。。ぽぽしゃんの夢見るDonko列車。。

大好きをゆったりまったり楽しんで
のんびりのほほ~んと語っていきたいなぁ~

白山ロード^^越前市-10

2017年01月08日 | 白山車窓景

平成29年1月6日参拝

・若宮八幡宮 (福井県越前市 国兼町)
・大塩八幡宮 (越前市 国兼町22-2)   小白山神社 / 合祀(境外社)
・夫婦神   (越前市 国兼町)

 

 

◆若宮八幡宮  (御祭神 / 大塩八幡宮の御子神)

  
国兼入り口に、大塩八幡宮の拝殿修復記念として平成17年9月に建立された大きな神社石標。

 
神社石碑書より
 往古は八幡宮境内に祀られていたのを江戸初期この地に遷座。
 当宮を創立された紀中納言友仲公ゆかりの地として、藤の森とともに名所になっている。

 

 

ここから南に500メートルほど行くと、朱色の大きな大塩八幡宮の第一鳥居がみえてくる。 
                      



大塩八幡宮 (福井県越前市 国兼町22-2)

国兼は、中世期の大塩保(おおしおのほ)の中心集落であったことから、「大塩保八幡宮」と称され、近世以降に現社名で呼ばれるようになった。明治以降「八幡神社」を正式な社号としたが、昭和46年(1971)現社号に復称した。(ウィキペディアより)

 御祭神  誉田別天皇(応神天皇)
      帯中日子天皇(仲哀天皇)
      息長帯比売命(神功皇后)
 境内社     高岡神社 
              天八百萬比咩神社 
              天国津彦神社
              天国津比咩神社
 境外社(王子保区内12社16柱 / 明治43年合祀)
      大神下前神社、宇佐神社、愛宕神社、若宮神社、日野神社、日吉神社
      小白山神社、癒瘡神社、天神社、住吉神社、若宮神社、稲荷神社

 参道入口に朱の第一鳥居

参道を進むと、朱の第二鳥居

参道の階段を登り始めると、すぐ左手に日野山が見える。階段途中右手の建物が社務所である。
  

長い階段をようやく登り積めると、第三の鳥居と荒垣門が迎えてくれる。左手に自然の手水所。
 

荒垣門をくぐると、鎌倉時代の梵鐘(市指定文化財)がある。
慶長20年(1615年)に、本多富正によって大坂夏の陣の戦勝記念として奉納されたものです。
 


入母屋造杮葺の拝殿(国指定重要文化財)

拝殿後方回り込むと一段高く独立した幣殿
 
高岡神社(弊殿左) 御祭神 / 須佐之男尊


天国津彦神社・天国津比咩神社(弊殿右)  
 御祭神 / 伊邪那岐尊 ・ 伊邪那美尊
 
 (創建当初は一の大鳥居の西南に天国津彦神社、西北に天国津比咩神社が鎮座)   

 

寿翁神社(疱瘡神社) 
 御祭神 / 大山津見神、伊邪那尊、須佐之男尊、少名彦神、大己貴神、大綿津見神
 疱瘡・疫病の神として勧請された 。

 
塀殿後方、更に一段高くして垣に囲まれた本殿がある。
中納言紀友仲が無実の罪を嘆き、榊を植えた場所とされる。                                            

 

本殿から右奥に歩いていくと三社殿が並んでいる。 左から、  源嫡神社(御祭神/徳川家康公)
 

中央に、天八百萬比咩神社(御祭神/伊邪那美尊)
ここ大塩山は昔は桜井の峯と呼ばれていて、山城が設けられる以前の奈良時代には、この神社は山頂に祀られていたが、鎌倉時代になりここ八幡宮の境内に遷座されたそうです。

右側に、 高良神社(御祭神/武内宿禰命)
三社殿奥に、 清務霊社(御祭神/舎人親王・宮司清原家の先祖) 

              
そして、一番右端に「えんむすびの木」があります。
   

私が若かりし頃は、二本の木の枝が途中で繋がって仲良く寄り添う姿を見ることが出来たのですが、現在は根元にその面影を残しながら一本でこんなに賢明に立ち続け、その根元からはいくつもの新芽が成長して頼もしい姿をみせています。また昔のように手を取り合う微笑ましい姿がいつかみられる日がくると信じたいものです^^しばらくは、縁結びを返上して「子宝の木」として御祈願したらいいんやないかと思います。「親子をつなぐ縁結び」きっと、御利益が授かりそうですよネッ^^v

 
清務霊社があるその奥を更に行くと、寿永2年(1183)木曽義仲が上京の途中に布陣した大塩山城跡が広がり本陣跡として今に伝わる。当時の堀切跡も残っている。

                     

大塩八幡宮から西へ500メートルほど行くと、大塩八幡宮の境内社「天国津彦神社と天国津比咩神社」の元宮の地と伝わる祠が道路脇にあるようなので行ってみることにしました。



◆夫婦神(御祭神 / 伊邪那岐尊・伊邪那美尊)
 
 

 
田んぼ側に向かって立つ鳥居の向こうには「塩の道」の名残を今に伝える集落がある。


まぼろしの北陸道「塩の道」

  『日本書紀』に出てくる「角鹿の塩」は、天皇に貢がれたばかりではなく、人の背によって武生盆地へも運ばれた。その道は元比田・大谷坂・菅谷・瓜生野・大塩を経由して越前の国府が置かれた武生に通じていた。この道は「塩の道(古北陸道若狭脇街道)」と呼ばれ、峠・尾根・谷を繋ぐ道で、上がり下がりはあるものの海と盆地を結ぶ最短コースとして使われた。ところが、山中峠や木ノ芽峠を越える北陸道が官道として開かれると、塩の道の利用は激減し、次第に忘れられていった。    
      (瓜生野地区 ホノケ山登山口案内看板より)



昔も今も変わらないこの日野山の景色を祠から眺めながら、街道を行きかう旅人の無事を祈り続けていたんでしょうねぇ~^^


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 白山ロード^^南越前町-5 | トップ | 真田雪之丞参上 »

コメントを投稿