平成29年1月3日参拝
・春日神社( 福井県 南条郡 南越前町 広野6-20 ) 白山神社 / 合祀
・鹿蒜(かひる)神社 ( 南越前町 南今庄40-3 ) 御祭神 / 伊弉諾尊
◆春日神社( 福井県南条郡南越前町 広野6-20 ) 白山神社 / 合祀(境外社)
◆鹿蒜神社( 福井県南条郡南越前町 南今庄40-3 )
御祭神 / 伊弉諾尊(イザナギノミコト)・誉田別尊(ホムタワケノミコト)・武甕槌命(タケミカヅチノミコト)
明治時代までは「八幡宮」と称されていたようです。
境内社として三社(秋葉神社・稲荷神社・金比羅神社)が祀られてあると由緒書にありますが、拝殿横には一社(稲荷神社???)のみでした。以前に参拝された方によれば2013年10月には三社並んでいる姿があるのですが、何かあったのでしょうか?
この神社の拝殿には『至誠通神明(しせいつうしんめい)』と書かれた扁額が掲げられています。
(意訳 / いつわりなき誠実は必ず神に通じ良い結果をもたらす。)
なんて^^うれしい~♪ 今年は年初めより素晴らしい御言葉をいただくことができました。
拝殿裏へまわってみると、本殿は更に後方高く山へのびる階段上に鎮座されています。
鹿蒜神社由緒書より
当神社は文武天皇の文武2年(698)3月15日創立の古社にして加比留神社とも称せらる。
当地は奈良時代より鹿蒜郷宿駅が置かれ、中世鹿蒜郷加恵留保の所在地として名高く
鹿蒜郷鎮守の神として厚く崇敬されたり。
第60代醍醐天皇の勅命により延喜5年(905)編集されし延喜式神名帳記載の式内社なり。
現在の本殿は大正8年拝殿は大正6年再建なり
可蒜流廻(かへるみ)の 道行かむ日は 五幡の坂に
袖振れ われをし思はば 大伴家持(万葉集)
かへる山 ありとはきけど 春かすみ
たちわかれなば こいしかるべし 紀利貞(古今集)
故郷に ふたたびかえる ここちして
帰るの山を 見るがうれしき 正二位 源慶永(松平春嶽)
越前の守となった父藤原為時に伴い、長徳2年(996年)木の芽峠を越えてこの鹿蒜郷から武生へ向かった紫式部(24歳)も、のちの「紫式部集」の中で鹿蒜郷のことをこう詠んでいます^^
ふるさとに かへるの山の それならば
心やゆくと ゆきも見てまし
(紫式部にとって越前の冬は、憂鬱で退屈極まりない毎日だったのか、都に早く帰りたかったみたいです^^;;;)
結局、1年半余りで都に帰ってしまった紫式部は、帰りのかへる山越えでもこんな歌を残しています。
ましもなほ 遠方人(をちかたびと)の 声かはせ
われ越しわぶる たにの呼坂
追記.
今回のこの鹿蒜神社に関してとても興味深い記事を見つけてしまいました!
でもまさか^^「千と千尋の神隠し」の裏に白山信仰が関わっていたとは~~妄想でも^嬉^v
千と千尋の神隠しの謎②補足:「とちの木」の先にあるカエルの里 (on-linetrpgsite.sakura.ne.jp)
南越前町広報誌「南えちぜん」令和6年8月号 (紫式部ゆかりの地 連載企画より)
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