整理しきれない白山神社のデータがまだまだある中で、ふと、気まぐれに手掛け始めたものから思わぬ産物を発見しました^^v 今ならではの情報なので、さっそく紹介。訪れたのは昨年の春です。
◆春日神社 (福井県鯖江市鳥居町12-31) 2014. 4/13
鳥居町の名を示すが如く、集落の入り口となる道には大きな鳥居が門のように構えている^^; 車でその鳥居をくぐり抜けて暫く行くと、こんもりした山に鎮座する神社が見えてくる。しかし不思議な事に、入り口の鳥居に比べ、神社の鳥居の高さはとても低く半分ぐらいの高さしかない。なにか意味があるのだろうか?
拝殿前の階段脇に、重要文化財指定の記念碑がある。
これによると、この神社の本殿は国の重要文化財に指定されているようです。
『 當神社は 武甕槌(みかづち)命 經津主命 天兒屋根命 比大神の四柱を祭る。
當社のご創祀は 人皇第十代 崇神天皇の御代大彦命この丘に 軍神武經二神を祭られ當地方を鎮撫 し給うに由来し 延喜式神名帳に 大山御板(みたべ)神社とある社である。
降りて治暦四年四月藤原隆家の供奉 により、天兒屋根命、比大神を合祀せられて春日神社と改稱され、近郷十五ケ村の總社であった。
現在の本殿ご造営の時期は詳かでないが恐らくは室町時代のものと推定され、昭和53年5月31日 国の重要文化財に指定された。
依つてここにこれを記念しこの碑を建てる。 昭和54年10月1日 氏子一同 』
重要文化財 春日神社本殿
昭和53年5月31日 指定
形式 三間社流れ造 柿葺
構造 本殿正面桁行 4m 側面梁間 2.55m
春日神社は延喜式神名帳にみられる大山御板神社比定され、この付近15ヶ所村の総社で、智暦四年(1068)に社号を春日神社に改められたという。
延元、大正の両度の戦禍によって社殿が被災したが、慶長十八年(1613)に再建され、現在の本殿はこの時のものと考えられる。 近世初頭における神社本殿の建築形式を知る上で貴重な勝ちを持つ建造物として、重要文化財に指定された。
昭和五十六年八月から一年五ヶ月間の工期で、解体修理が行われ、江戸初期の優雅な本殿がここに蘇えったものである。
平成三年九月三十日 鯖江市教育委員会
ふ~~ん^^;;; そうなんだと思いながらも、よくよく後から詳しく調べてみたら、
以前この神社の境内社に、真田幸村を討ちとった西尾宗次によって祀られた「若宮八幡神社」と「白山神社」が末社としてあったらしいのですが、後になり「若宮八幡神社」は同市の当田町に、「白山神社」は下司町へ遷座されたようです。
なんと! 鯖江の白山神社は全て制覇したと思っていたが、ここにきてまだあることが判明した。それよりもビックリしたのが、西尾宗次(仁左衛門)によって祀られた「若宮八幡神社」ですってぇ・・・!?
これは行ってみてこんなアカンわ^^ いつ行く^^? ほんなもん、今でっしょ~! とばかりに夕飯の準備を素早く済ませてまうと、雨が降っていたが、ちょっと一時間ほど鯖江まで行ってくるでのぉ~と家を出ると車をとばした。
『 春日神社の境内社に、真田幸村を討ちとった西尾宗次によって祀られた若宮八幡神社と白山神社という末社があった。後年、若宮八幡神社は当田に、白山神社は下司へ遷座されたらしい。 』
この情報を真に受けて、下司町と当田町へ行ってきました。青々とした水田の向こうに見えるのが鳥居町の春日神社です。そして、こちら手前側に下司町があり、神社の左斜め後ろに当田町があります。はい、どちらも隣合っており気心知れた集落のようです。
◆ 下司(げし)白山神社 (福井県鯖江市下司町) 6/19
知らない土地で神社を探し当てるには、2本の長いのぼりを立てるポールを目印に走るのですが、下司町内をぐるぐる走るものの目印が見当たらず困ってる所に、おばあちゃんナビ^^が歩いていらっしゃった♪ 教えていただくとすぐそこらしいが、車を下りて歩いて向かうことにした。
ほぼ集落の真ん中辺りだろうか、下司の集落改善センターに寄り添うようにして鎮座している。もう^^ホントに、ちょこんとしたお堂のような佇まいで民家が建ち並ぶ中にとけ込んでいるんですものわからないはずです。こんな白山神社もあるんですね~。
地図で確かめてみると、下司の神様がまっすぐ見てる先は、鳥居の春日神社の方角になります。いつ頃に春日神社から下司へ遷座されたのかわかりませんが、白山神社の石標には、昭和41年12月建立と刻まれ、鳥居には昭和56年とありました。
◆ 若宮八幡神社 (福井県鯖江市当田町19-1) 6/19
そして次に向かったのが、幸村を討ちとった西尾宗次によって祀られたといわれる若宮八幡神社。
白山神社とは関連ないものの幸村関連と知るとちょっと踏み入れてみたくもなる(笑)。
雨に濡れて光り輝く長い参道がきれいです。二種類の鐘の尾が下がっているものですから、どちらを鳴らそうか迷ってしまいました(笑)。拝殿頭上には、絵馬が奉納されていましたが、絵が半分以上消えかかっており何を意味していたものなのか不確かです。
境内に、「閻魔堂」と書かれし御堂がある。鍵がかかっていたが、格子扉のガラス越しにカメラと一緒に覗き込むと、閻魔大王が上段中央に陣どり、色とりどりの様々な人形が壇上に鎮座して並んでいる。閻魔堂というものを初めて目にした私には全く何を意味するものなのかわからず、ただただその色鮮やかさに目を奪われるばかりであった。
後で調べてみると、閻魔王は日本仏教において地蔵菩薩と同一の存在と解され、地蔵菩薩の化身ともされているとある。地蔵堂とおなじようなものなのだろうか・・?
若宮八幡宮は大阪にもありますね。大坂冬の陣の最大の野戦・今福の戦いで佐竹義宣が陣を敷いた場所とありますが・・・。
もう時間は夕暮れ時となり雨の中に人影も見えず、誰に真相を聞くことも出来ずに若宮八幡神社を後にして帰って来てしまった(ネット検索もヒットせず・・)ので、また近々訪れてみたい気持ちを持ちながら、西尾宗次についてはわからないままで府に落ちない点もあるかとは思いますが、ひとまず、お終いとします。(詳しくわかる方、情報をお待ちしております。)
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