っていうものからはこの世界はかけ離れている、大人ごっこをしているなり損ないの子供の集まりさ、俺もごっこをしてる、でもまったく別のベクトルからね、もう、それが良いの悪いの言ったって仕方が無い、そんなところに関わらざるを得ない自分にも責任はもちろんあるんだから、黙って役割をこなすのが一番いい、妙な自己主張なんかしたいとも思わない、見ていて気持ちのいいものじゃない、よくある自分を特別な人間に見せたがるような陳腐なコピーの羅列は、流れないまま使い込まれた水洗トイレを彷彿とさせる、そしてそれはずっと更新されることがない、奇妙なほどに、同じフレーズが繰り返されるだけなのだ、家に帰るとまずシャワーを浴びる、汗と、汚物みたいな汚れにまとわりつかれている、洗い流しているうちにようやく感覚がまともになって来る、今日も少し書こうと考える、でも夕食前の軽い睡魔にとらわれているうちは、とてもワードを開く気にはならない、すべてはまともな食事をして落ち着いてからさ、結局のところ、毎日をいい気分で過ごすには少しでも書いておくのが一番なんだ、それをしない限りやり残したような気持ちが寝どこまで付き纏うことになる、憑依霊のようにね、そいつは取るに足らない疲労を増やす、でも、そんな些細なものが脳味噌に刺さったままだと、いつか酷い摩耗になる、爪は伸びる前に研いでおくべきさ、そうだろう?俺の頭の中には多分、そこいらの連中より言葉がたくさん泳いでるんだ、そのどいつもが、元気なうちに外に出たがるのさ、もちろんすべて掬い切れやしない、結構な数の単語やフレーズが犠牲になる、そいつらがどうなるのかって?そんなこと気にしてたらこんなことしてられないね、掬い上げられただけで良しとしなけりゃさ、金魚すくいだって掬われることもないままに腹を見せちゃう金魚も居るだろう、どんな規模であろうとそれはそういうものなのさ、だって、取り零してしまうからこそまた次を求めるんじゃないか、それは絶対だぜ、その為に俺は躍起になっているんじゃないか、だからもう俺にはわかってる、これは終わることが無いものだって、すべてが片付く前に俺の方が力尽きるのさ、だからそう、命尽きる時に初めて出来上がるたったひとつの詩なんだと思って、俺は毎日言葉を散らかしている、どうしてだろうね、俺はそうやって死ぬだろうってことだけは疑ったことが無いんだ、その他のことに対しては信じるに値しない人間だけどね、まあそれは半分冗談だけど、ちょっと前に模倣って話をしたけどさ、よく出来た模倣さえ作れればいいっていうやつらが沢山居るよね、俺が思うに彼らは、動機がオリジナルじゃないんだろうな、影響のままで止まっているんだ、だから、型通りにしか作れない、はみ出すことが許されない、既存の枠組みの中で、ちょっとした細工をすることがオリジナリティだと思ってる、でも俺に言わせればそんなものオリジナルとは呼べない代物だし、書けば書くほど先細りになっていつか身動きが取れなくなることは目に見えてる、でもさ、型通りっていうものが彼らにとってはなにより大事なんだよな、俺には理解出来ないけどさ、どんな理由で書いているのかな、誰かに褒められたいんじゃないか、なんてさ、まあ、そんなことはどうでもいいんだ、ちょっと考えてみてもらえたら嬉しいかなって感じでついこんなことを喋ってしまった、他人の宝箱を覗いてケチをつけるみたいな真似をしちゃいけないよな、そんなことが好きでしょうがない連中も、世の中にはたくさん居るけれどね、言葉っていうものはさ、最終的に自分だけが理解出来るものにならなきゃいけないんだと思うんだよ、違う意味を持つものにならなくちゃ書く意味なんかないような気がするんだ、だってそうだろ、俺たちが本を開く理由は、俺たちが音楽を聴く理由は、俺たちが絵画を見る理由は、別の切り口を求めているからじゃないのかい、いつも自分が見ているものを、少し疑いたくてそういうものを求めるんじゃないのかい?疑問符を持ち続けることだけは忘れちゃいけない、すべてをあるがまま受け入れてしまうと、もうそこから生まれるものは限られている、現実なんて幾通りだってあるのさ、ただ俺たちの目に映るものは、いつだってその中のひとつだけなんだってこと。
何度も寝返りを打ったのに結局眠ることは諦めた、ノーステッチのブラックジーンズ掃いて真夜中に繰り出す、目的を失った連中たちがダンゴムシのようにビルの影で丸まっている、落伍者たち、でも快楽で帳消しになるくらいの夢、そうだろ?俺は初めから目的を持たない、だから自由に歩ける、眠る代わりになにかが欲しかっただけなのさ、どちらにしてもこの夜の時間は埋められなければならない、部屋のベッドに期待出来るなら何かに頼るしかないじゃないか、耳に突っ込んだイヤホンの中ではジョー・ストラマ―が喚いていた、そうとも、すべてを考える必要なんてない、クラッシュしたならそのあとに新しいものを作りたくなるものさ、だから俺は何も求めなかった、もとよりさっきから言っている通り、この夜の散歩は代用案に過ぎないんだ、どこかの店に潜り込んで一杯飲むにも夜が更け過ぎていた、二十四時間営業のレストランで怪しまれながら安い酒をお代わりする気になんかなれなかった、第一、タクシーを捕まえなければそんな店に行く術も無い、昔はこのあたりにも五人で満員になるような小さな珈琲の店があって、夜通しいつでもちゃんとした珈琲を飲むことが出来た、でもその店のシャッターは長いこと閉ざされたままになっている、紅茶に小さな芋をぶち込んで飲み干すような下らない流行が世間を支配していた頃のことだよ、この世界はもうまともな飲物すら求めないというのかね、アイスクリームだって近頃はチーズみたいに伸びるらしいし、そもそも色が青だったりするんだろ?そんなもの一生口にしたくないね、時代遅れだなんて下らない言い草だ、そもそも時代について行くことがなぜ美徳なのかね、大多数の中で踊り続けることだけでいつまで満足しているんだい、ええ、無難なカードを手にしているってだけでふんぞり返ってんじゃねえよ、まったく―そんなよしなしごとを頭の中で継接ぎしながら歩いていると、いつだったかこの街の終わりの港で、一晩中煙草を吸っていたことを思い出した、あれはまだ十代の頃だった、十七だか、十八だか…特別煙草が好きだったわけでもない、ただそんな夜に手元にあったのが煙草だったというだけの話さ、港の向こうには大きなプラントがあって、それは朝だろうと夜だろうと稼働し続けていて、強力な灯りがあちこちで灯っていた、俺はそれを真空管のステレオみたいだって思ったのさ、だからそれを見つめていようと思ったんだろうな、特別何も無い夜だった、今日みたいなさ、俺は馬鹿みたいに短くなった煙草を捨てて新しいものに火をつけた、そんな機械になったみたいだったよ、思えば煙草なんて吸ったのはあれが最後だ、そしてこの先二度と吸うことはないだろうな、なにしろ何が美味いのか分からないし、手は汚れるし服は臭くなるしね、なんとなくで買ってみたけど、こんなものはまるで必要のないものだっていう結論だったね、視界だって変に霞むしね、そう、あの港は確か一般の人間の立ち入りは禁止になったと聞いたよ、フェリーの需要が減って、航行が終了してからはどっかの工場に行く石炭とか、そんなものを積んだ外国の船が出入りしてるって話だ、もう景色は変わってしまっている、ノスタルジーに浸ろうとしてもそれはもうどこにも無い、もしかしたらこんな夜に思い出すのもこれが最後かもしれない、ポケットに煙草の代わりになるような小道具があるわけでもないしね、スマートフォンじゃあまりにも味気ないだろう?俺は港には行かないことにしたんだ、代わりに、そこから海へ向かう道路のトンネルを抜けた先にある廃墟を見に行こうと思った、昼間に何度か訪れたことはあったけど、夜の顔は知らなかった、廃墟と言っても土台とコンクリ部分以外はすべて崩れてしまって見る影もないんだが、それでも眠れない夜の退屈凌ぎにはぴったりだってもんだろう、廃墟の入口は綺麗に整備されていた、なんでも、災害時の緊急避難場所に設定されたらしい、昔は崩れた土にしがみついて小さな山を登り、トンネルの上に向かって歩いたものだった、同じ場所を求めてまるで違う道を歩いているというのも変なものだった、とはいえ、その道にはとんでもない量の落葉が積もり、あまり重要視されていないことは明白だった、廃墟には程なく辿り着いた、建物が残っていた頃には、入ったら二度と出て来られない恐ろしい心霊スポットだったらしいよ、まあ、俺にとってはどうでもいい話だけどね、いや、信じていないっていうわけじゃない、霊なんか居るだろ、どこにだってさ、俺たちと同じように勝手にやってるよ、それはともかく、少しは整地されているのかと思ったらそのまま崩れた建物が残されているだけだった、こんな場所に年寄連中を避難させようっていうのかね?別に偉そうなことを言うつもりもないけれど、やることが少し雑過ぎやしないかね?まあ、そんな話はともかく、夜の廃墟もなかなかオツなものだった、場所の記憶というようなものが、ハンカチみたいにひらひらとあちこちを漂っているような気がした、浴室の跡に腰を下ろし、そのまましばらくあたりを眺めていた、大人になると迷子になることが得意になる、子供の頃はあんなに怖くて仕方がなかったのに、それが俺をどこに連れて行こうが、誰かについて行くだけよりはずっと面白いところに行けるって分かっているせいなんだろうな。