すぐさま飛んでいきたいのはやまやまなれど、大阪の桜をたんと愛でるためにも、ここはやはり、必見の価値充分の今だけ限定の奈良の桜を見ておかなければならないと思い立ち、朝一番のDonkoに飛び乗り一路、奈良の東大寺を目指しゴトゴトと遠回りを楽しんできた。
思い立ったのは、NHKのドキュメント番組「日曜美術館」の再放送。満開に咲く桜がつけっぱなしのTVの画面から目に飛び込んできた。その映像に引き込まれながら番組を見つづけていると、この襖絵の桜を生で鑑賞できる日があるという。しかも、なんて好都合なことに春のおどりと一緒に感激を共にできるんです^^v これはもう行くっきゃないと、その一般公開日初日に春のおどりと一緒に楽しんできたというわけです。
福井から奈良へ、そして大阪へ飛び、福井へまた帰ってくる。私ってなんてアクティブなんでしょって思った分ヘトヘトな一日でもありました(爆)。
この襖絵は、4/5~4/10まで東大寺本坊にて一般公開されます。(本坊は、通常一般非公開です。)夜間は、天皇殿・経庫や桜がライトアップされるそうですよ。是非とも、今が見頃と咲き乱れる必見桜を愛でにお出かけされてみてはいかがでしょうか^^。
聖天皇・光明皇后 御影 並びに東大寺本坊襖絵 一般公開
天皇殿(御礼衣服展示)・持仏堂 特別拝観
◇公開日時:5日~7日は10時~17時、8日~10日は10時~20時
◇受 付: 本坊勅使門(南大門北側すぐ)
◇拝観料: 1,000円(中学生以上)
東大寺 襖絵 - 小泉淳作 (koizumijunsaku.com)
で、行ってきました! 見てきました^^v さくらさくら~♪
東大寺本坊には、「大広間」と「上段の間」に全四十面の襖絵が奉納されました。
およそ五年の歳月をかけてこの襖絵を描き上げたのは小泉淳作画伯。ちょっとどころか^^;ものすご頑固なお爺さんのようで、桜の花びら一枚一枚にかける情熱や蓮池に封じ込めた人生観は、見る者すべてを圧倒させひれ伏せさせる威力を持ち合わせていると思いました。(絵をなんも分からん私が言ってなんですが…)
美とは、何だろう?と小泉画伯は考えます。美は綺麗を含むがそれだけではない。醜いものも含むのだと答えています。見たものをそのまま写す写実主義はお嫌いのようで、画伯は描こうとするものをじっと見つめてから描いているようです。山を描こうと思えば、少しでも良く見える場所を探しまわって一日二日かけて写生をされるのだとか、どの山もみな絶妙な造形とバランスをとって、形とはこういうものだと向こうから教えてくれるのだそうです。毎年届く蕪にもこんな愛着をお持ちです。凹みからくるいろいろな変化が面白く、一個の地球でも見ているようなドラマが蕪から想像されるのだそうです。
おちゃめな一面を映像で見せていました。絵をたしなむ人は、みんなに持て囃されることもあって桜の絵をどうしても描きたがるそうなのですが、自分もそうなってしまうのが嫌だったこともあり今まで一度も描かなかったようです^^;しかし、これを生涯に一度の桜と決心するべく襖絵の制作にとりかかったようですね。
16面の蓮池の大広間につづく隣の広間に、三方を桜の襖絵(吉野の桜・しだれ桜・東大寺本坊の桜)に囲まれる広間があるのですが、西行の歌のような空間にしようと思ったそうです。
『 願はくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ 西行法師 』
画伯について、皆目無知の私なので説明パネルからの拾い読みになりますが、墨絵主体で描かれてきたようなので、最初は襖絵も墨絵を考案されていたようですが、東大寺は華厳宗で華やかな宗派なのだいう御意向を受けて色柄に挑戦されたようですね。御本人も年をとったら華やかな色絵を描いてやろう!という心意気も覗かせていたようです。しかしながら、毎日毎日が、ただひたすら同じ事の積み重ねであり辛抱の連続ですから、己を無にして仕事をする以外になかったようで、散り際に輝く桜の花びらを描いているときは、まるで賽の河原で石を積み上げているような気持だったんだそうですね。
画伯は語ります。「この作品は、誰のものでもない。平成の一人の絵師の仕事にすぎなのだから、己の署名・捺印はしないのだ」と。そして、最後にこんな一行をつけたされて文章が終わっていました。『肉体的にもすっかり弱ってしまった。これで一仕事終わった。』
昨日は、ほんなこんなことなんかを肌でこの目で体験してから、急いで大阪へ^^本名桜を愛で愛でに向かった訳なのでありましたが、今年の大阪の桜はいつもとちょっと違っていた…。